現実の自分

 よく、最近の保育界を指して、「ぬるま湯から出ると風邪をひくが、そのまま浸かっているとふやけてしまう」ということを聞きます。ゴールマンは、決まりきった日常や習慣の積み重ねにどっぷり浸かっているリーダーたちをこのように比喩しています。「煮え立った湯の中にカエルを放り込めば、カエルは本能的に飛び出そうとする。ところが、鍋に水をはり、そこにカエルを入れて少しずつ水の温度を上げていくと、カエルは、水が熱くなっていくのに気づかず、沸騰するまでじっとしている。そして、ゆであがってしまう。」

 組織コンサルタントのリチャード・ボヤツィスが、リーダーシップ育成の研究の結果、開発した五つの発見の最初は、「理想の自分」の発見でした。次の発見は、「現実の自分」の発見です。「現実を見るか、茹でガエルになるか」だと言います。「理想の自分」を見出した後に、「現実の自分」を見極めることが必要になるのです。自分の価値観、哲学、抱負、長所などについて深く考える必要があります。

 現実の自分を評価する作業は、自分の才能や熱意がどこにあるかを見つめなおすことから始まると言います。しかし、この作業は、意外と難しいのです。習慣の積み重ねから生まれた精神の弛緩を克服するだけでも、かなりの自己認識が必要だからだと言います。次第に熱くなる水の中と同じように、決まりきった日常の中で変化は少しずつ進んでいくので、現実を把握するのはなかなか難しいのです。そのうちに、鏡が曇るように自分が見えなくなっていきます。そして気づいた時には、現実は惨憺たる状況を呈しています。「気がついたら、なりたくないと思っていた人間になっていたんです。」というようになってしまいます。

 知性に不足のない人でも、なぜ理想の自分を忘れてしまい、気づかないうちに妥協と自己満足を重ねて深刻化していく「茹でガエル症候群」に陥ってしまうのでしょうか?本当の自分が見えなくなる原因は、いろいろな要素が絡み合っているようです。そもそも、人間の精神自体が自己イメージを傷つけるような情報を拒絶する傾向を持っているからだそうです。これは、自己防衛機構と呼ばれているもので、人生を生きやすくするために情動面で自分を守るメカニズムなのです。自分を守るために、重要な情報が隠されたり、捨てられたりしてしまい、無意識が紡ぎだす自己欺瞞が心の中で居座り、そのために障害が生じるようになるのだと言います。

 もちろん、この自己防衛機構は、それなりの利点があります。たとえば、社会的に地位の高い人々の大半は、自分の先行きや可能性について普通の人々よりも楽観的な見方をします。世の中がバラ色に見えるレンズが、仕事に対する熱意やエネルギーを掻き立てているのです。すべて、現実がしっかりといえてしまうと、悲観的になってしまったり、あきらめてしまいかねません。ですから、自分を守るために、現実を見る目を曇らせているようです。ただ、この防衛機構が度を越した時、現実の自分が歪んで見えてしまうことが問題なのです。目に心地よい虚構を信じてその下にある不安な現実を見ようとしない態度を、劇作家のイプセンは、「致命的なうそ」と呼びました。

 では、目を明らかにするにはどうすればいいのでしょうか。それは、周囲の人々から正しいフィードバックを受けることにあると言います。正しい情報を十分に得て、ゆがんだ自己認識を正していけばいいのですが、はやりそれは難しいことのようです。

夢と希望

 「不易と流行」という言葉は、「変わっていいもの」と、「変わってはいけないもの」というように物事を二分にするような考え方をすることがありますが、実は、そのようにとらえるのではなく、「いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。」ということなのです。物事の本質をきちんととらえることで、新しい変化をしていくことができるのです。保育を変えようとしない人は、保育という本質を理解していない人のことだと私は思います。

 人にとっての「夢」や「希望」は、どうでしょうか。ゴールマンは、それは、キャリアにつれて変化し、人生や仕事において大切なことも変わっていくと言います。そして、同様に、「理想の自分」も人生につれて多面化していくものだと言います。こうした変化によって、どの才能や能力を発揮するかが決まるだけでなく、どのような状況で才能を発揮する意欲が湧くか、どのようなときに共鳴を引き出すことができるか、なども決まってくると言います。自分の夢や大切なことが変化しているのに、それを無視して同じことを続けていれば、進むべき道を誤る可能性があると警告します。

