各地のうどん

  先日、香川県を訪れた際、何度も食したものは、もちろん「讃岐うどん」です。特に釜揚げうどんは、腰があり、その食感、のど越しは抜群ですね。特に東京うどんは、これは、園の給食だけかもしれませんが、ぶつぶつと切れ、周りはざらざらしてのど越しはあまりよくありません。同じ事ならどうして、おいしく作らないのかと思ってしまいます。讃岐うどんほどではありませんが、全国には、様々なうどんがあり、少しずつその製法、形状、味が違います。私がよく知っているだけでも、秋田県の「稲庭うどん」、群馬県の「水沢うどん」、山梨県の「ほうとう」、愛知県の「きしめん」、「味噌煮込みうどん」、長崎県の「五島手延べうどん」、大分県や熊本県の「だんご汁(だご汁)」などでしょうか。また、よくいただくものに宮城県の「白石温麺」があります。これについて、ANAの機内放送で先月取り上げられていましたので、明日そのことについては書こうと思っています。

 先日、「氷見うどん」をいただきました。もともとの麺の材料である小麦は、紀元前七千年頃にメソポタミアで栽培が始まり、そこから世界各地に広まっていった作物であるとされていますが、この小麦を栽培する技術とそれを粉にする技術がセットになって、シルクロードを通って中国に伝えられ、新しい食文化である“麺”が生まれたと考えられています。そして、この“麺”は、奈良時代(8世紀)に中国から日本に渡来したといわれています。こうした麺食文化の伝来には、7世紀初頭にはじまった遣隋使・遣唐使が大きな役割を果たしたものと考えられています。このように遣唐使によって伝えられたものが、後年、北前船で各地に広まったとする説があります。北前船の寄港地近くで、且つ良質の小麦の産地に産業としてのうどん、そうめん製造業が栄えたのではないかという訳です。そのために、うどんの多くの産地が、秋田の稲庭うどん、長崎県・五島列島の五島うどんなど日本海側にあるというもの、その関係ではないかと言われているのです。

このような経緯から日本海側の能登の輪島に麺が伝わったという説のほか、現在の形の素麺(当時は索麺といいました)は禅僧によって中国から、まず能登門前町には曹洞宗総本山総持寺に伝えられ、各地の禅寺に広められたとする説があります。鎌倉時代に開山したこのお寺は、最盛期には全国1万6309もの末寺の頂点に君臨し各地から大勢の僧侶達が訪れて「一夜住職」を務め、寺を預かる資格を得て故郷に帰っていくのですが、その時に、素麺や輪島塗りの数々の品が全国に持ち帰られて広まっていきます。当時、輪島には加賀藩の御用素麺として白髪素麺がありましたが、次第に衰退し、やがて絶えてしまいましたが、全国では、その影響を受けて、いろいろなうどんが作られていきます。

その一つが、能登輪島のそうめん座から技術などを採り入れ、富山氷見の地で「氷見うどん」となります。「氷見うどん」は、手延べ式の細いうどんで、加賀藩献上御用うどんとして献上されます。手延べうどんは、小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練った生地を引き延ばすために、でん粉や食用油または小麦粉を塗付して、よりをかけながら引き延ばして乾燥、熟成させる製法ですが、氷見うどんは、稲庭うどんと同じで、竹によりながらかける手縫いで、油は塗らずに延ばしていきます。ですから、その食感は、氷見の風土に育まれた素朴な手延べ麺のため、餅のような粘りと、独特のこしの強さがあるため、餅のような感触と風味、のどごしの良さと歯ごたえがあります。

 東日本が「そば」で、西日本が「うどん」文化というのは、どうも違うようです。