豊富な経験

人は、いろいろな気質を持っています。それは、生まれつきか、後からついたものかということがよく言われますが、もちろん、生まれつき気質というものはあります。臆病であったり、楽天的であったり、慎重であったり、大胆であったりします。それは、その後の経験によって修正され、社会の中で生きる力に変えていきます。その経験とは、人とかかわる中で、また、社会の中で学んでいくものです。ですから、社会から学ぶ力が高い子どもほど、社会に適応できる力に変えることが可能になります。すなわち、EQが高い子どもほど経験に助けられて神経回路を修正しながら次第に社会に適応できる力に変えていくのです。

例えば、EQの高い子どもは、臆病な気質を自然に克服して、新しい同級生に話しかけるのをためらったとしても、いったん氷が解けてしまえば、こういう子どもたちは社会的に輝き始まます。このような成功を長年にわたって繰り返し経験するうちに、臆病だった子どもは、少しずつ自分に自信が持てるようになっていきます。臆病さを少しずつ克服できるとなれば、希望が湧いてきます。生まれつきの情動パターンでも、ある程度までは変えられるわけですから、この世に生まれたときは臆病だった子どもでも、情動を静める技術を学習し、さらに未知の世界へ足を踏み入れようとするまでに成長できるのだとゴールマンは言います。ということで、EQの高い子が、学習面でも優れ、将来成功する率が高いのでしょう。行動遺伝学者たちも、「遺伝子だけが人間の行動を決定するわけではない。人間を取り巻く環境、とくに成長過程で何を経験し、何を学ぶかによって、持って生まれた気質の表れ方は違ってくる。情動の可能性は、規定条件ではない。適切な学習によって改善可能な変数だ。それは、人間の脳の成熟過程が証明している。」と述べています。

脳の神経細胞は、生まれてから1,2歳までにその数においてピークであり、その後はそれを整理し、減らしていくということをブログでも取り上げましたが、それは、「刈り込み」と呼ばれるプロセスですが、その過程の中で、あまり使われない神経結合は失われ、よく使われる神経回路が発達していきます。余分なシナプスを廃止する「刈り込み」によって情動伝達における「雑音」の原因が取り除かれるので、脳内の信号/雑音比率が改善されます。「刈り込み」は、大脳新皮質全体にわたって短期間のうちに起きます。シナプス結合は数時間ないし数日の単位で形成されてしまいます。経験が脳に刻み込まれるのは、このような仕組みによるのだそうです。

こんな実験があります。あるネズミのグループは、はしごや踏み輪の様な遊び道具がたくさん用意されたゲージの中で飼育され、一方のネズミは、遊び道具のない殺風景なゲージで飼育します。この状態で数か月経過すると、遊び道具がたくさんあったグループのネズミの大脳新皮質ではニューロンが非常に複雑に絡み合った神経回路が発達したそうです。それに比べて、殺風景のゲージで飼育されたグループのネズミの神経回路は、まばらにしか発達しなかったそうです。両者の脳の発達の差は著しく、脳の重量にも差がついたそうです。また、迷路の問題を与えてみたところ、当然ながらその成績にも差が出ました。この実験は、サルを使った実験でも、経験が豊かなグループと経験が乏しいグループの間でも同様の差が生じたそうです。

ということは、人間でも同じはずで、赤ちゃんのころには、遊び道具が豊富の保育室の中で育てられるべきで、赤ちゃんが目移りするからとあまりおもちゃを置かず、殺風景の保育室の中で育てることは避けなければいけません。

生まれつきの気質

 子どもたちは、様々な気質を持っています。生まれつき非常に内気であると、穏やかであるとか、気難しい子もいます。この生まれつき持っている気質は、一生変わることはないのでしょうか。それを研究しているのが、ハーバード大学の発達心理学者であるジェロ―ム・ケイガンです。ケイガンは、人間には少なくとも4種類の気質があると言っています。それは、「臆病」「大胆」「陽気」「陰気」です。それぞれの気質は脳の活動パターンの違いから生じるものだという見解を示しています。

