独創的

 子どもたちに必要な力として「創造力」があるということはずいぶんと前から言われてきていることですし、様々な教育指針の中にも今後の課題として取り上げられていることがあります。特にその中で、他にはない、かつてない「独創性」が求められます。それが、世界を驚かせ、新しい分野を築くきっかけになるからです。その力は、保育を行う上でも、求まられますし、行事を計画するうえでも必要なことです。しかし、そういうと、職員の中には、自分は独創性や創造力はあまりないという人がいます。そんなにいろいろなことが思い浮かばないというのです。もちろん、他人にはいろいろな役目があり、すべての人が新しいものを生み出すことができるとは限りません。人によって、言われたことをきちんとやるとか、決められたことを忠実に守るというタイプもいるかもしれません。しかし、果たして、そういう人は独創性がないというのでしょうか?

 ノーベル賞を受賞した山中教授は、よく、自分には独創性がないと言います。新しいことを思いついて、新しい、画期的な実験をしたわけではないと言います。では、どうして、世界でもびっくりするような、独創的な研究ができたのでしょうか。それは、今まで繰り返ししてきた、よくある実験の結果について、新しい見方をしたというのです。今までの刷り込みを持たず、また、どうしてだろうと結果について考えたからだと言います。また、今まで行った実験を繰り返すことで、予想されなかった結果について考えることだというのです。独創性とは、新しい、独特なものを生み出すことだけでなく、独創的なものの見方をすることもあるのです。見方、考え方にも独創的であることが必要です。

 園では、よく見ている子どもの姿、その姿は、昔から変わりません。しかし、その姿から、新しいもの、重要なことを発見するのも、独創的と言えるかもしれません。いままで、何気なく見過ごしていた姿、当たり前だと思っていた姿、よく見ていると、新しいものが見えてきます。特に、乳児においては、自分から言葉や態度で表現しない分だけ、周りからの見方に影響します。以前、言葉の獲得ということで、絵の中のチューリップを数えるためには、どの花がチューリップかがわからないとできないのです。「この子は、数が数えられないのだ」と思い込んでいたこと、少し見方を変えて、「この子は、チューリップがわからないのかも」と考えてみると、新しいものが見えてきます。赤ちゃんに視力検査をしても、輪のどちらが切れているかを言えないと、見えていないのだとは思わないで、実は言葉で言えないだけだということはだれでも解りますが、では、いつから見えているとなると、確証は難しくなります。というのは、ヒトが「見る」ということは、映像が目から入って、脳の視覚野を刺激し、物の形を判断しているということだけなら研究はできるのですが、どうもヒトはそんなに単純でないということは分かっているのですが、では、どう見えているかということを解明するのは大変です。

 これら科学的になかなか解明できない力は、大人になっても残っています。そして、その力は、生きていくうえで大切なものです。それは、視線であったり、表情であったりします。ヒトはそんな非言語によってでも会話します。この能力の基礎を、私は、まだ言葉が話せない赤ちゃんのころに獲得していくような気がしています。そして、この力が付かないと、言葉を獲得しても、真のコミュニケーションは生まれない気がしています。