楽しい挑戦

ガードナーは、人には様々な知能があるにもかかわらず、現在、学校では、狭い知能観によって測定される能力を重視し、本来、人として生きていく上でもっと大切な能力に目を向けていないのではないかという指摘はよくされます。それは、同じことをやるにしても、そのやり方、そのものの価値、それらは、様々です。最近、学校での体罰が問題になっていますし、柔道の強化選手への体罰が問題になっています。確かに、例えば金メダルをとることは価値あることかもしれません。そして、それを目指すとしたら、かなり苦しさを伴うかもしれません。それを乗り越えるために努力する必要はあります。また、受験をするときでも、入学試験を突破するためには、努力は必要かもしれませんし、つらく苦しいときもあるかもしれません。今回の体罰のことから、それらの苦しさを体験させること、頑張ること、それらまで否定するような風潮になることは少し違う気がします。

ただ、今回の柔道の体罰の問題は、監督一人の価値観からの指導、監督の思う結果だけに価値があると思ったこと、柔道の強さを狭い範囲でしかとらえず、もっとさまざまな価値、一人一人の特性に気が付かなかったことが問題だと思います。ANAの機内誌に盲目のピアニストの辻井伸行さんの記事が掲載されています。

彼が5歳の時、家族でサイパンに行ってショッピングモールを歩いているとき、自動ピアノの音が聞こえてきました。その音を聞いた辻井さんは、心を躍らせて「弾きたい!」と言い出したそうです。母親は、断られるのを覚悟で店員さんに頼むと、特別に自動演奏をストップさせ、辻井さんを椅子に座らせてくれました。楽しそうにピアノを弾く辻井さんの周りを観光客が取り囲み、笑顔で聞き入り、弾き終えたときに「ブラボー!」の声が上がり、みんなが辻井さんに近寄り、抱きしめる人もいたそうです。その時、人前で弾く楽しさを知り、「挑戦」が始まったと辻井さんは言います。しかし、辻井さんの言う「挑戦」は、拳を握りしめて立ち向かう厳しい挑戦ではなく、楽しい挑戦だそうです。「今の自分」とは、ピアノを弾くのが楽しくて仕方がない自分なのです。彼は、「性格でしょうね。難しい曲を抱えたプレッシャーのかかるコンサートでも、弾き始めると、もう楽しくて」と語ります。

ガードナーは、人には音楽的知能というものがあることを挙げています。確かに、曲を作るとか、あるいは演奏するとかはきわめて知性的な活動であり、それらの音楽が、私たちの日々の生活に豊かな恵みを与えてくれます。辻井さんが、文字だけの価値観に置かれたら、彼の挑戦はただ苦しいだけで、決してその成果は生まれなかったでしょう。また、ピアノを弾くときでも、手をたたかれ、怒られながらの挑戦は、決して実を結ばなかったでしょうし、それは決して将来伸びていかないでしょう。彼の「楽しい挑戦」が、苦しさを乗り越えさせるのだと思います。

よい指導者とは、「楽しい挑戦」をどのくらい提供できるかにかかっているのです。辻井さんの恩師の川上さんは、生まれつき目が見えないために譜面が見えない辻井さんのために、特別に録音した「譜読みテープ」を作成したのです。辻井さんは、「12年間、先生との二人三脚の挑戦があったから、今の自分があるのです。」と語っています。

学校の先生も園の保育者も、子どもたちの楽しい挑戦を与えられるような能力を持ってほしいと思います。それには、広い視野が必要です。