待つ

 以前、不安の気持ちと成長の関係を調査したことがありました。その時に、子どもが何か不安を抱えているときには発達に影響するということがわかっただけでなく、職場にいる母親が不安を抱えたときには、園にいる子どもの発達に影響しているだろうということがわかりました。この関連は、成長に影響するだけでなく、俗にいう勉強にも影響します。情動ストレスが知性の明晰さをいかに阻害するかがわかっています。心に不安や怒りや憂鬱を抱えている生徒は、勉強が頭に入らないのです。これは、たぶん誰でも経験したことがあると思いますが、強い不快情動は意識を自己の関心ごとに向けさせ、それ以外のことを見えなくしてしまうのです。何をしていても特定の感情が顔を出して他のことが考えられない、注意を集中できないのです。

 認知科学で、当面の課題に関連する情報を頭にためておく知的能力である「作業記憶」という能力があります。作業記憶という能力は、電話番号の数字を一時的に記憶するというようなありふれたものから、小説家が思い描く物語の構想のように複雑なものまで、様々あります。この作業記憶は、人間の知的活動を取り仕切る最高の管理機能で、完結した文章で話したり、ややこしい論理的命題に取り組んだりするような、すべての知的活動を可能にしている働きをしています。この作業記憶が、情動が乱れて注意が集中できなくなるとうまく機能しなくなるそうです。それは、作業記憶を担当するのは、前頭葉皮質で、そこには情動が集まっている場でもあるからです。

 逆に、熱意や地震などプラスの動機づけは、目標を達成するうえで大きな役割を持ちます。試行し、計画を立て、高い目標にむかって訓練を受ける、問題を解決する、といった知的な能力を情動が阻害するか、助長するかによって、生まれた才能をどこまで発揮できるか、人生でどこまで成功するかが決まると言います。また、自分のやっていることに熱意や喜び、あるいは適度の不安のような情動による動機づけがあるかどうかによって、目標達成の度合いも違ってきます。

 私の園では、何かを始める前に子どもを待たせることをします。食事も、ほぼ全員がそろうまで待つことをします。それは、かつての一家団欒での食事の効果に、みんなが揃うまで待つということがあるからです。最近、子どもを待たせることを避ける傾向があります。子どもを待たせてはいけないということで、自分で準備ができた順に食事をしたり、ある人数がそろい次第食事を始めることが多いようです。しかし、情動をコントロールし、衝動を我慢する能力が人間にとっていかに基本的であるかが研究でわかり始めています。

 1960年代に、スタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミシェルの研究によると、4歳の園児の時に待つことができた子は、青年となった時点でより高い社会性を身につけていたことがわかったのです。その研究は、4歳の園児の前に大好きなマシュマロを置いておき、それを食べないで一定時間我慢させるというものでした。その結果、我慢して待っていた子は、対人能力に優れ、きちんと自己主張ができ、人生の難局に適切に対処できる力がついていたのです。少々のストレスで破綻したり行き詰ったりすることが少なく、困難な課題にも進んで立ち向かい、難しそうだからといって投げ出したりしません。自分に自信を持ち、信頼に足る誠実さを持ち合わせており、いろいろなプロジェクトに率先して参加します。

 逆に待てなかった子には、いろいろな問題点が見つかったのです。

待つ” への6件のコメント

  1. ミシェルのマシュマロ実験は面白いですね。

    ≪4歳児たちを小さな部屋に招き、マシュマロを前に置いた。「いま食べてもいいけれど、15分間待つことができたらもうひとつマシュマロをあげる」「途中で食べたくなったら、ベルを押せば食べられる(もうひとつのマシュマロは無しになる)」と子どもに伝えて、実験者は部屋を出た。ほとんどの子どもたちは待つことを選んだが、ベルを鳴らさずにすぐ食べてしまった子どももいた。≫

    待つことに成功した子どもたちは、マシュマロを見ないようにしたり、髪をいじって気を紛らわしたり、マシュマロをおもちゃにして遊んだりして、少しでも気をそらす工夫をしました。大脳新皮質の理性が情動を抑制しようと活発に動いていたのです。

    この実験から12年後、ミシェル氏は、マシュマロ実験に参加した被験者のその後を調査。その結果、1分以内にベルを鳴らした子どもたちは、学校でも家庭でも行動上の問題を抱えている率が高いことが分かった。教室での問題行動も多く、かんしゃくを抑えるのも難しかった。そして、15分待てた子どもは、30秒しか待てなかった子どもよりも、SAT(大学進学適性試験)のスコアが平均して210点高かったそうです。

    見守る保育の給食のように、「待つ」という経験を保育に組み込むことが、脳のストレス耐性機能?情動と理性のバランス―を刺激することになります。「かわいそう」とは保育現場でよく使われる言葉ですが、この言葉がかなり曲者で、情緒性ばかりに流されていると、子どもの発達を損なって、子どもたちに後々それこそ可哀そうな人生を送らせることになります。情緒性よりも科学的な専門性が今の保育の現場には求められます。

