共感

 保育所保育指針に中の「情緒の安定」の内容?には、「一人一人の子どもの気持ちを受容し、共感しながら、子どもとの継続的な信頼関係を築いていく。」と書かれてあります。この「共感」というのは、とても大切なことであり、子どもたちの「フロー」という状態に対しても、「共感」が必要になります。子どもと一緒になって、常に今起きていること、子どもが現在直面していることに、一緒になって興味・感心を示すことが必要です。他人がどう感じているかを察する能力は、子育てや教育だけでなく、セールスや経営や恋愛、あるいは気配りから政治的行動にいたるまで、人生のありとあらゆる場面で必要になるとゴールマンは言います。

 この「共感」についてゴールマンは、「情動の自己認識の上に成り立つものである。」としています。「自分の情動に心を開ける人ほど、他人の気持ちも理解できる。」というのです。それは、当然のような気がします。自分に気持ちもわからない人に、人の気持ちを察することができないだろうということは容易にわかることです。ということは、EQという社会的知性のない人は、共感はできないということになるのです。それは、思いやりのもとになるすべての信頼関係は、こころの波長を合わせる共感から生まれるものだからと言います。

 では、相手の感情をどのようなことから知るのでしょうか?人間は、言葉や文字を使います。それによって、相手に感情を伝えているかというと、多くは、言葉以外のしぐさで表現される方が多いのです。声の調子、身振り、表情などの非言語メッセージから読み取っているのです。では、その能力はどのように発達するのでしょうか。それは、私の園の職員が動画をとって観察しているのですが、まさに、乳児のころからこの共感をしたかのような行動を示します。生まれてすぐ、泣いている赤ちゃんに隣の赤ちゃんが動揺するのを、共感の初出であると考える研究者もいます。そして、泣いている赤ちゃんにつられて泣き出すのを、周囲の人間の不安を自分の不安として感じる能力を持っていると言います。

 現在、それらの行為は、脳の中の神経細胞であるミラーニューロンの役割であることは分かり始めていますが、最初は、他人の苦痛に対する一種の「肉体的模倣」であり、その模倣によって自分の中にも同じ感情が起こると考えたのです。また、行動自体も、まだまだ自分と他人とも区別がつかず、相手の泣いている姿を見ることで、自分の目の涙をふくしぐさをするということから「運動模倣」と言いました。そして、その行為を「同情」するということと分けて、「共感」としたのです。子どもは、他人が困っているときに周囲の大人がどう反応するかを見て、共感学習していくだろうと考えました。そして、子どもたちは見たことを模倣しながら、共感のレパートリー、特に困っている人に手を差し伸べる感受性を育てていくのだと考えたのです。

 コーネル大学医学部の精神科医であったスターンは、子ども自身が、「自分の感情は、共感を持って受け止められている。自分は受け入れられ、相手にしてもらっている。」と感じるプロセスを、自己感の発達理論の概念として「情動調律」ということを提唱しました。。この情動調律は、養育者(特に母)と子どもとのやりとりのなかで無意識のうちに行われる相互行動としました。母親は子どもの内的な状態や情動を読み取り、子どもに対する刺激を調整するとともに、子どもの情動や注意水準を調整しその欲求を満たしつつ(情動準備性)子どもの不快を取り除くとともに子どものネガティブな情動を調整していきます。

 これは、ケアの内容でもあり、教育のベースにあるべきものです。

共感” への7件のコメント

  1. なんだか今まで学んできたことが一気に登場してきている感じがします。共感、情動、非言語コミュニケーション、見る、真似るなどなど、やはり大事なことは全てつながっているということですね。これらが教育のベースにあるべきものだということは、毎日このブログを読ませてもらうことで教育のベースに触れ、その大事さを伝えてもらっていたことになるわけですが、それにしては自分にそれが定着していないことに、ちょっと反省させられました。毎日ブログを書き続けていただき、それを毎日読み続けることをまだまだ続けていかなければいけないということです。やめるつもりは全くなかったので別に変化はないのですが。今回も難しい内容なので、じんわりとゆっくりと受け止めることにします。

  2. 子どもたちが子どもたち同士の関わりの中から、感情を読み取り、共感していく…..子どもたち同士が関わる力、集団の力の大切さを感じます。
    そして、大人が子どもに関わる姿は子どもたち同士の関係を支える大切な要素になっているんですね。
    「子どもに任せる」ということももちろん大切なのですが、「任せる」前の大人のあり方や関わり方をもう一度しっかり見つめ直さないといけないなと自分の中の課題として、最近は強く思うようになってきました。

