集団EQ

 集団における能力には、EQ力が必要であることは、個人の問題、リーダーとしての資質と同様なことがいえます。それは、発揮するうえで、「自己認識」「自己管理」「社会認識」「人間関係」に対するEQ 力は、個人同様必要です。しかし、集団は、個人の集まりであるために、個人個人のEQが反映されるだけでなく、集団自体のEQ力も必要になります。集団の場合には集団独自の雰囲気やニーズがあるのです。私は、よく集団の在り方として「納豆理論」をいうことがありますが、これは、集団は、豆腐のように原材料がわからないように加工し、滑らかな豆腐にするような集団が求められてきた時代から、今求められる集団とは、個々がそのままの形を残し、しかし、お互いが糸を引き合うような集団であるということですが、集団におけるEQ力とは、まさにお互いを結びつける「糸」なのです。その糸が多くなるほど「うまみ」が増します。糸が多く引くようにするためにいっぱいかき混ぜることが必要であるという考え方です。そして、この「かき混ぜる」という行為が、練習を繰り返すということなのです。

 集団においてのEQ力は、練習を一つずつ重ねて、連続的に育っていくものだとゴールマンは言います。例えば、チームのメンバーが自己認識を高め、集団の雰囲気やニーズをくみ取れるようになると、メンバーどうしが共感を持って接しあえるようになるのです。共感を発揮できるようになると、前向きの規範が形成され、維持され、集団の対外的な関係調整能力が向上します。チーム・レベルでは、この社会的認識が、組織内の他の部分とよい関係を保っていくための基礎となるのです。

 ところで、集団の自己認識とは、集団全体の雰囲気に留意するとともに、集団内の個人の感情にも留意することが必要です。納豆の中の一つずつの豆の品質が良くないと、全体のうまみは減少します。自己認識の優れた集団の場合、メンバーは集団自体の感情に波長を合わせると同時に、集団内の個々人の感情にも波長を合わせているのです。彼らは、共感を持って接しあい、集団内には互いへの気配りと理解をサポートする規範が形成されているのです。

 感情は伝染するものなので、チームのメンバーは良しにつけ悪しきにつけ互いの言動から感情の影響を受けます。メンバーの一人が怒っているのにチームがそれを認知できなければ、その怒りが悪い連鎖反応を起こすきっかけになってしまいます。反対に、チームがそうした場面にうまく対処できれば、一人の感情がチーム全体の感情を左右することはなくなります。

 集団における自己認識は、決断を下す前に一人一人の意見(反対者がたった一人でも)によく耳を傾けるということも規範の一つになります。あるいは、うまく進まなくて困っている仲間に支援の手を差し伸べるということも規範になります。問題点を指摘して、集団の自己認識を向上させる役割を果たすのは、必ずしもリーダーのEQ力だけでなく、EQの高いメンバーである場合が多いということがわかっています。

 自己認識の次に、自己管理についても集団ならではのことがあります。中心となる価値観や規範が周知徹底されていれば、リーダーが物理的にその場にいなくても、チームは機能します。 自己認識と自己管理に優れたチームならば、メンバーたちが進んで共鳴的規範を浸透強化させ、互いに責任を持ってその規範を守っていくものです。

 リーダーがいなくなればそのチームが機能しなくなるのは、リーダーに力があるのではなく、リーダーに力がない証拠です。それがEQ力です。