教科から教育

学芸会などを学校で行う際に問題になるのが練習です。子どもたちは、毎日毎日練習をさせられます。教員も、その練習と準備に時間と労力を注ぎます。それが、子どもと教師にかなり負担になっています。学習指導要領の特別活動の実施上の留意点には、こう書かれてあります。「練習や準備に過大な時間をとり、児童に過重な負担をかけることのないように、練習、準備の在り方を工夫、改善するとともに、行事の年間指導計画を作成する際にあらかじめ適切な時間を設定しておくようにする。」

小学校でもこのような点に留意するようにと書かれているにもかかわらず、それよりも小さな幼児期において、かなり練習に時間をとり、職員はその準備に過大な時間を労しています。それは、どうも、学芸会のような行事の目的が明確ではないことにある気がします。

 日本では、世界のおおむねの国で行われたように、教育に対する内容が見直されました。戦争という人類の最悪の手段に至る過程の中で、 教育の影響が非常に大きく、それは、多くの一斉教授による画一的教育を生み出しました。第二次世界大戦での敗戦により、日本の軍国主義体制が見直され、徹底した民主化政策が採られ、あらゆる側面に於いて民主主義社会を支える国民の育成を目指した戦後教育改革が断行されました。その結果、公民的資質を育成するための民主的経験が不可欠とする考え方から経験主義的教育が重視されたのです。具体的には、戦後すぐの1945(昭和20)年11月21日に文部省総務室が「画一教育改革要綱」において「生徒ノ自発的学習並ニ自治的訓練」を促すような方途を講ずるべきことであると指摘されました。

そして、1947(昭和22)年に初めて発表された『学習指導要領 一般編』では、児童中心主義的教育観を全面に示し、児童の自発性や興味を重視した生活経験型の教育が教科課程全体に求められていたのですが、その中で、教科外に該当する教育内容が示されたのです。その活動内容は「個人の興味と能力に応じた教科の発展としての自由な学習」を中心とすることが、「学芸会」や「全校運動会」でも配慮すべきことと言及されているのです。このことは、運動会の時にも触れましたが、これら特別活動は、基本的に児童の自治に負うところが意図として大きいのです。こうして、特別活動をいう教科外活動にも教育が求められ、「特別教育活動」として整備され、1951(昭和26)年の学習指導要領改訂では教科課程が教育課程という名称に改められたのです。そして、それは、「実際に児童・生徒が持つところの教育的な諸経験、または、諸活動の全体」と捉え、教科については文化財の系統的体系ではなく教育的必要に基づく経験の組織と捉えられていたのです。

このように特別活動としての「学芸会」の経緯を見てくると、学芸会のために子どもたちは毎日練習を繰り返し、教員は準備に大忙しというのはおかしいことなのです。また、幼児教育で、特別活動をそのまま取り入れることはできないことがわかります。日本では、よく言うことですが、どうも小学校教育をモデルにして幼児教育を行うことが多くみられ、幼児教育も学校教育の中に組み入れるべきだという意見が出てくるようです。発達を踏まえた行事であるとしたら、児童の自治を目指す小学校における特別保育をモデルにしないで、乳幼児教育における学芸会に代わるものを考えないといけないのです。