 しかし、これらの気質は、必ずしも運命を決めてしまうわけではなく、適切な経験を与えられれば変わってくるようです。まず、大切なのは親の接し方で、生まれ持った臆病の処理方法を親からどう教えられるかだというのです。ケイガンの研究チームが調べたところでは、母親たちの中には、臆病な我が子をありとあらゆる不安の対象から保護してやるのが親のつとめだ、という考えの持ち主が何人かいました。他の母親たちは、臆病な我が子が不安な状況に慣れて人生の小さな波風に適応できるよう手助けしてやるのが親の役目だと感じていました。親の過保護な姿勢は、かえって子どもの恐怖感を強くしているようだということがわかりました。たぶん、恐怖を克服する練習の機会を子どもから取り上げてしまうからだろうと考えられています。逆に「適応を学習」させる子育ての姿勢は、子どもを勇気づけるのに役に立っているのです。

 生後6か月の赤ちゃんを各家庭において観察したところ、過保護の母親は子どもがむずかったり泣いたりするたびに抱き上げてあやしており、子どもに適応を学習させようとする姿勢の母親に比べて抱いている時間が長かったそうです。赤ちゃんの機嫌がいいときに抱いてやる時間と、泣いているときに抱いてやる時間を比較したところ、過保護の母親は泣いている赤ちゃんを抱いている時間の方がはるかに長かったそうです。

 また、子どもたちが1歳前後の時点で、もう一つ相違点があるそうです。例えば、子どもが誤って飲み込むと危険なものを口に入れている場面で、過保護の母親は子どもの行動を制限することについて指示が手ぬるく率直でない傾向が強く、過保護でない母親は、きっぱりと限界を設けて率直に命令し、子どもの行動を阻止し、親の命令に服従させるケースが多かったそうです。親の断固した禁止の方が、子どもの恐怖心を克服させるのに役立つのです。

 ケイガンは、次のように結論しています。「不安に過剰反応する子どものために、良かれと思って挫折や不安をすべて取り除いてやる母親は、逆に子どもの不安感をひどくしていると思います。」言い換えれば、過保護の親は、臆病な子どもから未知の状況に直面していた時、自力で動揺を静める練習の機会を奪い、恐怖心を少しずつ克服する機会を奪っていて、逆効果をもたらす」ということなのです。それを、神経学的レベルでこう説明しています。「臆病な子どもたちの前頭前野の神経回路が、恐怖に対処する情動学習の機会をうまわれたということであり、それどころか、恐怖への対処に失敗する経験を繰り返すことによって、恐怖にとらわれる傾向がますます助長される恐れさえある」と言います。

 臆病な子どもでも、経験によって助けられて神経回路を修正しながら次第に大胆になっていけるものであり、特に社会的能力に優れた子どもは、臆病さを克服できる場合が多いのです。協調的で他の子どもと仲良くできる子ども、共感能力が高く、他人と分け合ったり、他人を思いやったりできる子ども、親しい友人関係を築くことのできる子どもなどは、4歳の時点で臆病な気質が認められても10歳ころには、それが消滅しているケースが多いようです。

育てられ方

 私たちホモ・サピエンスは、大きな脳を支えるために直立で立つようになりました。そのために産道は小さくなり、難産が余儀なくされました。それを少しでも軽減するために、小さく生まれ、出産が脳を急激に大きくします。脳は、新生児のサイズから、生後3?4歳児までに大人の3分の2のサイズにまで成長し、内容的にも一生で一番急速に発達します。この時期、人間は大切なことを、一生で最も多く学習し、吸収します。その中でも、最も重要な学習は、情動の学習だと言われています。情動の学習は人生の中でも最も早い時期に行われるべき「早期教育」と言われているものです。この時期に、強いストレスを受けると、脳の学習機能の中心が損傷を受け、知能に障害が残る可能性があると言われているのです。これは、成長後の経験によってある程度まで回復することもできるのですが、人生が始まって間もない時期に経験した学習のインパクトは甚大であると言われています。

 次に挙げるような子は、4歳までに学習する情動に何らかの問題があった子であると言われています。「注意を集中できない子、人を信頼せず疑ってかかる子、悲しみや怒りにとらわれていて楽天的になれない子、ルールをわきまえず破壊的な子、不安に押しつぶされている子、恐ろしい空想にとらわれている子、いつも自分自身に不満な子」こういう子どもたちは、世の中に満ちている可能性を他の子どもたちと同じように手にするどころか、可能性に手を伸ばすことさえできないだろうと言われています。

