おたく

 最近、「おたく」という存在が社会において重要ではないかと言われています。「おたく」とは、ある分野での専門家ということもいえるわけで、これからの時代では、広くいろいろな知識を知っているよりも、なにかを詳しく知っているとか、ある部分を楽しめる人材が必要になってくるからです。それは、昔からある「職人」と呼ばれていた人たちと通じるものがあるのです。しかし、職人というのは、一つの優れた技を持っている半面、少し偏屈で、自分にとことんこだわり、一人で仕事を黙々とやる職業というイメージがあります。最近増えてきている「ひきこもり」の若者が問題になっているのは、かつての職人のような一人で黙々とやる職業がなくなり、ほとんど人とかかわる職業になったからだと言われています。では、「おたく」のような人がこれからの時代には重要な役割を持つようになると、それらの人たちは、一人の技、技術を高めることが必要で、EQと呼ばれる「こころの知能」は必要ないのでしょうか?

 「こころの知能」の高い人は、自分の気持ちを自覚し制御できる人、他人の気持ちを推察し対応できる人であるので、職人のように限られた、親しい人たちだけの付き合いが中心であっても、それらの人間関係においても、組織の中で泳ぎまわることの必要な職業同様、自分の能力をうまく発揮できる心の使い方を自覚している分だけ、人生における満足度や効率が高いということがわかっています。自分の感情をコントロールできない人は、内面が混乱していて、仕事や思考に能力を集中することができないのです。

 日本では、文部科学省により、全国的に子ども達の学力状況を把握する「全国学力・学習状況調査」を平成19年度から実施しています。この調査は、小学校では、国語・算数とし、中学校調査は、国語・数学としています。この調査自体は、実態の把握としては必要かもしれませんが、この結果によって、都道府県単位において、これらの教科だけの競争になってしまい、学校生活が一つの価値観に限定されてしまわないかと心配になります。それは、この学力の高さだけが、将来の子どもたち一人一人が幸せに生きる力となるのか、将来、社会に貢献することになる力となるのか、成功にいたる力となるのかが疑問です。

 そして、そのための頭の良さを「知能指数」といわれているIQ の高さを調べるのです。この知能テスト信仰は、第1次大戦中にスタンフォード大学の心理学者ルイス・ターマンが新しく考案した筆記式のテストを使って200万人のアメリカ人男性を知能指数別に分類したのが始まりだと言われています。その後、「IQ的思考」の時代が続きます。それは、「頭がよいか悪いかは生まれつきでどうしようもないのだ」という考え方です。この考え方に、昨日のブログで紹介したハーバード大学のガードナーが異議を唱えたのです。「大学進学適性試験も知能テストと同じで、たった一つの基準で人間の能力を評価し将来を決めてしまおうというものの考え方でした。こういうものの考え方は、社会全体に浸透しています。

 ガードナーは、知性のキーワードを「多重性」と言っています。確かに、学力調査でいうところの「国語」にあたる「言語的知性」とか、「算数」にあたる「論理数学的知性」は必要ですが、ほかのも「空間的知性」とか、「身体運動的知性」、そして、最も大切な知性である「対人知性」「心的知性」とよばれる知性によって構成される「人格的知性」があるとしています。彼は、「小、中、高、大学生を苦しめつづける種々のテストも、人生で本当に重要な才覚や能力からずれた狭い範囲の知能を問うものでしかない」と言っています。

 いろいろな分野で才能を持った子どもたちを、ひとつの価値観で判断してしまうのは、もったいないですね。インドから、多くの天才が生まれているのは、子どもたちが変にいじくりまわされていないからかもしれません。

おたく” への7件のコメント

  1. 日本の大半の早期教育は、幼児の知能向上、つまりIQを上げることを謳い文句にします。幼い時から頭のいい子はいい小学校に入れて、いい大学に入学できて、一流企業に入社できて、世間がうらやむような結婚ができて、一生幸せに暮らせる…そんな幻想を母親たちに与えてきました。わが子かわいさにお受験に奔走する母親たち。子どもたちは学校と学習塾の往復の毎日に明け暮れる日々。

    でも、そろそろ気がついてもいいんじゃないか。人生の成功度とIQの間には明確な相関関係はない!ということを。逆に、テストの総合評価は低くても、一つの分野に特異な才能を発揮する子どもは、社会をあっと驚かすような業績を残すことがあることに注目しないといけない。ちょっと風変わりな子ほど見込みがあるのだ。評価の視点を変えてみると子どもの本当の才能が見えてくると思う。

  2. おたくと言われる人たちは狭い人間関係の中でしか活動できていないという捉え方が多いように思いますが、よく考えると人間関係は単純に数の問題だけではないですね。一人ひとりとどのような関係を作っていくが重要なのであって、関係の広さだけを見ていると間違えてしまうようにも思います。そして高い専門性をもった人であっても、その分野が華々しく注目度の高いものであるかどうかでも他者からの評価が変わってくるものです。そのように条件によっていくらでも変わってしまう評価にふり回されることなく、本人がどう自己評価するかに集中できることが大事なんじゃないでしょうか。様々な分野に及ぶ専門性に対して、それらを受け入れることのできる懐の深さを、人も社会も大切に育てていくべきだと思いますし、その基礎を教育によって築き上げていくことも大事な役割だと思います。

