腹の底から

 大笑いをすることを「腹の底から笑う」ということがあります。それは、腹をかかえ、ひっくり返って大笑いする、という意味で、四字熟語でいうと、「棒腹絶倒 ( ほうふくぜっとう )」といいます。また、ふに落ちるとか、合点がゆくことを「腹の底から納得できる」といいます。これを、「心腹に落つ ( しんぷくにおつ )」といいます。

 ゴールマンは、直観についてこう説明します。人は、日々の経験を積み重ねるごとに、脳は決断の公式を導き出し、因果関係を学んでいきます。脳は、黙々と学習を続け、その経験から知恵を蓄積していきます。年を取るにつれて専門的スキルを新たに習得する能力は低下しても、経験から得た知恵は生涯にわたって増え続けます。そして、決断に迷うたびに、脳は蓄積してきた公式を当てはめ、最も賢明な結論を導きだします。脳は、こうした決断を言葉で知らせてくることはありませんが、情動の脳が大脳辺縁系からはらわたにつながる神経回路を刺激するため、私たちは、「しっくりくる」感覚を得ます。扁桃体が消化器系につながる神経回路を通して伝えてきた結論が、「腹の底から納得できる」直観として感じるわけです。

データでは処理しきれない複雑な意思決定を迫られた時、直観が正しい方向を示してくれます。実際、無意識の学習に関する研究が、最近になって直観は新しく脚光を浴びるようになってきているそうです。要するにEQの高いリーダーのように経験を蓄積した知恵袋に直観でアクセスするためには、自己認識に基づいて自分の内なるメッセージに耳を傾ける能力が必要なのです。

情動のような感情が、消化器系につながる神経回路を通して伝わるために、心の問題が、「腹」に関係してくるのですね。「腹が煮えくり返る」とか「腹に据えかねる」のような表現が多いのですね。また、私は、経験から知恵を蓄積するということを聞くと、それはリーダー論ではなく、乳幼児に当てはまる考え方でもあるのではないかと考えています。それは、乳幼児期においては、大人からの注入方式で知識を蓄積するのではなく、生活と遊びの中で様々な経験をする中で、知恵を蓄積しているからです。逆に言えば、乳幼児期で大切な保育とは、何かをさせる、覚えさせることではなく、生活と遊びの中で様々な経験をさせることであり、経験を豊富にするような環境を用意し、言葉がけ、働きかけをすることなのです。

子どもこそ、直観で物事を判断し、行動します。その直観は、人として生まれながら持っているものと、短い人生ながらも様々な経験の蓄積から決断の公式を引き出していくのです。そして、経験不足を、社会的認証といって、経験豊富な大人の視線や表情から学んでいきます。それらの蓄積が子どもの直観力を支えていると思うのです。それらを考えると、乳幼児教育とは、大人が何か教えるものではないこと、多くの経験を支える必要があること、その経験には、人との関係が大きく影響するために多様な人とのかかわりが必要であること、しかし、そこで接する大人は、逆にトラウマを作ってしまう可能性が強いことから、子どもへの対応に気を付けることなどが考えられます。

食べ物の好き嫌いを何度も注意されてくる子は、その経験が消化器系につながっているゆえに、食べることを直観的に拒否してしまうようになることがわかります。

腹の底から” への7件のコメント

  1. 直観が消化器系とつながっているというのはなかなかイメージしにくいことですが、でもおもしろい話ですね。身体と大きく影響し合っているのは間違いないと思うので、もっと意識していてもいいのかもしれません。経験から得た知恵は生涯増え続けるということですが、そのことから考えると「意欲のある老人は最強」と誰かが言っていましたが、当たっているのかもしれませんね。いろんな意味で大切なところだということが分かっている「腹」ですが、私は「腹」があまり強くないため、そのことはもしかすると直観に影響しているかもしれないと、変なことも考え始めてしまいました。腹と直観、おもしろいですね。

  2. 「日本人と腹」の関係。そういえば2011年6月8日の「武士道14」で取り上げられていました。「腹を切る」「腹に一物」「腹を割って話す」「腹をくくる」「腹を据えて」等々いろいろありますが、覚悟や決意を表現する言葉が多いですね。理性を越えた情動的な反応を腹で表すのが日本流、胸で表すのが西洋流でしょうか。

    もともと直観で動くのが得意な子ども達。脳幹⇒大脳皮質⇒大脳新皮質と脳が成長を遂げている幼児期にこそ、環境とのやり取りを通してEQという大切な行動特性を養うことができるのですね。EQ概念を導入することで保育の概念が教えることから見守ることへ180度変わりそうです。藤森先生の刊行予定の本は「行事」とか。その次は「保育と脳科学―EQ型保育のススメ」なんてのはどうでしょう。これは保育の革命です。