 最近の体罰事件は、私はその教師なり教官にEQ能力欠如があるように思うのですが、この怖さは、体罰を受けている人のストレスなり苦痛はもちろん、そのれを受けた人が次の世代へ伝承してしまうことです。よく、虐待を受けた子は、自ら虐待をしてしまうケースが報告されていますアメリカのニューヨーク州北部に住む870人を対象に、8歳から30歳まで、EQに欠ける親が子どもの一生にどのように影響を与えるかという追跡調査をした結果、次のようなことがわかりました。「集団の中で特に好戦的な子ども(最初にけんかを始める子、自分の欲求を通すためにいつも暴力を使う子)は、学校を中途退学する確率が高く、30歳になるまでに暴力行為の前科がついている確率も一番高かった。また、暴力的な性質は、次の世代にも伝わるらしく、彼らの子どもたちもやはり親と同じようにそう学校で暴力問題を起こしていた。」

 この調査は、アメリカで行われたものですので、私は、少し日本では事情が違う部分がある気はしますが、暴力や、攻撃的性質が次の世代へと伝承されていってしまうのは日本でも多い気がします。アメリカでは、自分に厳しくあたったのが父親でも母親でも同じで、幼い時に攻撃性を持っていた女の子は、気まぐれで子どもを厳しく罰する母親に、攻撃的な男の子は気まぐれに厳しく子どもをしかる父親になっているようです。子どもに血も涙もない厳罰を加えるくせに、こうした親たちは怒るとき以外は子どもにほとんど関心を示さないのです。子どもは、親から生々しい、そして、荒々しい、攻撃的な手本を見せられ、家庭で身につけたことを学校や遊び場で実行し、一生暴力をふるうようになります。こういう親は、必ずしも意地が悪いわけではないとゴールマンは言います。子どもの幸せを願わないわけでもないと言います。ただ、単純に自分が受けたとおりの子育てを繰り返しているだけなのです。

 「子どもは、育てられたように育つ。」という相田光男の言葉に続いて、「そして、育てられたように自分の子どもを育てる。」ということなのでしょう。

あと伸び

 発達は、知識と違って、早くすればいいというものではなく、人生におけるその時期時期が大切であり、何もないところに何かをつけていくということではなく、遺伝子に組み込まれた発達の要素が、その時期の表出してくるものを、より確実なものに環境を通してしていくものです。ということで、それが現れる時期に、その発達を促す環境を用意する必要があります。

 かつて学力を左右するものとしてIQという知性が長いあいだ幅を利かせていました。それに対してダニエル・ゴールマンは、「こころの知能指数」としてEQに注目しました。そして、EQについていろいろなことを解明しました。「EQの形成は、学童期を通じてずっと続くが、EQの基礎を身につける機会は、生後間もない時期から始まる。後年になって身につくEQは、生後間もない時期に身につけた基礎の上に積み重ねられていく。しかも、EQは、あらゆる学習行為に欠くべからざる基礎だ。」子どもたちは、人生において、様々な人と出会い、人々の中で学んでいきます。特に、小学校に行くと、社会人としての知性を学んでいきます。そのために学習があります。しかし、このような学びには、基礎が必要なのです。土台が必要なのです。それがしっかりできていないと、その後の学習が身に付かないのです。その基礎は、生後間もなく学び、築かれていくのです。しかも、こんな報告書を紹介しています。

「国立臨床幼児教育センターが発表した報告書は、“学校の成績が伸びるかどうかは、知識の蓄積や早熟な読解能力よりも、むしろ情緒的・社会的能力による。”と指摘している。自信や興味があること。自分にどのような行動が期待されているかを知り、衝動をコントロールできること。待てること。命令に従えること、教師に助けを求められること。自分の要求を表明しつつ、他の子どもと仲良くできること、こうした能力の方が重要だ、と指摘しているのである。」

「あと伸びする力」ということがよく言われます。就学前教育は、就学後の教育を先取りして早くやることではなく、就学後に伸びるような基礎を学ぶことが必要であるということです。このあと伸びする力は、知識の蓄積や早熟な読解能力ではないのです。幼児期に、子どもが多くのことを知っていると喜びます。大人顔負けのことを知っているとなおさらです。また、難解な文字、文章を読解できると、すごいと感動します。「うちの子、天才かしら?」と思ってしまうことも。しかし、それらは、学校に入ってからの成績にはあまり関係ないようです。多くのものを知っていること、難しい文字を読むことができる能力は、のちの成績には結びつきません。小学校に入学して、成績に関係してくる力は、情緒的な能力とか、社会的能力だということが、研究の結果わかりました。乳幼児期に子どもたちにつけなければいけない力は、情緒的能力とか、社会的能力なのです。