 理想像はその人の情熱や感情や動機と不可分一体のもので、人生に何を求めるのかを最も深く掘り下げて表明したものであると言います。その理想像が、決断を下すときの指針となり、同時に人生に対する満足度を測るバロメーターになると言います。ただし、リーダーとして組織を率いていこうとするならば、自分一人の理想像だけでは十分でなく、組織の理想像を提示しなければならないのです。目的意識や方向性がなくては、組織全体に興奮が伝わっていかないと言います。個人の理想像が組織全体の将来像へと発展していくことが肝要なのです。全体のビジョンをまとめ上げるには、リーダー自身が他者の希望や夢に対して心を開いていかなければならないのです。

 よく、好き嫌いをなくすためには、目の前でそれをおいしそうに食べることが効果的だといわれています。私は、夢や希望も、他人の前で心を躍らせながら語ることで、その人に移っていくのだと思います。それは、必ずしも同じ夢であったり、希望でなくとも、自分の夢を見つけようとする動機にはなると思っています。そしてその夢は、現在をよりよく生きることにつながると思っています。保育に「長期計画」が必要と書かれてありますが、それは年案ではなく、もしかしたら園の理想像を語ることであり、将来の夢を語ることかもしれません。

 自分の理想を明らかにして、本当に歩みたいと思える道を確認するためには、自己認識のEQが必要です。しかし、いったん理想像が明らかになれば、希望が生まれて、沈滞した習慣を打破することができると言います。ゴールマンは、ナポレオンのこんな言葉を引用しています。「リーダーは、希望を売り歩く人」という言葉です。リーダーは、自分の内面を見つめて、希望の源泉を探り当てなくてはならないと言います。そこに、自らの理想像を目覚めさせるパワーがあり、そこから組織全体の理想があふれ出て、皆を一つの方向へ導いていくというのです。

ただし、このようなリーダーシップを発揮するにはビジョンだけでは不十分で、自分が直面している現実をはっきり見る能力が必要になってくると言います。将来を語るには、現在を語れることが必要ということなのでしょう。

人生観

 よく、「価値観」という言葉を聞きます。それは、何に価値を見出すかという個人的な見解です。そして、その価値によって、優先順位づけをします。それは、個人的であっても、その地域、文化、風土に影響されます。例えば、水が貴重な国では、水に価値を持ちます。また、その価値は時代によっても変わってきます。その時代を生きるうえで、何が価値があるかということが違ってくるからです。また、個人的にも、人生の節目によって変わってきます。例えば、結婚すると家庭に価値を持ち、子どもができると子どもに価値を持ちます。それは、人生観ともいえる個人の人生における価値観です。よく、死に直面した時、仕事に失敗した時、他人は大きく人生観を変えることがあります。

 リーダーとって、どのようなリーダーシップ・スタイルをとるかは、そのリーダーの人生観によるところが大きいのです。逆に、自分の根底にある人生観を理解することによって、「理想の自分」にどのような価値観が反映されているかが見えてくると言います。それについて、ゴールマンは、こんな例を挙げています。あるコンサルタントは、重要な価値観として、「家族」を挙げました。「彼は、週5日出張して、妻や二人の子供と離れて暮らす。それでも、彼に言わせれば、家族のために十分な金を稼いでいるのだから価値観に沿って生きているのだ。」と言います。一方、ある管理職の人は、「毎晩、妻や子供とともに夕食をとるために昇進を断った。」この例のように、同じ価値観を持っていても、どうしてこのような差が生まれるのでしょうか。

 こうした差異は、自分の価値観をどこまで理解しているか、どこまで価値観に沿って行動するか、あるいは価値観をどう解釈するか、という点の違いが表れたものだといます。当然、人材や組織や活動に対する評価の仕方も大きな差異が出てきます。それは、「経営哲学」の反映であるとゴールマンは言います。そして、その差異を、典型的な経営哲学として、「実用派」「知性派」「人道派」と分類しています。
 
