インド報告7

 インドには世界遺産の建物が多く残っています。その一つが「タージ・マハル廟」で、それまでの廟建築にない新しさがあります。この廟は、ヤムナー川の対岸を背景に、なんの妨げもない空間のなかに造られているので、遠くからもよく見え、特にヤムナー川の対岸からはよく望めるようになっています。このようなロケーションの中に真っ白い建物があると、どうしてもその対岸に真っ黒い建物を作りたくなりますね。お妃のために真っ白い大理石で廟を造ったシャージャハーンは、ヤムナー川の対岸に対となる自分自身の黒大理石の廟の建設に着手します。建設計画では川をはさんで同形の白と黒の廟が向かい合い、大理石の橋で結ばれる予定でした。ところが、その工事のための重税や動員された民衆の不満が高まり、反乱が起きるおそれが出てきたため、シャージャハーンは息子のアウラングゼーブ帝によってアグラ城に幽閉されます。最終的には、シャージャハーンは、タージ・マハルに葬ることを認められ、その棺を妃の棺の隣に設置されました。

この息子の判断は、民衆のためによい判断だと思いますが、後世の私たちがある意味で無責任に思うことが許されるなら、川を挟んで黒白の廟を見たかった気がします。タージ・マハルを見た後、幽閉されていたアグラ城を見学しました。このアグラ城も1983年にユネスコの世界遺産に登録されています。この城壁はムガル帝国時代の城塞で、大理石で造られているのではなく、この地方で採掘される赤砂岩で囲まれています。そこで、その色から「赤い城」(ラール・キラー)の名があります。そして、この城塞の中には、宮殿などの諸施設が建てられており、シャージャハーンが7年間幽閉されていた囚われの塔(ムサンマン・ブルジュ)もこの中にあります。

中に入ると、跡継ぎの皇帝の名前がつけられているジャハーンギール宮殿があります。この建物はアクバル式の建物であって、やはり左右対称で、その前の庭園も、タージ・マハルで見たような「四分庭園」となっています。庭園の中央には大きな石造容器があります。これは、「ハウズィ・シャハンギール」と言われ、シャハンギールの妻がバラの花びらを浮かべた浴槽として利用されたとも言われています。ただ、実際は、こんな庭の真ん中に露天としてあったわけではないそうです。この城塞の中の宮殿にはいろいろと気を使った仕掛けがあります。それは、この城を築いたムガル帝国は、北インドの大半を征服すると、イスラム教徒とヒンドゥー教徒との融和をはかろうとしました。もともとはイスラム教でしたが、ヒンドゥー教徒を要職に登用したり、宮殿内部はイスラムとヒンドゥー様式の融合を感じさせる木造的な柱・梁構造です。

アグラ城内にあるシャハンギール宮殿の北側に、少し突きだしている八角形の塔が囚われの塔です。この塔の内壁や床は幾何学的な装飾が施された白大理石で出来ています。そして、この塔の窓からヤムナー川越しにタージ・マハルを眺めることが、シャージャハーン晩年の唯一の慰めであったと言います。

そして、城の中央に表の政庁がありました。この建物は、独特の二本柱のイスラム様式です。しかし、19世紀にイギリス軍に占領されてから、アグラ城は兵舎として使われ、建物の一部が壊されてしまいます。現在でも旧兵舎部分はインド軍が管理しているそうです。

征服の歴史は、宗教の歴史でもあるようです。