さらに、この報告書は、こんなことも指摘しています。学校生活がうまくできない子どもは、もし学習障害のような認知面での問題があるかないかには関係なく、EQの1項目あるいは複数項目が欠如していたのです。この指摘に、ゴールマンは重要な問題があると言っています。それは、アメリカでは、州によっては小学校1年の段階ですでに5人に一人近くが落第し、学年が進むにつれて他の生徒との格差が広がっているからです。落ちこぼれた子どもたちは、意欲を失い、世の中を恨み、破壊的になっていっているのです。

そんな状況の中で、EQの力が必要であることが改めて認識されたのです。

大人の影響

 赤ちゃんの能力は、最近、驚くほど素晴らしいものであることがわかりつつあります。「赤ちゃんは白紙の状態で生まれてくる」と思っている人は今はいないと思いますが、「白いうち、つまり早い時期ほど染めやすい」と思っている人は多いような気がします。その考えの下、「3歳までは言ってもわからないからたたいて教える」「小さいときにこそ厳しくしなければ」という人、さらに「早い時期の教育にこそ効果がある」という人がいます。確かに、赤ちゃんは、まだいろいろなことができないように思えますし、何かを「まるで吸い取り紙が水を吸い取るように」覚えてしまったり、できるようになったりします。ですから、白紙に色を付けなければと思うのでしょう。

 しかし、赤ちゃんは決して白紙で生まれてくるのではありませんし、どんな色にも染まるような存在ではないのです。それは、人として生きていくうえでの、誰にでも備わっている共通の性質をいくつも持って生まれてきます。それがどんなものかは、なかなか分かりにくく、研究しにくいものです。それは、赤ちゃんは自ら表現しないからで、また、脳を割ってみるわけにもいかず、その研究の成果がなかなか現れないために、赤ちゃんの優れた能力はそれほど論じられませんでした。しかし、赤ちゃんが自ら表現しなくても、その表情、視線からの研究、また行動観察から解明されつつあります。たとえば、赤ちゃんは、いろいろな環境の中に生まれます。その環境に興味を持ち始めてくるのですが、まず、大切な能力は、母親を見つけたり、人の視線や表情を読み取ったり、真似をし始めるために、まわりにあるたくさんのモノの中から、母親が属している「人間」だけを取り出して、特に興味を示します。人間の視線を感じ、人間の表情を見、人間のやることを真似ようとします。新生児のころから、目の前で大人が舌を出し入れを真似して、自分の舌を出したり、表情を変化させると、これに反応を示したり、まねをしたりします。大人の話す言葉に対しても、いろいろな反応を示したりします。

ハーバード大学の小児科医であるブレイズルトンは、30年ほど前に簡単なテストで乳幼児が周囲の世界をどう受け止めているかを診断しました。生後八か月の赤ちゃんに二個の積み木を渡し、大人が手本を見せると、希望に満ちた世界観を持ち、自分の能力に自信を感じている子どもは、まず、積み木をなめ、髪にこすり付け、テーブルに落としたりします。それに、大人が辛抱強く付き合い、積み木を拾ってあげると、ようやく確信を得たかのように、真似して手本通りに並べ、やった!とばかりに大人の顔を見たと言います。こういう子どもは、周囲の人々から褒められ、励まされて育っていくので、人生でささやかなチャレンジに遭遇しても、きっと成功できるという自信を持っていると言います。

対照的に、冷酷で、混乱した家庭、あるいは子どもに無関心な家庭で育った子どもは、同じ課題を与えられても、実際に積み木がうまく並べられないわけでもないのに、初めから失敗するに違いないと思い込んでいる様子を見せると言います。もし、課題ができたとしても「僕なんかだめだ。ほら、やっぱり失敗した。」と言わんばかりの卑屈な表情を見せるのだそうです。こういうタイプの子どもは、大人になるにつれて、敗北主義的な人生観を抱き、教師から励まされることも、注目されることも期待せず、学校生活に楽しみを見出さず、やがて落後していくと言います。