 「実用派」は、アイデアにせよ、努力にせよ、人間にせよ、組織にせよ、「有用性」こそが価値を決めると考えます。このタイプは、人生とは大半が自己の責任に帰するものだと考えます。そして、物事の価値を数字で測ろうとします。
 
「知性派」は、人間や物事や世界がどう動くかをイメージ化して理解し、先を読み、心の準備をしておこうとします。そして、論理に基づいて意思決定します。物事の価値は合理的なガイドラインに照らし合わせて評価します。もっぱら、認知的能力に頼り、社会的能力は捨象してしまうきらいがあります。

 「人道派」の中核をなすのは、親密な人間関係こそが人生に意味を与えると思っています。そして、家族や親友を他の人間関係よりも重視します。事業や活動の価値は、それが自分の大切な人間関係にどう影響するかで決まります。職場でも、仕事やスキルの習得よりも忠誠心を重視します。実用派が「多数のためなら少数を犠牲にする」道を選ぶのに対して、人道派のリーダーは、どの人も等しく尊重しようとします。当然、社会認識と人間関係の管理に優れています。

 これらのどのタイプが「より優れている」ということではなく、自分の根底にある人生観を理解することが必要なのです。

総合的展望

 先日、スウェーデンのリンショーピング市にある12園の統括保育園園長であるエバ・エズゴーデンさんが、園の見学に来た際に「職員の人格をどう考えていますか?」と聞かれました。私は、「保育者は子どもたちのしもべではありません。また、子どもに尽くす人、面倒を見る人でなく、子どもたちと共に生活する人だと思っています。」と答えました。それに対して、「全く同感です。」と言われたのですが、そのあとにこう言われました。「日本の園を見て歩いて、胸が痛むことがありました。どの園に行っても、保育者が赤ちゃんと食事をするときに、子どもの座る小さい椅子に座っています。もっとかわいそうなのは、保育者が床に座って食事をあげているのを見たときです。」それは、私の園では、ハイチェアに座っている赤ちゃんに、保育者は大人の椅子に座って、食事をあげています。その姿を見たからでしょう。

 どうも、「こども主体」「子どものため」「子ども中心」ということが、「大人は犠牲になって子どものために尽くす」というように考える人がいます。しかし、本来は、「子どもの立場に立って」ということであり、「子どもの主体的な生活を保障する」とか、「子どもの自発的な活動を促す」ということなのです。

 また、どうしても日本では、職場に家庭のこととか、プライベートなことを持ち込まないとか、公私混同しないということが言われることが多いようです。しかし、欧米などでは、職場のデスクに家族の写真を置いておくとか、会議で家族のことを話したりする湯です。家族も大切にできない人は、仕事もできないと考えることが多いようで、家族を犠牲にして、家族のことは忘れて会社のために働くということが求められる日本とは違うようです。

 リーダーシップ能力を向上させるために、セミナーに参加し、本を読み、麺たーから指導を受けても、それはいつの間にかそのまましまいこまれてしまうことが多いようです。リーダーシップの育成とは、本来そのような「キャリア・プランニング」よりずっと広い視野を持ってスタートすべきだとゴールマンは言います。すべての要素を考慮に入れて人生を見渡せる場所からスタートすべきなのです。例えば、「将来のある時点での自分」を、1人称で今実際に起こっているように書いてもらった文を紹介しています。

「わたしは自分の会社を経営しています。従業員10人の、よくまとまった会社です。娘とは良好でオープンな関係を楽しんでいます。友人や仕事仲間との間にも、同じように信頼できる人間関係ができています。わたしはリーダーとしても親としてもリラックスした幸せな日々を過ごしていて、自分の周囲の人々に愛と力を与える存在になっています。」

 このように、人生を総合的に展望したおかげで、人生のいろいろな要素がどのように関わりあっているかが見えるようになります。そして、この夢を現実のものにするための計画づくりが仕事への熱意を高め、自分を元気づけてくれます。家庭のことも、地域との関係も、人生の様々な要素が仕事に影響します。そのかかわりが見えてこそ、仕事への見通しがたたるのです。そして、見通しがたたることで、その道筋が見えてきます。そうすると、確実に進むことができるのでしょう。

