情と知

 今、私たちの心は、胸にあるのではなく、脳にあることは誰でも知っています。胸にあるのは、血液を全身に送り出す心臓という臓器があるだけで、感動するという心は脳で感じることです。しかし、だからといって、ヒトには「こころ」がないということではありません。そして、その心は、「頭では分かっているが、心では納得できない」というように、しばしば頭と心は闘うことがあります。また、よく理性と感情というように、このような思いが、同じ脳の中の営みであるにもかかわらず、相反することを人は感じることができるのでしょうか?理性と感情は、脳の違うところの働きなのでしょうか?

 ヒトは、怒りとか、共感とかをコントロールしているのは、知能テストの対象となる大脳新皮質とは全く別の、情動の脳なのです。しかも、この情動の神経回路は、子ども時代に経験を通じて形づくられていくことがわかっています。では、この情動は、理性的な判断とは関係ないのでしょうか。それぞれが、脳の中での違う場所での働きですので、別々に働くのでしょうか?たしかに、片方が壊れてももう一方は動きます。しかし、アメリカでこんな事例がありました。情動をつかさどる部分が損傷してしまった患者が、知能指数や認知能力は全く損なわれていず、知能が高いにもかかわらず、意思決定をするときに問題が起きてしまったそうです。仕事や私生活において破壊的な選択をし、ひとと会う約束を何時にするかという決定までもできなくなってしまったそうです。この時の研究結果から、意思決定ができないのは情動に関わる記憶が失われてしまったからではないかということになりました。そして、理性的な判断を下すために感情は不可欠な要素であると、この研究を行ったアイオワ大学の神経科医ダマシオ博士は主張しています。感情によって私たちはまず大まかな方向性を与えられ、そこで初めて論理的知力を発揮できるというのです。

 このことは、非常に重要な意味を持ちます。子ども時代に経験を通じて形づくられる情動の神経回路がなければ、大人になっていくら理性的な知識を学んだとしても、理性的な判断が下せないということです。情動は理性にとって重要な存在であり、情動と理性の掛け合いのなかで、情動の脳は理性の脳の思考を助けたり邪魔したりしながら私たちの下す判断を方向づけているというのです。逆に、同じように理性の脳も情動をコントロールする役目を果たしているのです。

 このことから、EQを提案したゴールマンは、私たちのなかには二種類の脳、二種類の知性があり、それは、考える知性と感じる知性であると言います。私たちが人生をうまく生きられるかどうかは、両方の知性のバランスで決まるとしました。それが、知識の知能指数であるIQと心の知能指数であるEQで、ともに大切だというのです。感じる知性がなければ考える知性は十分に機能できないからです。大脳辺縁系と大脳新皮質(あるいは扁桃核と前頭前野)は、互いに補い合って精神生活を支えているのです。この協調関係がうまくいくと、EQもIQも向上するというのです。

 この彼の主張する考え方は、それまでの理性と感情を対立する精神活動としてとらえる従来の考え方をくつがえしました。旧来の、感情の影響力から解放された理性を理想とみなしてきた考え方から、情と知の調和を達成することが大切であるとしたのです。したがって、情と知が調和した生き方をするために、私たちはまず感情をかしこく操縦する法を知らなくてはならないと訴えます。