この二通りの違いは、生後2,3年で形成されるようです。「子どもが自信を養い、好奇心を育て、学ぶ楽しさを知り、限界を悟るうえで親の対応がどれだけ大きく影響するか、親自身が自覚する必要がある。」とブレイズルトンは述べています。

情動の学習

 園での相談に、「仲間外れされている子をどうしたらよいか?」というものがあります。子どもにとって、人気のある子がいます。子どもたちは、何を基準にして選んでいるのでしょう。研究の結果、情動のメッセージや人間関係のサインに気づき、解釈し、反応できる能力が人間社会でうまくやっていくために買いに重要な役割を果たしているかが明らかになったそうです。子どもがグループの遊びに加わろうとして、拒絶される光景を見ているのはかわいそうな気もしますが、これはよくあることだと言います。人気のある子どもでも、遊びに入れてもらえないことはあるのです。小学校の2年生と3年生を対象に調査した結果によると、仲間から一番好かれている子どもさえ、すでに遊びが成立しているグループに加わろうとすると、26%の確率で拒絶されたそうです。

 EQという能力は、人とのかかわりの中で大きな役割を持つようです。それは、かかわりに対しての役割であるだけに、その本人だけの問題だけでなく、周りの人への影響もあるようです。例えば、苦悩している人間を慰めるのが社会的試金石だとしたら、怒りの頂点にある人間を静めるのは究極の社会的技術であろうとゴールマンは言っています。それは、そこには様々な能力がかかわってくるからです。そこで、ゴールマンは怒りの制御や情動の伝染に関してそれを慰めるとすると、次のような能力が必要になってくると言っています。「怒っている人間に対処するにはまずその人の意識をそらし、次にその人の気持ちや視点に共感し、それからもっと生産的な気分になれる別の話題に関心を引き寄せるという方法が有効です。」これは、いわば情動の柔術のようなものだと言っています。

 この情動の柔術は、人間が社会の中で生きていくうえでは、その関係を良好にするためにはとても有効的なものです。そして、それは、友達同士だけでなく、夫婦の関係、親子の関係、職場の同僚との関係などでも言えます。また、生活の中での多くのストレスは、人との関係においての場合です。人との関係においてストレスがあまりないと、勉強や仕事がはかどります。免疫力も高まります。この能力の高さが、知能の高さよりも重要であるというのが、この話題を始める時のきっかけである「こころの知能指数」という、IQの高さからEQの高さがより良い人生を送ることができるキーなのです。

 では、どのような時期に、どのようなことから子どもたちはEQを学んでいくのでしょうか。それは、子どもが生まれて初めて出会う社会である家庭の中で、初めて人とかかわり持つ母親との関係の中です。家庭は、人間が最初に出会う情動学習の場であると言われています。親しい人間関係の中で、私たちは自分自身に対する愛情を形成し、他人が自分の感情にどう反応するかを学習します。そうした感情をどう考えるべきか、反応してどんな選択肢があるのかを学びます。希望や恐怖をどう表現し、どう読み取るかを学びます。それを、子どもは自分に向けられた言葉がけや行動から学び取るのですが、それと同時に、大人が自分自身に向けられた感情からも学んでいきますし、直接的なかかわりからだけでなく、目の前で行われる他人同士の人間関係からも学んでいきます。子どもたちが、やはりその最初に出会う他人は、両親であり、親自身が自分の感情をどう処理するのか、両親の間ではどのような会話が交わされているのかなどから学んでいきます。

 確かに、親が子どもをどう扱うか、例えば厳格なしつけをするか、共感を持って教え諭すか、無関心か温かい交流があるか、それらが子どもの人生に情緒的側面に深く永続的な影響をもたらすことは、幾多の研究が指摘しています。

情動の伝染

 群衆心理ということがよく言われます。それは、群集の中に生まれる特殊な心理状態のことですが、このような心理では、衝動的で興奮性が高まり、判断力や理性的思考が低下して付和雷同しやすいと言われています。一時「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」という言葉に代表されるような、みんなで一緒ということで、正当な判断を敷かくなることがあります。もう一つ、みんなでいることによって、興奮性が高まるということです。なぜか、大勢になるとテンションが上がってしまうことがあるのです。普段、一人では恥ずかしくてやれないことでも、多くの人が集まるとその中ではできてしまいことがあるのです。