 リーダーにおいて、見通しが立っていることは、部下に安心感を与え、取り組むべき課題が明確になります。「仕事一筋」とは、「仕事のことしか考えない」ことではなく、「仕事を総合的な展望の中でとらえる」ということなのです。

理想の自分

 子どもたちの発達で重要なのは、「自発的な活動」です。いくらよい環境を用意しても、自らその環境に働きかけていかなければ、その環境は、子どもたちに作用しません。同じように、リーダーになるための学習も、最も大切なことは、「自発的学習」です。それは、現実の自分と理想の自分を意識的に向上させ、強化していく努力であるとゴールマンは言います。そのためには、まず、「理想の自分」のイメージをはっきりと想定し、「現実の自分」を正確に知ることが必要です。理想に向かって、今の自分はどうなのかということがきちんと押さえられてならば、変化のプロセスと達成までのステップをきちんと把握することができ、それができれば、自発的な学習は効果的かつ持続的なものになると言います。

 そのモデルを、組織コンサルタントのリチャード・ボヤツィスが、リーダーシップ育成の研究の結果、開発しました。そこには、五つの発見があるとしています。この発見を経て、リーダーに必要なコンピテンシーを身につけます。そして、この学習は、繰り返し行われ、また、行きつ戻りつ、ゆっくりと、時には急に進んでいきます。そして、新しい習慣を時間をかけて練習していくうちに、それが新しい自分の一部になっていきます。習慣やEQやリーダーシップ・スタイルが変化すると、夢や希望や理想像も変わっていき、学習のサイクルは続き、リーダーは一生かけて成長していくと言います、

 その第1の発見は、「理想の自分」です。自分は、どんな人間になりたいのか?人生や仕事に何を求めるか?それをはっきりと描くことです。そして、自分の目指す姿が見えてくると、リーダーシップ能力を向上させたいという意欲が湧いてくると言います。それは、向上への熱意と希望を掻き立て、こんなんで険しい努力を支えるエネルギーとなります。そして、その情熱は部下たちの意欲をも掻き立てます。このエネルギーには、長年の習慣を変えるための大きなパワーが必要になります。思考や行動の習慣を変えるには、何十年も繰り返し強化されてきた神経回路を変えなければなりません。だからこそ、継続しうる変化を達成するには、自分の理想に向かって進んでいこうとする強い決意が必要なのです。

 人は変化することに臆病になります。変化することに不安を持ちます。いろいろな理由をつけて、変化を避けます。人間がやる気や希望を起こさせるのは、前頭葉前部の左半分です。その部分が活発に働くと、理想を達成した時どんなに素晴らしい気持ちになるだろうという想像が働いてやる気が出てくるのです。そして、障害を乗り越えることができるのです。反対に、先の不安ばかり気にしていると、前頭葉前部の右半分が活発に働きだして、悲観的になり、意気消沈してしまうのです。

 この時に気を付けなければならないことがあると指摘します。それは、親や配偶者や上司や教師が、「○○になりなさい」と言うとき、それは彼らの目から見た理想像であって、「あるべき像」を押し付けていることになるのです。それを受け入れれば、当人は箱に閉じ込められることになってしまいます。組織でも同じだと言います。会社が個々の社員の夢や成功を無視して、「昇進と出世こそすべて」という前提で働くならば、職場が社員に「あるべき像」を押し付けることになってしまいます。そうした状況が続くと、理想像はぼやけはじめ、夢が見えなくなってしまいます。

「あるべき像」と「理想像」を取り違えて納得できない生き方をしてしまわないように、リーダーは、自分の理想像を見出すステップが重要になってくるのです。

自分自身

 先日、あるシンポジウムで、登壇した私ともう一人に対して会場のあるお年寄りからこんな質問がありました。「確かに、あなた方の園の子どもたちは幸せかもしれません。しかし、私の孫の通っている園は、それほどよくはありません。また、全国にはひどい園も多くあります。行政のひどいところもあります。そのような人たちはどうすればいいでしょうか?」という意見です。それに対して、もう一人のシンポジストの方は、こう答えました。「私は、自分の園のことでいっぱい、いっぱいで、そんなことなど考えられません。」

