維持するシステム

組織のEQを維持するために、さらに、ゴールマンは、「EQの高い慣行を維持するシステムを構築せよ」と助言します。人間関係ということを大切にすることは重要ですが、それを維持していくためには、制度や規則などのようなあるシステムが必要になります。容認できる範囲で頻繁に確認できるようなものも必要です。それは、政策や手順のように現実的に強制力を持つものでも、リーダーの垂範行為でも、行動を方向づける強い力になります。とりわけ、EQの高い慣行を維持していくためには、規則や規制や人事慣行が目標と同じ方向を向いていることが重要であることは言うまでもありません。EQの高いリーダーシップを目指しても、それを評定制度で評価しなければ、意味がないとゴールマンは言います。したがって、ビジョンを強化するために、必要ならば規則を変えるべきであるとも忠告しています。

 それは、行動の方向などいつも客観的に見直すために、あるシステムが必要であること、それが、評価という形で行われることは必要ですが、その評価内容は、そのビジョンを強化するものでなければなりません。よくない評定制度における評価は、意欲を減退させ、ビジョンを遠ざけていくものになりかねません。ですから、評価が、その組織の目標と同じ方向を向いていることが重要になってくるのです。

 EQの高い組織を作るのは、最終的にはリーダーの責任であることは当然です。組織に自らの現状を認識させ、認識を妨げている文化的規範そのものを認識し、理想のビジョンを探り、そのビジョンにおける各自の役割を組織のメンバーに認識させるのは、リーダーの仕事なのです。したがって、組織の中で、最もEQの高さが必要なのはリーダーであるのでしょう。それは、自分が行動するだけでなく、自分が行動することで、人々をビジョンに同調させ、変革に向かって動き出すように促すこともしなければならないからです。そして、共鳴によって健全で効率的な人間関係につながる企業規範を作り上げていきます。このようなリーダーは、組織の集団が持つ力強いエネルギーを解き放ち、あらゆるビジネス戦略の追求が可能になっていくのです。また、このようなリーダーは、心からの情熱を持って、ビジョンを構築し、組織にしっかりと根付いたミッションを掲げて人々の意欲を引き出し、仕事に意味を与えることができるのです。

 ここまで、リーダーのあり方を考えてきたのですが、そのリーダーとは、園でいえば園長であると思う人が多いと思いますが、必ずしもそうではありません。組織隅々まで浸透させていこうとしたり、大きな組織となると、EQの高いリーダーは複数必要になります。大きな組織では、どうしても共鳴の強い部分と、不協和音感の強い部分が生じてしまいます。組織全体における共鳴と不協和感の比率がその組織の感情風土を決定し、組織のパフォーマンスを直接左右します。比率を望ましい方向へ変化させる決め手は、組織の各所にEQの高いリーダーを配置し、それを核にしてEQの高いグループを形成していくことが必要になります。

 私の主宰する「リーダー研修」の参加者は、園長ではありません。リーダーは、肩書でも、地位でもなく、役割を担う人なのです。

維持するシステム” への9件のコメント

  1. 「リーダーにEQの高さが必要である」ことに深く感じ入ることがあります。自分の心をきちんと統制でき、他者に共感できる力をもつことで部下も安心していれる環境を手に入れることができます。最近、他者の視点で物事を見る力が弱い先生が多いなあと感じることがあります。教員をめざす学生にも他者の視点をいかに取り入れていくような学びが提供できるか私の課題となっています。まずは、自分自身が自分のことを省察することが必要なのだと思いながら。。。

  2. 「行動の方向などいつも客観的に見直すために、あるシステムが必要である」とあります。私は、それは「語る」という他者評価であり、「聞く」という自己評価であると感じました。これらを“振り返り”として定期的に開催できる環境、雰囲気が大切です。私の身近な環境では、頻繁に「話し合い」の場を目撃します。それは、数分の立ち話から始まり、長時間も熱い議論を交わしたりと様々です。本日は、乳児に関するDVDを有志8人で鑑賞し“赤ちゃんの不思議”について意見を交わし合う機会がありました。出産から歩行が確立するまでの乳児の姿から、原始反射・シナプス・数の認識などについての研究映像を鑑賞しました。映像の内容も面白かったのですが、私がもっとも感動したのは、この鑑賞会主催者である、ある方の最後の一言でした。その方は「今日はありがとう。俺はこうやってみんなと話すのが好きだからさ。よかったよ。」と言ったのです。本日私は、EQの高いリーダーにリアルタイムで触れていた気がします。

  3. 肩書きがリーダーなのではないということはずっと聞かせてもらっていたので、その意味は今ではすんなり理解できます。でも以前は肩書きがあるからリーダーだと、ずっと勘違いをしていました。その役割を担う人、ビジョンを示して共鳴を起こし、ついていこうと思わせることのできる人がリーダーだということ。このことを聞いて肩の力が抜け、すべきことが少しずつ見えてきたことを思い出します。そして常に危機感はあるので、システムのようなものの重要性も感じているところです。ビジョンをより強いものにし、自分たちの行っている仕事の意義について、常に確認し感じるができるようにと、試行錯誤をしている真っ最中です。課題はやはり「信頼する」ことでしょうか。私自身が「信頼されている」と勘違いだとおしても感じることができて、よりすべきことがはっきりしたり責任を再確認できたりしている経験を、他の人にも感じてもらえるようにしなければと思っています。