 もう一つ、何かの気持ちが人に伝わり、集団全体が暗くなってしまうとか、逆に集団全体がたのしくなるということもあります。それは、情動は伝染していくということのようです。情動の伝染は、多くの場合、人間同士が接触するたびにそれとなくおこる交流の一部であるといわれています。人間は有害な出会いも有益な出会いもないまぜになった精神生活のなかで、お互いに気分を伝達したり、受け止めたりしています。普段のこのような情動の交流は、非常に微妙でほとんど気づかないようです。私たちは、人と出会うたびに情動の信号を送り出しているのです。そして、その信号が相手の気分に影響を与えます。社会的に器用な人ほど、自分が送り出す信号をうまくコントロールできると言います。この情動の交流を上手に管理する能力が、EQという社会的知性の一つと言われています。

「情動をうまく読み取ったり、表現したりできない子どもたちは、常にフラストレーションを感じています。本質的に、彼らは何がどうなっているのか理解できていないのです。この種のコミュニケーションは、何をするにもついて回ります。表情や態度を見せないようにはできないし、声の調子を隠すこともできないのですから。表出すべき情動メッセージの種類を間違えていると、周囲の人が自分に対していつも変な風に反応するように思えてきます。」どうも、これらの状況は、最近増えてきている「ひきこもり」の若者に見られるものと同じような気がします。これは、子どもの非言語的能力を研究しているエモリ―大学の心理学者スティーブン・ノーウィッキの説明ですが、さらにこう説明しています。

「いきなり肘鉄を食らわされて何がなんだかわけがわからない。あるいは、自分では愉快にふるまっているつもりなのに、実際には興奮しすぎて荒れ狂った状態になってしまい、気が付いたら周囲の友達がみんな自分に対して怒っていて、どうしてそうなったのかわからない。こういう子どもたちは、結局周囲の人々の態度を自分はどうすることもできない、自分が何をしても周囲の人々の反応に影響を与えることはできない、と感じるようになります。そして、無力感や抑うつ感を抱き、無関心になっていきます。」

このような子どもたちは、一つの社会でもある学校で仲間外れになるばかりか、学習面でもうまくいかなくなります。このようなことが不登校を生んでいきます。どうも、これらのもとには、非言語的能力が影響してくるようです。園では、仲間に入れない子、仲間に入れてもらえない子、仲間に拒否されてしまうがいます。幼児は、正直であるが故に残酷な面もあります。このような場面は、よくどうしたらよいかという質問されることもあり、また、このような場面を研究している研究者も多くいるようです。

このように仲間から拒否された時、どのような行動をとるか園で見ていると、乳児に行くほど、それを乗り越える力があるような気がします。どうも、この力も非言語的能力かも知れません。

情動の自己管理と共感

 私がよく講演で見てもらう動画に、1歳4か月児が、7か月児が泣いているのを見て慰めるシーンがあります。泣いているのを見て、その子のお気に入りのタオルを渡そうとしたり、抱きしめて背中を叩いてあげたり、ティッシュで涙を拭いてあげようとします。こんなに幼い時期から、このような行動ができるのです。しかし、だからと言って、誰もができるわけではないのです。知らん顔をしている子、逆に面白がって見ている子など様々です。ひどい場合には、もっと泣かそうとする子さえいます。これらの行動は、まだ小さい子ですので、まだ大人のような悪気があるわけではないのですが、どの行動にしても相手の行動によって、自分もある行動をとっているのです。「他人の感情を理解し、その感情を何らかの方向に発展させるための行動をとる」という重要な情動能力が芽生えている証拠に変わりないのです。この能力は、ゴールマンは、「他人の感情にうまく働きかける能力は、人間関係を処理するうえで中心となる能力だ。」と言っています。

 さらにゴールマンは、「対人能力を発揮する前に、幼児はまず自分の情動をコントロールできる段階に達していなければならない。上手にはできないにしても、ともかく自分の中にある怒りや苦痛、衝動や興奮を静めようと努力できる段階だ。他人の感情に波長を合わせるには、自分の二面が多少なりとも平静でなくてはならない。自分の感情を操縦する能力の芽生えも、この同じ時期に認められる。幼児は泣かずに待てるようになり、自分の主張を通すにもいきなり実行行使をせず、相手を説得したりおだてたりといった手を使えるようになる。また、何回かに1回は癇癪を起さずに辛抱できるようになる。共感の兆候をも、2歳までには見え始める。」と言っています。