 この回答に対して、最初は、「えっ?」と思ったのですが、その真意を聞いて納得しました。それは、「まず、自分の園をしっかりしなければ、他の園のことなど言えませんから。」

 確かに、講演などで立派なことを言っても、「自分はどうなのか?」と突っ込みたくなる人が多くいます。保育についても、自分の園の保育をきちんとしていないのにもかかわらず、評論家気取りで他の園のことを批判したり、行政に食って掛かっているのを見ると、なぜか信用できなくなってしまいます。私は、どうしても「自分のことを棚に上げて!」と思ってしまうのです。

 リーダーは、他人を導く立場であったなら、まず、自分に真摯でなければならないと思っています。職員に、理念を理解してもらおうと思ったならば、まず自分自身のビジョンや価値観をしっかりと見つめ、安定した前向きの感情を抱き、そのうえで集団の感情に耳を傾けるようにすれば、人間関係の管理能力を発揮して共鳴を起こすことができるのだとゴールマンは言います。そして、新しいプロジェクトに対しる熱意には、人々を正しい方向へ導くという目的がなくてはならないと言います。そして、そこには、社会的スキルに優れていなければなりません。独力では、達成できないからです。行動を起こすべき局面が到来する時までに、すでに必要な人間関係を作っておく必要があります。

 リーダーシップの基本的課題とは、説得力あるビジョンを提示して人々を鼓舞し、動かしていく能力を持ち、共通のミッションに向かって人々を駆り立てることが出来なければなりません。優れたリーダーは、人々の心の中で最も大きな価値を持つ者こそ人々を最も強く動かすものだと知っていると言います。自分自身の根本的な価値観を認識しているリーダーが表明するビジョンには、本物の響きがあると言います。優れたリーダーは、集団のミッションのもとに人々を結束させることができるので、自信を持って方向を示し、部下を導いていけるのです。ゴールマンは、こんな言葉を紹介しています。「私は個人商店のようなものですよ。チームも持たないし、力もない。人材は、他のプロジェクトと共存です。どうしろこうしろと命令することは、できません。でも、みんなの問題意識に訴えて説得することはできます。」

 園には、職員というチームがあります。その職員の中には、保育や調理、保健、用務、事務職というそれぞれの部門があります。大きくなると、その部門には、それぞれチームがあり、リーダーがいます。また、さらに、保育士は、各クラスでチームを組み、そのチームにもリーダーがいます。それぞれのチームには、それぞれ課題があり、それをチームで達成していかなければなりません。しかし、園の理念の達成に向けては、各部門をこえてチームとして働かなければなりません。そうでなくても、園では子どもの発達の連続性を保障するために、各クラス、各職種をこえて一つのチームとして取り組まなければなりません。園長は、それらのチームをまとめるために、高い機能性が求められます。そのために、密で、円滑な人間関係を構築し、全員が情報を共有して効率的に協調しあう体制を作らなければならないのです。

 リーダーは、人間関係のスキルと活かしてEQを発揮するだけでなく、EQのコンピテンシーを巧みに組み合わせて、特徴的なリーダーシップ・スタイルを作り上げていかなければならないのです。

共感能力から人間関係

 先日、ある人と話をしている中で、「最近の保護者は、どこの話を聞いても苦情が多く、また、要求が多くて困る」という話になりました。その話の中で、私は、私の園では、「要求や苦情が多くて困るというのではなく、保護者も一緒に考えていこうとしてくれる保護者が多く、とてもいい保護者が多いので、この良好な関係は、子どもの発達に良い影響を与えている」という話をしました。心の中の不満や不安は、子どもにはよくない影響を与え、子どもの発達の影響してしまうことが多いからです。すると、相手の方が、「では、保護者の要求を、なんでもかなえてあげているのですか?」と聞かれたので、私は、「迎合と共感は違います。」