  2. 情動の重要性がよく分かります。誰もがつき合っていかなければいけない情動をいかにコントロールすることができるか、そのことによる影響はかなり大きいんですね。確かに強い不安を感じているときは、それを忘れていつも通りにことを進めていこうと思っても全く集中できないですし、例えば本を読んで忘れようと思っても内容が全く頭に入らず読み進めることができない状態になります。そのような状態をうまくコントロールするために乳幼児期に体験しておくべきことがあるということは、多くの人に知ってもらいたいことです。「子どものため」という言葉のもとに単に快適さを与えるとか、知識を早くからたくさん教え込んでいくこととか、そんなことに力を注いでしまうのではなく、待つ体験や集団だからこそ必要な相手のことを考えながら自分の行動を決めていくことなどを大切にしなければいけないですね。

  3. 不安や悩み、そういった感情と作業との関連性はとても興味深いですね。確かに悩んでいるときは作業に身が入らないことが多いですし、落ち着かないことが多いです。また、そういった気持ちが成長発達にも影響が出るということは保育をする上で頭のなかに入れておかなければいけないことですね。「情動」やEQを養うということは乳幼児期の保育に大きく関わり、意識してそういった環境を持てるようにしていくことがより子どもたちに今後必要になってくることなのだと思います。今回、「待つ」ということが取り上げられましたが、最近「待つ」ということが私の周りでも話題になりました。「待つ」ということは必要だが、その待たせ方にも工夫がいるのではないかというのが主な内容でした。子どもたちにとっては「待つ」ということや「我慢する」といったことはなかなか難しいことです。しかし、そこでの待ち方を工夫するだけで、子どもたちにとってはその我慢できない感情やストレスを緩和できるようになると思います。
    子どもたちにとって必要なことはたくさんありますが、知識だけでなく、人間社会で生きていくことで必要とされるものにもっと目を向けることは大切であると思いますし、こういった事例や研究をもっと理解し、整理することは今後もっと必要とされてくるように思います。

  4. 情動ストレスは私も勉強に追われていた頃に、よく感じた思い出があります。

    『情動をコントロールする力を身につけられる環境』があるというのはとても大事なことだと思います。

    勉強や成績ばかりが求められる学歴社会では、そういった『情動をコントロールする力』を身につける機会が少なく、また無理やりにでも求められていることに対応しなければいけないという状況があると思います。
    そんな中では、怒りや不安、喜びなどの情動をコントロールするのではなく、捨てることにより対応していった人たちが、今の、あまり感情を表に出さず、人との関わりに魅力を感じない人たちなのではないかと思います。

    『待つ』ことや人間社会で必要な情動のコントロールを身につける環境を多く作っていきたいものです。

  5.  待つ行為を好きな人は、そういないと思います。ただ遊園地などでアトラクションを乗るのに数時間も待つ人はいると思いますが、その人達は待ったあとに最高の楽しみがあるから待てるのでしょうね。子どもの集中力は無いから待たせないと言って、給食や活動などをなるだけ待たせないように保育士が動くと思いますが、大人になって思うことは、遊びに行っても、外食をしても、基本的には「待つ」という行為が現れます。その時に待てないと言って、なんでも途中で諦めていたら、何もできないような気がします。待つ訓練というか、自分の情動をコントロールし、我慢できる能力はとても重要な気がします。実際にアメリカで行われた実験でも将来に大きな差が出るという結果が出ています。「待つ」ことの重要性を次回のブログを読んで学びたいと思います。

  6. 情動を完全にコントロールできた状態が「悟り」だと思っています。よって、私はまだまだ「悟り」には縁遠いな、と思っています。話は全く関係がありませんが、今の若者たちを称して「さとり世代」とマスコミ中心に喧伝していますが、私はこれは誠におかしい!と思っています。日本の仏教界は何故これに異議を唱えないのか?お釈迦様の「おさとり」を軽々しく使用しているようで嫌ですね。しかも私個人の「悟り」の定義から言っても誠にもって由々しき誤り!今どきの若者が「情動を完全にコントロールしている」とは思えませんが・・・もっとも、オジサン・オバサンたちよりは余程悟っているとは思いますが・・・。さて、話を今回のブログに戻して、「待つ」はやはり重要で、「果報は寝て待て」という諺もあるくらいで、何でもかんでも待たずにやる癖をつけると「急いては事を仕損じる」に繋がることもありますよ。「楽しい」ことの前には相当の「待つ」がなければなりません。さもなければ「楽しみ」が半減、四分の一減します。「待たせて可哀そう」という方は、余程待つことがない方で、イコール、楽しみを知らない方、なのでしょう。楽しいことには「待つ」はつきものです。私の田舎のお祭り好きの人々はその年のお祭りが終わった時から早くも来年のお祭りを楽しみに、つまり待って、一年の仕事に勤しむのです。・・・このことはもっと書きたいのですが、次回までのお楽しみ、ということで次回の機会を待ちますね。

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