 まさに、私の園の1歳4か月児の園児が見せた姿ですし、他にもこのような光景を多くみることができます。大人になって、他人の感情を操縦するといった高度の対人関係を結ぶためには、まず、このころから情動の自己管理能力の獲得、そして、情動の共感が必要になるのです。この基礎の上に、「対人能力」は成熟するとしたら、最近の若者に対人能力の未成熟さが目立つのは、この基礎ができていないからであり、その基礎を学ぶ環境が失われているからなのです。それは、2歳までに他児と触れ合う環境なのです。

 対人能力の成熟は、他人とうまくやっていくために必要な社会的能力で、この能力が足りないと、社会生活がぎこちなくなったり、対人関係で大失敗を繰り返すことになります。社会的能力には、人間関係を築き、人の心を動かし、親しい人たちとの関係を豊かにし、他人に影響を及ぼし、周囲の人間をくつろがせる効果があるのです。

 もう一つ、社会的能力の優劣を決めるカギがあると言います。それは、共感したり、様々な感情を持っても、その自分の気持ちをうまく表現できるかどうかがあります。どのような感情をどのような場面で表出させるのが適切かに関する社会的合意が必要であると、それをエイクマンは「表出ルール」と呼びました。この表出ルールは、便化によって大きく異なる場合があると言います。いわゆる気持ちを「顔に出す」ということですので、時に日本人は、相手によって表情を顔に出すかを変えることが多いと言われています。このような表出ルールが文化によって違うのは、このルールはモデリングによって学習される場合が多いからです。子どもは、他人の行動を観察してルールを覚えるのです。

 子どもと相手をするときに、いつもポーカーフェイスでいるとか、または、いつも笑顔だけで接すると、表出ルールを学ぶことができなくなるのです。

調律

 基本的に、弦を使った楽器では、日が経過すると、その弦の張り方が少しずつずれていきますので、音を調整しなければなりません。それをピアノでは「調律」と言いますし、ギターなどでは「チューニング」すると言います。ほかにも、マンドリンやウクレレなどでもチューニングが必要になります。その調律が、「コミュニケーション用語集」の中に、「情動調律」という言葉が出てきます。その用語集によると、「相手の行動や状況から、相手の感情を推察し、その感情に対して反応する行動を情動調律といいます。」とあります。しかし、このような行動をなぜ情動調律というのでしょうか?それは、共感と違うのでしょうか?この言葉は、普段は聞くことがありませんが、心理学では、親が幼児に対して積極的に情動調律を行うことにより、幼児の人間関係における発達を促すと考えられています。また、何度も繰り返される情動調律によって、成人後の親しい人間関係に期待する情動の形を決めていくと言われ、その影響力は、たぶん子供時代のどんなドラマティックな出来事よりも強いだろうと考えられています。

 乳児は生後一年間の親(養育者)との交流から,自分の要求を親がどのように理解し、応じたかをもとにして親の特徴や対人情況のパターンに基づく世界像を発達させます。例えば、赤ちゃんがうれしそうな声を上げると、母親は赤ちゃんをやさしくゆすったり、何かささやいたり、赤ちゃんに合わせて高い声を出したりして、赤ちゃんのうれしい気持ちを確認し、肯定します。赤ちゃんの悲しい気持ち、不安な気持ち、怒りの気持ちを母親が調律してあげることがとても大切なことなのです。それは、子どもの興奮レベルに母親が合わせてやることが肯定のメッセージになっています。すなわち、赤ちゃんの気持ちに合うようにチューニングするのです。ささやかな情動調律の積み重ねが、母親と情緒的につながっているという安心感を赤ちゃんに与えます。