 職場において、共感はとても重要なことですし、リーダーには、この共感力が必要になります。しかし、共感は、「ぼくもOK、きみもOK」などという甘ったるい関係を意味するものではないとゴールマンは指摘しています。集団の感情に追従したり、全員に気に入られようとするのがリーダーの役割ではないからです。そうではなく、共感とは、皆の気持ちをよく考慮したうえで、聡明な決断を下すことなのだと言います。そして、何よりも重要な点は、共感が共鳴を可能にするということだといます。共感を欠くリーダーの行動は、不協和感を招いてしまうのです。

 この共感力をリーダーの資質と言われますが、私は、人と人が接するときに重要なことだと思っています。他者の気持ちや見方を把握できたり、的外れな言動を防ぐ強力な感情誘導システムを持っていることは、社会的能力の中でも必須な条件です。人の話に耳を傾ける姿勢を持ち、親しみやすく、相手の話を注意深く聞き、相手が本当に言いたいことを理解し、的を得た対応をする。この能力を持ったリーダーは、人材確保においても有利になります。優秀な人材を育て、確保しておくのに、優れた才能が引っ張りだこの今日においては、その重要性はますます高まっていると言います。共感能力に欠けるリーダーは、才能ある人材が、大切な情報と共にその職場を離れている主要な原因の一つになっているというのです。

 ゴールマンは、リーダーに自己認識、自己管理、社会認識のさん要素がそろって、最後のEQである「人間関係の管理」が可能になるといます。それは、他者の感情をどう扱えるかにかかっているのだと言います。それはとりもなおさず、リーダーが自分自身の感情を知り、部下たちの感情を組むということだというのです。それは、まさに、保育者が子どもとの関係において当てはまることです。

 リーダー(保育者)の言動に作為が見え隠れしたら、部下たち(子どもたち)は嘘を敏感に感じ取り、直観的にリーダー(保育者)に不信を抱くでしょう。そうしてみると、人間関係をうまく管理(保育)するには、まず自分の本心から行動する誠実さが必要だとわかります。と、リーダーを保育者に当てはめると、すべてではありませんが、随分と共通なところが見えてきます。それは、保育という仕事は、人間同士のかかわりの問題だからです。それが、小学校以降の教育と大きく違うひとつであるところです。

そして、保育のモデルが、園長が職員に対する行動でもあるのです。園長が職員に共感しなければ、保育者は子どもに共感しませんし、園長が職員に誠実でなければ、保育者は子どもに誠実にはならないのです。

クール

 私は、リーダーの条件の一つに「私心を持たないこと」があります。リーダーは、自分の思いだけで人を引っ張るべきではないと思っています。多くの人と共に仕事をするのであれば、その仕事は、多くの人にとって意味あるものでなければならないと思っているからです。特に、教育、保育の分野は、人としての生きる道であり、遺伝子を次世代につないでいく大切な仕事であると思っていますので、個人的な感情からだけで行ってはならず、パブリックな仕事でなければならないのです。

 また、私は、相手がたとえ子どもであっても、「真心を持って接する」ことが重要であると思っています。「私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること」を、辞書には「誠実」と書かれてあります。ということで、私は、「リーダーたるものは、誠実であれ」と思っているのです。ゴールマンは、誠実なリーダーとは、自分の気持ち、信条、行動を正直に見せる「透明」であることと言っています。そして、誠実さとは、情動をコントロールし、後悔するような行動に走らないこと、また、自分の価値観を守って生きることであるとしています。

この「透明性」は自己管理につながります。誠実なリーダーは、自分を自分以外のものに見せようと考えません。誠実さは、「自分の行動が、自分の価値観と矛盾していないかどうか」に尽きると言います。EQの高いリーダーは、誠実さを備えており、透明性を問われても動じることがありません。結局、リーダーとして最も責任ある行動とは、自分の精神状態をコントロールすることだと言います。この精神をコントロールする姿勢を、最近は「クール」というそうです。ミュージカル「ウエストサイドストーリー」の中で、復讐に燃え、気を高ぶらせているメンバーに、新しいリーダーが「クール」という歌を歌って、気を静めるシーンを思い出します。