  3. 『EQこころの知能指数』第7章の「共感のルーツ」の言わんとするところは、かねてから藤森先生が主張されていた乳児保育における集団の重要性を証明するものです。赤ちゃんは母親との二者関係を安全基地にしながら、なおかつ同じ子ども族にも強い関心を持ち、喜びも痛みも共有しようとします。これは社会というネットワークのなかでは、共感の力なしでは生きていけない人間の本能です。まだ十分に言語能力を持たない乳児期だからこそ、非言語コミュニケーションが鍛えられるのです。同じ赤ちゃんが共同で生活する保育所では、子どもどうしの「非言語の会話」が飛び交っているのです。

  4.  「相手の感情を非言語メッセージから読み取っている」というのは、実感します。ここ数年でよく見聞きするようなった比較的新しいトラブルに、インターネット上の意見交換の場で生じるケンカがあります。非常に攻撃的なことばで相手をののしり合うそうですが、この原因の一つには相手の感情に関する多くの情報(非言語的なメッセージ)が、欠落しているからではないかと思います。ことば(文字)情報だけのコミュニケーションは、顔を見て話すのに比べ、情報量がずいぶん少ないのだと実感します。これはIT技術を活用したコミュニケーションの課題だと思います。またメールなどで、よく女性が活用する絵文字は、その足りない情報、特に「気持ち」の部分を必死に補おうとしているのだと思います。
     たまに思うのですが、インターネットの掲示板などで、ケンカをしている当事者が、せいが保育園のピーステーブルについて、話し合ったらずいぶん違う展開になるのではないかと期待しています。

  5. 「共感」という事がらについては、保育を考えていく上でかならず出てくる言葉ですし、それだけ重要とされるものであると思います。もちろん、共感するということは人間社会でも重要なことでもありますね。人との信頼関係を作る上でいろんな感情を受け入れることや感じることをします。それは言葉だけではなく、非言語に行われる物もかなり重要なことウェイトを占めることがありますね。こういったことは人の関わりのなかでしか、養われないものだと思います。そのため、やはり乳幼児期から集団というものは必要になってきますね。そこでの情動を自分で感じコントロールすることはとても大切なことだと思います。そういった環境のなか、大人のスタンスも大切なものなんですね。物的環境とは違い、人的環境は形で表されるものでないので複雑です。しかし、だからこそ、真摯的な対応が求められますね。遺伝子のことが発見されたり、通説が崩れることがよくありますが、しっかりと目の前の子どもの発達や姿を捉えていくことの必要性を改めて感じるとともに大人と子どもとの距離感についても改めて考えさせられます。

  6.  他人に共感することはとても大切な事ですね。正直、保育園で働くまで「共感」という言葉をそこまで意識したことがなかったので、藤森先生の講演やブログから「共感」の重要性をよく理解できました。もちろん大人になっても共感する事はあらゆる場面で重要になってきます。会社の営業で取引先に共感したり、接客でもお客さんの気持ちを理解する事が大切です。赤ちゃんが隣で泣いている赤ちゃんにつられて泣き出したり、泣いている姿を見て自分の目を拭う仕草などから共感することを身につけていくとなると、やはり子ども集団で生活することが、いかに重要なのか理解できます。また大人の行動からも共感を学んでいくというのは、保育士としての行動も自覚していく必要があります。

  7. 「共感」について今回のブログからも多くの学びが得られました。特に、赤ちゃんにおける共感行動は、ある赤ちゃんが泣いたら他の赤ちゃんも泣く、というところにあるのだということを確信しました。私たちは「つられて」泣く、と何だかウイルスが感染するように泣くことが伝染すると捉える傾向があるような気がするのですが、そうではなくて、赤ちゃんが赤ちゃんに共感している、つまり泣いている赤ちゃんに対して別の赤ちゃんが「そうだよね、泣きたいんだよね、その気持ちわかるよ」という気持ちを「つられて泣く」ということが実態だと把握すると、泣き合うことの意味がまったく別な意味を帯びてきます。そして「ミラーニューロン」の存在がさらにこのことを裏付けますね。赤ちゃんの時でも「ミラーニューロン」はあるわけですから、その神経細胞が働いて泣き合うことになり、さらにそのことによってやがて「共感」と呼ばれるさまざまなことが起こってくるとも理解できます。今回もよい学びを得られました。

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