  4. 「リーダーは肩書きでもなく、地位でもなく、役割を担う人なのです」こう考えると今までのリーダー論も見方が少し変わってくる気がしています。少し、私は勘違いをしていたようです。同時に安心のような感覚もあります。役割を担う人がリーダーですが、様々な役割を一人のリーダーが担うより、複数の人がいろいろな役割を担っていくという形は私たちの職場でもみられることです。その役割を担っていく人がリーダーという自覚を持ち、実践していくことが大切ですね。と、なるとますますこのリーダー論は誰にでも通じる話なのですね。改めて、しっかり自分の中で振り返っていこうと思います。

  5. 日本企業は、伝統的に「野球型」の組織運営をしている。つまり、一球一球ベンチからのサインで選手が動く。言ってみれば命令伝達型の「垂直型組織」です。変化の時代には、最前線の現場が変化に対応し戦術を判断してゆく「サッカー型」の組織でないと戦えない。サッカーのゲーム展開では、ベンチの指示を待っていては試合には勝てない。現場の個々の選手が、状況に応じて判断しパスを出していく「水平型組織」である必要がある。組織は戦略(ビジョン)をしっかり共有し、現場に戦術判断の権限を委譲しなければならない。

    藤森先生の語るEQに高い組織とは、指示待ちの野球型ではなく、権限を任された現場のEQリーダーが、組織の目的・戦術を理解して縦横無尽にゲーム展開を組み立てていくという「サッカー」型のチームにより近い気がします。サッカーのキャプテンはチームの精神的な支柱のような存在で、コイントスとペナント交換くらいがその仕事です。実際は攻撃や守備陣のリーダーがゲームを動かします。これがサッカーのシステムです。

  6.  システムを変えて仕事も人間関係もうまくいっているのを維持するためには常に動く、が前回のブログの内容でした。しかしそのシステムを周囲の評価が低いと、モチベーションは下がってしまいます。保護者アンケートや第三者評価など、保育園を色々と評価する事がありますが、評価者の考え方によって評価が正反対では、何のための評価か分かりません。ブログにも書いてあるように評価をするならば、同じ方向を向いている必要があります。維持するためには規則を変えてしまうほどの行動力が必要なんですね。その姿を見る事で共鳴し更にモチベーションを上げる可能性もあります。

  7. 評価といわれると最近では「第三者評価」や「自己評価」といったものが頻繁に言われるようになりました。保育園などは「理念」や「保育目標」などある意味での価値基準があるためにそれにそった保育をしていかなければいけません。そのため、自己評価だけではなく、多方面の評価を通して、より保育園としてのレベルを引き上げていくということが言われているだと思います。自他ともに見た理念のとおった保育園のためにはブログに書かれているリーダーはとても重要な人物になると思います。私が考えているリーダーは任命された人というよりは、知らず頼られる人がリーダーになることが本当に信頼できるリーダーであることが多いように思います。確かに園長といわれる人がリーダーなのだと思いますが、「だけ」ではなく、規範や規則、理念をしっかりととおっている園になるためにはいろんな部分にEQの高い人が必要になってくるのがよく分かります。よくせいがに行くと「若手の先生はベテランの先生に、ベテランの先生は園長先生に見守られています。だから、現場の先生は子どもたちを見守れるんです。」という言葉をよく聞きます。それは今回言われているような価値基準や企業規範が園長だけではなく、EQの高いリーダー(ベテラン)も含めて保育園を支えているということが物語っているように感じます。

  8. 「リーダー論」は往々にして「長」がつく人についての理論と誤解されます。それはそうではなく「リーダーは、肩書でも、地位でもなく、役割を担う人」のことで、担っている役割を認識するならば、園で働く職員さんたちは「リーダー」ということになりますね。私たちの園では「今週のリーダー」としてその職員さんの顔写真が掲示されています。そしてそのチームのメンバーが週替わりでリーダー、サブリーダー、アシスタント、になっていきます。ということは、これは職員さん全員が臥竜塾ブログの、これまでの「リーダー」論を読み、自己研鑽のために活用する必要があるということですね。さらに、私たちには「評定制度における評価」があります。私たちの「評定制度」は、「保育課程」であり、「見守る保育の三省」であり、あるいは「環境評価システム」です。そして何より保育チーム、行事チーム、園務チーム、による業務の遂行自体が常に「評価」の連続、積み重ねです。「共鳴と不協和音の比率」のご指摘は重要です。共鳴の比率を上げ、不協和音の比率を下げることを日々意識したいと思います。

  9.  〝リーダーは、肩書でも、地位でもなく、役割を担う人なのです。〟これが藤森先生の築き上げてきた〝リーダー論〟の肝と呼べる部分ではないかと思えてくるのですが、どうでしょうか。〝組織の中で、最もEQの高さが必要なのはリーダーであるのでしょう。〟ここの文章と対比すると、一見それは矛盾しているかのように思えるのですが、そうではなく、〝それは、自分が行動するだけでなく、自分が行動することで、人々をビジョンに同調させ、変革に向かって動き出すように促すこともしなければならないからです。〟常に前方でも後方にでも回れる柔軟なスタンス、どのようにでもフォローできるという柔軟さ(それをEQの高さと言うのでしょうが)、それでもって役割の中で最大限にその人が光るように常に見守ってあげられるという基盤が構築されるわけです。一挙手一投足がチームに影響を与えると言っても過言ではなく、またそれを喜んでできる性格、資質その人にあってこそのような気もしてきます。謙虚さが光る理由も頷けるように思い、本当にテクニックとかそういうことでなく、自分を磨く中でそのような力が身についていくのだと感じます。

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