  3.  もともと日本は農業国で、つながりがあっても村や地域の人たちとの小さなつながりだったような気がします。農業もある意味職人ですよね。それが高度経済成長の工業化社会になると、多人数の中での規律を求められるようになります。そして現代のサービス産業中心の世の中になったらどうなのでしょうか。改めて一つのことに集中できる職人(おたく)が社会に求められているのかもしれません。知識注入型の学校教育を工業化社会に適応するための教育と呼びますが、現在の社会には適応しないということは早くから言われています。一人ひとりの個性を伸ばせる教育に変えていかなければ将来の世の中を乗り越えられないのではないかと心配しています。

  4. 世の中には「おたく」という分野から、大きな評価をうけ、それこそその分野では「職人」と言われる人になったということは多いように思います。フィギュアで有名な「海洋堂」にはそういった「おたく」という人が集まり一つの企業としてブランドを作り、大きな会社になりました。ふと考えると今の社会、子どもたちは偏差値やサラリーマン志向の社会の中で突き進んで「
    おたく」や「職人」としてその能力を発揮している人は人生の中で幸福感や満足感は高いのかもしれませんね。ある意味で自分の能力を取捨選択して、自己評価していることはEQが高いのかもしれません。今の社会に生きる子どもたちはEQではなく、学力やIQといった尺度で判断されることが多いです。また、教育にかんしてもEQという考えはまだまだないですね。もっと今後議論されなければいけない分野なのだと思います。これからはIQというものはそのその人それぞれの能力の一部という考えにしていかなければいけませんね。それぞれの能力や特性は当然違います。そのパーソナリティを発揮できる社会にしていかなければいけないです。それを教育機関も意識していかなければいけないとおもいます。

  5.  小学校の頃にIQを調べるテストを受けたことがあります。結果は発表されませんでしたが、なんとなくテストの内容を覚えていますが、頭のいい人は直感や感覚で正解が分かると思います。そう考えると「頭の良い悪いは生まれつき」という言葉はなんとなく理解できます。また学校で行われるテストの結果で優劣を決めて進路を決めるのも、冷静に考えると不思議ですね。今の日本は大学に行き、一流企業に勤めることが最終目標になっているように思います。確かに算数や国語などの教科で、ある程度の知識は必要かもしれませんが、それらを極める時間を割くより、自分の才能を磨いた方が将来に役に立ちます。その為にも、ひとつの価値観で子ども達を判断するのでなく、色々な視点、価値観から子ども達を判断し、それぞれが持っている才能を見つけてあげる事が重要ですね。日本で「おたく」は確かに「職人」と通じる物があります。人からの意見もなかなか受け入れず、自分のこだわりを持っている人、仕事も一人黙々と行うイメージです。ある意味自分の才能を開花している人です。そう考えると「おたく」の見方も変わりますね。

  6. ハワード氏が提示するキーワード「多重性」というのはおもしろいですね。「多様性」ということはよく目にしますが、「多重性」はそれほどでもありません。多様性がdiversityで、多重性はmultiple、すなわち日本語で「マルチ」と言われていることです。多様性が平面的なのに対して多重性は空間的です。最近「多重」は「多重人格」とか「多重債務」とあまり良い言い方には使われていませんが、多重には嵩や奥行を感じることができます。この多重知性の中でも「空間的知性」とか「身体運動的知性」、それから「人格的知性」にはその詳細をどうとらえているのか興味を惹かれますね。「たった一つの基準で人間の能力を評価し将来」を決定されることは時に重大な犯罪を生み出すこともあります。犯罪までいかなくても育ちに歪みをもたらします。しかし、学校や塾ではテストによって生徒たちを相変わらず序列化し、親はその序列化に一喜一憂するという傾向は我が国において衰えを知りません。子どもたちの幸せとは何か?答えは簡単に見つけ出せないかもしれませんが、おそらく、その子がその子らしく生きていることだろう、と思います。子どもは育てられたように育ち来っています。親は自分を信じ、そしてわが子を絶対に信じることでしょうね。「おたく」、確かに彼らの深い薀蓄には脱帽です。広く浅くしか物事を知らない私にはとてもうらやましい存在です。

  7. 「おたく」という言葉が出たしたときには、「おたく」が引きこもりというような形で、どちらかというと社会的に変な趣味というイメージを持ってしまいましたが、自分自身も追求するタイプだったようで、「おたく」と言われたことがあり、現在の社会的な部分からいくと、特に、変わり者だというより、物知りだという表現をされ、趣味などとしては、浸透しているように感じます。
    知能指数、IQを育てるよりも、EQを育てることが社会性を学び、社会のなかで生き抜く力をもつことができるということを考えたとき、私たちが子どもたちへ対して、環境を通して社会性を身に付けることができるような体験や経験を増やしてあげると共に、子どもがどのような大人になってほしいのかを考えなければならないと思いました。
    1人1人を見る、他人と比べるのではなく、1人の人格者として認めることで、おのずと社会性を身に付けることの必要性を感じ、やはり、それは、集団のなかで多様な人と関わりによって、生まれるものであることを認識し、個性があり、生活のなかで、何か追求したいものが芽生えたときに、それを芽を摘まないのも私たちの役目だと思います。あの天才物理学者と言われたアインシュタインも、小さい頃に、数学に好奇心を抱き、そこからどんどんと追求していったという話があり、また゛正規の教育を受けて好奇心を失わない子どもがいたら、それは奇跡だ゛という言葉を残しているところから、何を大切にすべきかを考えさせられます。

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