感情

 ヒトは、物事を判断するときに、あらゆる知識を駆使します。その知識とは、学校で教わるものもありますが、その多くは、それまでの経験から得た知識です。しかし、経験から得た知識は、主観的なものが多く、同じ経験をしたとしても、そこから得るものは人によって違ってきます。その人によって違うというのは、何によって違ってくるのでしょうか。例えば、1192年に源頼朝が鎌倉幕府を開いたという知識は、だれでも同じように理解します。そして、それは、言葉や文字によって伝えられます。しかし、そのことを先生が憎々しげに語ったとしたら、この出来事はおもわしくなことだと聞いて判断してしまいます。そこには、言葉では表せない「感情」が入っているからです。最近の研究では、感情は私たちを有利な選択・意思決定に導き、感情なくしては正しい意思決定や状況判断ができないことが明らかにされつつあるようです。

 この感情を即座に読み取るのが、赤ちゃんである気がしています。言葉の意味を、感情から探ろうとするからです。まだ、1歳未満の赤ちゃんを挟んで会話をしているとき、面白い話でみんなが笑うと、赤ちゃんは自分のことを笑われたと思ってか、急に泣きだすのを何回も、また二人の孫とも経験しました。妻は、「赤ちゃんはプライドが高いから、自分のことを笑われたとおもって怒るのね。」と言っていました。プライドが高いのかは分かりませんが、どうして本能的に笑われるのを嫌うのでしょうか?逆に、自分のことが話題の中心になっていると、なんだか得意げにいろいろなことを見せてくれます。こんな能力も持った赤ちゃんですから、まだわからないからといって、赤ちゃんのいる前で夫婦で怒鳴りあうとか、赤ちゃんのことを悪くいうとか、赤ちゃんを無視するとか、たぶん赤ちゃんは何か心に影響しているでしょうね。

 この人との関係において「感情」による判断が、大人でも必要です。ある研究では、他者を信頼する傾向の強い人たちは、 信用していい相手とそうでない相手を見分ける能力が備わっているということがあるようです。確かに、赤ちゃんは、とっさに信用していい相手か、そうでない相手かを見極めます。その手段として、以前ブログでも書いたような「社会的参照」という、信頼している人の視線と表情を読み取って判断しているということがあるのですが、大人になって重要なものとして最近認識されてきているものに、「社会的知性」と「感性」があるのです。私の現在の大きな課題が、赤ちゃんの時の「社会的参照」から、多様な大人、他の子どもたちと接する中で次第に「社会的知性」を身につけていく過程を知りたいと思っているのです。そして、赤ちゃんの時の「感情」による判断を磨くことによって、「感性」が磨かれていくのだと思っているのです。

 このような非言語コミュニケーションの機会を十分することが、大人になって言語コミュニケーションをとるうえでとても大切なことです。そして、この非言語コミュニケーションを学ぶ時期が、乳幼児期であり、それが乳幼児教育というべきものなのです。特に、乳児期において、母親だけとの関係において育てられることによって、赤ちゃんにこの能力が育ちにくくなっているのではないかと思っています。また、特定の人とだけの関係ですと、お互いにコミュニケーションをとらなくてもわかってしまい、先にやってあげることができてしまうからです。