リーダーは、自己認識をし、自己管理をし、次に「社会認識」が必要になってきます。社会認識とは「共感する力」です。それは、人と人との関係に中では重要なことです。しかし、リーダーは、ただ共感するだけでは、いけないのです。リーダーにとって必要なのは、他者の心を打つメッセージを表明する能力だと言います。確信を持って自分の気持ちを表明できるリーダーから、共鳴は周囲に広がっていくのです。なぜなら、その気持ちとは、本心から発したものであり、価値観に深く根ざしているからなのです。

EQの高いリーダーは、楽観や同情や連帯を感じさせる夢を言葉にし、明るい未来を語ることで人々の心を動かすのです。そこで、私は、リーダーは「語る力」が必要だと思っています。「語る力」とは、「他者を感動させる力」だけでなく、「他者を前向きの気持ちにさせる」ことも必要です。このようなメッセージは、前頭葉前部の左側に集中した明るい感情を喚起すると言われています。また、脳のこの部分は、モチベーションのカギも握っているので、前向きのビジョンが広まると同時に、集団は共通の目標を得て燃え上がるのだそうです。

江戸時代の終わり頃、貝原益軒は養生訓の中で、次のように書いています。「心を静かにしてさはがしからず、いかりをおさへ、欲をすくなくして、つねに楽しんでうれへず、これ養生の術にて、心を守る道なり」この言葉が、現在、脳科学的に解明されてきています。

自己管理のEQ

 子どもたちは、生活の中で「負の状況」に陥った時に、愛着存在がそれを支えてくれます。というより、子どもたちが負の状況に陥った時に、それから立ち直るために、母親を中心とした身の回りの大人はその子と愛着形成をする必要があるのです。以前、その王な話をしたときに、リーダーが負の状況に陥った時にはどうすればいいのかという質問を受けたことをブログで取り上げましたが、実は、リーダーが不満や怒りや不安やパニックなど負の感情に支配されてしまうことは、非常に困った状況を引き起こします。

 それは、負の感情は、圧倒的に支配力を持っているからです。脅威を感じたときに注意を促すため、脳はそのように働くようにできているのです。その結果、負の感情が「考える知性」を圧倒してしまい、経営戦略であれ、株価下落への対応であれ、目の前の課題に集中できなくなってしまうとゴールマンは言います。

 怒りや不安に駆られた状態の脳をCTスキャンで観察すると、扁桃体と前頭葉前部の右半分から扁桃体へつながる神経回路が活発に働いていることがわかるようです。快の気分を生み出す脳の回路は、前頭葉前部の左半分に集中しており、これが苦痛を増幅させる扁桃体やそれにつながる部分の活動を禁じているのです。人を苦痛の虜にする扁桃体の働きを抑制するうえで重要な働きをしているのは、前頭葉前部の左半分なのだと多くの科学者たちは考えているようです。この神経回路のおかげでリーダーは感情を静め、自信と熱意に満ちた雰囲気を保つことができるとゴールマンは言います。

 この負の状況に関して、ゴールマンはリーダーシップ論として述べていますが、実は、リーダーに限らず、負の状況に陥った時の対応は、すべての人に言えることです。そして、それは人との関係においてもいえることです。例えば、前頭葉前部の左半分の働きが特に活発な人、いつも明るい人と、意見が異なる相手にけんか腰で突っかかる性癖のある人を対峙させると、明るい人がけんか腰の人をなだめてしまうケースが多いと言います。怒りぽい人は、相手をイライラさせて、そのうちに相手まで怒らせてしまいます。言い換えれば、開回路のせいで、イライラしている扁桃体は、相手の扁桃体にも動揺を与えてしまいます。ところが、相手が同じような攻撃性を示さず、あいかわらず明るい空気を保っていると、興奮した扁桃体は鎮まるチャンスを与えられるのですが、少なくともそれ以上興奮することはなくなるのです。