  3. 「腹」が関係する言葉、ちょっと思い出すだけでもいろいろありますね。お腹あたりが反応する身体感覚の話は何度が耳にしたことがあったのですが、それはイメージの世界のことなんだろうなと思っていました。ですが、情動のような感情が神経回路から消化器系に伝わるということが科学的に分かってきているんですね。今後、自分の身体(腹)にどんな感覚があるのかを注意して感じてみたいと思います。乳幼児の蓄積のお話、その蓄積のために、我々はしっかりと工夫して環境を用意しなければいけませんね。そして、その環境中には当然、保育者の関わり方も入っているということ意識しなければと思っています。このあたりの考え方、意識の持ち方の伝達みたいなものが自分の課題でもあります。

  4.  喜怒哀楽などのひとの感情と言うのは脳だけが動いていると思っていましたが、神経回路を通して消化器系につながるというのはなんだか想像がつきません。「腹の底から納得できる」という表現も言葉であって、実際にお腹で納得している実感は湧きませんが、消化器系を通して「しっくりくる」感覚が直観で感じるわけですね。子どもの好き嫌いの例を聞くととても分かりやすいですね。それだけ子どもは直観で判断し、それが将来に大きく影響する可能性があります。子どもにとっての良い環境を改めて考え、用意し、様々な経験から学ぶ必要がありますね。

  5. 話がそれてしまうのかもしれませんが、よくストレスがたまると胃酸がでて、ムカムカする、または、胃潰瘍になるなど、気持ちの部分から来て、体に影響が出る場合があります。これ一つみてもやはり情動と消化器とのつながりは少なからずあるんでしょうね。
    直観と経験の関係が出てきましたが、経験は生まれたときからあります。しかし、その経験が大人から刷り込まれたものと自分が経験したものとは意味合いが違うと思います。他者から刷り込まれたものは先入観につながることが多いのではないでしょうか、そして、それは時として役に立ちますし、時として足を引っ張ることもあります。自分自身で経験したことは「気づくこと」や「発見すること」多くのことが絡みあって、学ぶことが多いように思います。そういった経験こそが直観につながるのかもしれません。まさに疑問が「腑」に落ちることが多いのではないでしょうか。こういった環境をより多く取り入れていきたいですし、そのためにも保育者や大人の距離感はとても重要になってきますね。

  6. 冷静に考えれば、どうってことないのに、感情のレベルで焦ってしまったり、過度に緊張したりすると、私の場合は途端にお腹に来ます。ですから、情動と消化器系との連関については、思い当たる節があるので、妙に納得できますね。脳と消化器系との関係によって私たちのさまざまな経験が成り立つ、これはなかなかに面白い考え方です。「乳幼児期において、大人からの注入方式で知識を蓄積する」とお考えの親御さん、多いですね。「スタートダッシュ」ということを受験期に経験した親御さんがそうするのかな、と思ってしまいます。乳幼児は、人生というレースの始まり、と思い、遅れまじ、と「注入」に「注入」を重ねようとします。そのとばっちりが園のやり方への注文となってくることもあります。「注入方式」にはあまり意味がないのは小学生以降を見るとわかるのに・・・。それよりは、そのことが好きでやりたくてたまらないことを保障してあげることがその後の大成につながると思うのですが・・・。一度注入して、後は子どもに任せる、でいいような気がします。

  7.  〝決断に迷うたびに、脳は蓄積してきた公式を当てはめ、最も賢明な結論を導きだします。脳は、こうした決断を言葉で知らせてくることはありませんが、情動の脳が大脳辺縁系からはらわたにつながる神経回路を刺激するため、私たちは、「しっくりくる」感覚を得ます。扁桃体が消化器系につながる神経回路を通して伝えてきた結論が、「腹の底から納得できる」直観として感じるわけです。〟あまりにも未熟な自分ですが、未熟なりに最近は何か物事を判断しようとする時に決定する方に感じる際の心の様子や雰囲気というのでしょうか、感覚がありました。決定する方の考え方の方が一段上というか、何か煌びやかな印象を持って「あ、こっちなんだな」と決められることが多く、大抵決めた方のことで合っているということが多くなり、それを上記の文章がまさに言い当てて、それもとても身近な言葉で表されていて、とても衝撃を受けながら読みました。〝しっくりくる〟まさにそんな感じを得ることだと思います。
     〝子どもこそ、直観で物事を判断し、行動します。その直観は、人として生まれながら持っているものと、短い人生ながらも様々な経験の蓄積から決断の公式を引き出していくのです。そして、経験不足を、社会的認証といって、経験豊富な大人の視線や表情から学んでいきます。それらの蓄積が子どもの直観力を支えていると思うのです。それらを考えると、乳幼児教育とは、大人が何か教えるものではないこと、多くの経験を支える必要があること、その経験には、人との関係が大きく影響するために多様な人とのかかわりが必要であること、しかし、そこで接する大人は、逆にトラウマを作ってしまう可能性が強いことから、子どもへの対応に気を付けることなどが考えられます。〟この文章にも、とても心を打たれます。〝短い人生ながらも様々な経験の蓄積から決断の公式を引き出していく〟全てが子ども達の懸命な決断であることを思うと、大人である自分は、、考えさせられるこの度のブログです。

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