情動調律の反復によって、乳幼児は他人が自分の感情を共有してくれるという意識を発達させていきます。その意識は、乳幼児が他人と自分を区別できるようになる生後8か月ころから現れ、近親者との関係を通じて形成されていきます。この関係において、逆に、親の気持ちがイライラしていたり不安定な時は子どもにも大きく影響するということでもあるのです。特に、親子の間の欠如した状態が長期間続くと、子どもの情緒に重大な障害が現れると言われています。例えば、子どもが悲しんだり、喜んだり、抱きしめてほしいと思ったりしたときなどに、全く共感を示さない態度を続けると、子どもはやがてそうした感情を表に出さなくなり、感情を抱くことさえ避けるようにあります。
こうして、子どもは、近親者に抱く感情のレパートリーから様々な感情が欠落していくのだろうと考えられています。また、発達の節目の時、何らかの理由で発達の軌道が乱れた時子どもは自分の感情に振り回されるように大荒れすることがあります。しかし、子どもがコントロール不能状態に陥った時、周囲の身近な大人が情動調律をしてあげることで子どもは落ち着きを取り戻します。子どもにとって、もちろん母親との関係は大切ですし、その影響を大きく受けます。しかし、それは、母親しかだめなのか、逆に母親だけでいいのかというとそれも違います。

スターンは、こう語っています。「人間関係のモデルは、一生を通じていろいろな人間との付き合い、友達とか、親戚とかの中で修正されていくものです。ある時点でバランスが崩れても、後で修正がききます。人間関係は現在進行形で一生続くプロセスなのです。」

共感

 保育所保育指針に中の「情緒の安定」の内容?には、「一人一人の子どもの気持ちを受容し、共感しながら、子どもとの継続的な信頼関係を築いていく。」と書かれてあります。この「共感」というのは、とても大切なことであり、子どもたちの「フロー」という状態に対しても、「共感」が必要になります。子どもと一緒になって、常に今起きていること、子どもが現在直面していることに、一緒になって興味・感心を示すことが必要です。他人がどう感じているかを察する能力は、子育てや教育だけでなく、セールスや経営や恋愛、あるいは気配りから政治的行動にいたるまで、人生のありとあらゆる場面で必要になるとゴールマンは言います。

 この「共感」についてゴールマンは、「情動の自己認識の上に成り立つものである。」としています。「自分の情動に心を開ける人ほど、他人の気持ちも理解できる。」というのです。それは、当然のような気がします。自分に気持ちもわからない人に、人の気持ちを察することができないだろうということは容易にわかることです。ということは、EQという社会的知性のない人は、共感はできないということになるのです。それは、思いやりのもとになるすべての信頼関係は、こころの波長を合わせる共感から生まれるものだからと言います。

 では、相手の感情をどのようなことから知るのでしょうか?人間は、言葉や文字を使います。それによって、相手に感情を伝えているかというと、多くは、言葉以外のしぐさで表現される方が多いのです。声の調子、身振り、表情などの非言語メッセージから読み取っているのです。では、その能力はどのように発達するのでしょうか。それは、私の園の職員が動画をとって観察しているのですが、まさに、乳児のころからこの共感をしたかのような行動を示します。生まれてすぐ、泣いている赤ちゃんに隣の赤ちゃんが動揺するのを、共感の初出であると考える研究者もいます。そして、泣いている赤ちゃんにつられて泣き出すのを、周囲の人間の不安を自分の不安として感じる能力を持っていると言います。

 現在、それらの行為は、脳の中の神経細胞であるミラーニューロンの役割であることは分かり始めていますが、最初は、他人の苦痛に対する一種の「肉体的模倣」であり、その模倣によって自分の中にも同じ感情が起こると考えたのです。また、行動自体も、まだまだ自分と他人とも区別がつかず、相手の泣いている姿を見ることで、自分の目の涙をふくしぐさをするということから「運動模倣」と言いました。そして、その行為を「同情」するということと分けて、「共感」としたのです。子どもは、他人が困っているときに周囲の大人がどう反応するかを見て、共感学習していくだろうと考えました。そして、子どもたちは見たことを模倣しながら、共感のレパートリー、特に困っている人に手を差し伸べる感受性を育てていくのだと考えたのです。

 コーネル大学医学部の精神科医であったスターンは、子ども自身が、「自分の感情は、共感を持って受け止められている。自分は受け入れられ、相手にしてもらっている。」と感じるプロセスを、自己感の発達理論の概念として「情動調律」ということを提唱しました。。この情動調律は、養育者(特に母)と子どもとのやりとりのなかで無意識のうちに行われる相互行動としました。母親は子どもの内的な状態や情動を読み取り、子どもに対する刺激を調整するとともに、子どもの情動や注意水準を調整しその欲求を満たしつつ(情動準備性)子どもの不快を取り除くとともに子どものネガティブな情動を調整していきます。

 これは、ケアの内容でもあり、教育のベースにあるべきものです。