 プレッシャーのもとでも、楽観的で明るい気分を維持できるリーダーは、前向きの気分を発散し、共鳴を起こします。自分の感情や衝動をコントロールできるリーダーは、信頼や安心や公平感に満ちた環境を醸成することができます。しかも、自己管理をするリーダーの姿勢は、下の者たちに伝わっていきます。いつも沈着冷静な上司のもとで、短気のレッテルを貼られたいと思う部下はいないはずです。

 このように、自己管理は人間の感情を縛り付けるものから解放するEQだとゴールマンは説明します。リーダーシップに必要な明晰な思考力や集中力を可能にするには、自己管理のEQだと言います。破壊的な感情に襲われて脱線する危険を防いでくれるのも、自己管理のEQだと言います。自己管理のEQを身につけたリーダーは、明るく楽観的なエネルギーを発散し、人々を前向きに共鳴させる力があるのだというのです。

 これらすべて、EQにとって不可欠な要素なのです。

腹の底から

 大笑いをすることを「腹の底から笑う」ということがあります。それは、腹をかかえ、ひっくり返って大笑いする、という意味で、四字熟語でいうと、「棒腹絶倒 ( ほうふくぜっとう )」といいます。また、ふに落ちるとか、合点がゆくことを「腹の底から納得できる」といいます。これを、「心腹に落つ ( しんぷくにおつ )」といいます。

 ゴールマンは、直観についてこう説明します。人は、日々の経験を積み重ねるごとに、脳は決断の公式を導き出し、因果関係を学んでいきます。脳は、黙々と学習を続け、その経験から知恵を蓄積していきます。年を取るにつれて専門的スキルを新たに習得する能力は低下しても、経験から得た知恵は生涯にわたって増え続けます。そして、決断に迷うたびに、脳は蓄積してきた公式を当てはめ、最も賢明な結論を導きだします。脳は、こうした決断を言葉で知らせてくることはありませんが、情動の脳が大脳辺縁系からはらわたにつながる神経回路を刺激するため、私たちは、「しっくりくる」感覚を得ます。扁桃体が消化器系につながる神経回路を通して伝えてきた結論が、「腹の底から納得できる」直観として感じるわけです。

データでは処理しきれない複雑な意思決定を迫られた時、直観が正しい方向を示してくれます。実際、無意識の学習に関する研究が、最近になって直観は新しく脚光を浴びるようになってきているそうです。要するにEQの高いリーダーのように経験を蓄積した知恵袋に直観でアクセスするためには、自己認識に基づいて自分の内なるメッセージに耳を傾ける能力が必要なのです。

情動のような感情が、消化器系につながる神経回路を通して伝わるために、心の問題が、「腹」に関係してくるのですね。「腹が煮えくり返る」とか「腹に据えかねる」のような表現が多いのですね。また、私は、経験から知恵を蓄積するということを聞くと、それはリーダー論ではなく、乳幼児に当てはまる考え方でもあるのではないかと考えています。それは、乳幼児期においては、大人からの注入方式で知識を蓄積するのではなく、生活と遊びの中で様々な経験をする中で、知恵を蓄積しているからです。逆に言えば、乳幼児期で大切な保育とは、何かをさせる、覚えさせることではなく、生活と遊びの中で様々な経験をさせることであり、経験を豊富にするような環境を用意し、言葉がけ、働きかけをすることなのです。

子どもこそ、直観で物事を判断し、行動します。その直観は、人として生まれながら持っているものと、短い人生ながらも様々な経験の蓄積から決断の公式を引き出していくのです。そして、経験不足を、社会的認証といって、経験豊富な大人の視線や表情から学んでいきます。それらの蓄積が子どもの直観力を支えていると思うのです。それらを考えると、乳幼児教育とは、大人が何か教えるものではないこと、多くの経験を支える必要があること、その経験には、人との関係が大きく影響するために多様な人とのかかわりが必要であること、しかし、そこで接する大人は、逆にトラウマを作ってしまう可能性が強いことから、子どもへの対応に気を付けることなどが考えられます。

食べ物の好き嫌いを何度も注意されてくる子は、その経験が消化器系につながっているゆえに、食べることを直観的に拒否してしまうようになることがわかります。