おたのしみ会の考察3

私の園での「おたのしみ会」では、保育所保育指針の領域の中の「表現」と「言語」の発達を保護者に伝えることを意図するのですが、この「表現」とはどういうことで、何を通して行うのでしょうか?小学校では、児童が学習の成果としての音楽・演劇などを発表することが多く、また、特別のプログラムをもって劇、朗読、合唱、合奏、舞踏などを子どもたちに発表させる学校行事としてとらえられることが多いようです。

幼稚園教育要領では、「第2章 ねらい及び内容」の中で、「幼児の発達の側面から,…感性と表現に関する領域 「表現」 としてまとめ」とあります。また、保育所保育指針には、「教育に関わるねらい及び内容」として「表現」の領域には、「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して、豊かな感性や表現する力を養い、創造性を豊かにする。」とあります。どちらにしても「領域」の一つとして書かれてあるのですが、幼稚園教育界の公的文書に「領域」が文言として取り入れられたのは、昭和31年の幼稚園教育要領からです。このころの教育要領は、教育内容を6領域に分類し、望ましい経験を各領域に即して示したことですが、小学校教育での教科との一貫性を持たせようとした感があります。

この一貫性は、幼稚園の位置づけが影響しています。それは、戦後、アメリカのGHQによって行われた教育改革で、昭和22年に「教育基本法」「学校教育法」が公布され、幼稚園は学校教育の体系の中に組み込まれ、幼稚園教育としての目的と目標が示されたのですが、具体的な保育内容については示されませんでした。そこで文部省は、委員会を作り、「保育要綱」(幼児保育指針)を作成します。この昭和23年に刊行された保育要領の保育内容は、見学、リズム、休息、自由遊び、音楽、お話、絵画、製作、自然観察、ごっこ遊び・劇遊び・人形芝居、健康保育、年中行事の12項目でした。ただし、「幼稚園の毎日の日課は枠の中にはめるべきではなく、幼児の生活に応じて日課を作るようにすべきである」と述べられています。

しかし、この中で謳われた「教師は、幼児の自由な活動の間に幼児の一人ひとりに注意を向けて必要な示唆を与え、個々に適切な指導をし、身体的にも、知的にも、感情的にも、社会的にも適当な発達を図ることが大切である」という趣旨は、次第に系統性や計画性が欲しいという意見が多くなり、当時の文部省は、昭和26年12月、教育課程審議会の答申で「幼稚園の活動及び経験は、健康・社会・自然・言語・絵画製作・音楽リズムの領域に関するものとする」となされ、「領域」という言葉が現れます。ここで、「『領域』は指導を筋道を立てて考えるためのもの」と説明され、「6領域」が生まれました。現在、いくら「領域」は「発達の側面」と説明しても、領域ごとに年案、月案が立てられ、教科のように指導する内容として捉えられてしまうのは、この時の「指導を筋道を立てて考えるためのもの」として捉えられていることが影響しているのでしょう。また、これらの「領域」は、「小学校以上の学校における教科とは、性格を大いに異にするということである」が記述され、「幼児の具体的な生活経験は、ほとんど常に、これらいくつかの領域にまたがり、交錯して現れる」とあるにもかかわらず、領域をたてたのは「内容を組織的に考え、かつ指導計画を立案するための便宜のためからしたものである」と記述がなされていることなどから、領域別に指導計画をたてて指導するのが望ましいといった認識が生じていき、領域が教科的に扱われる傾向に拍車がかかります。そして、指導計画の作成についても、その時期の子どもの発達を考えた「主体的な生活づくり」として考えることなく、小学校の指導計画のように、内容を系統的に配列すれば、子どもが豊かに育つと認識されてしまい、幼稚園教育が学校の授業のようになっていきます。

ということから、保育園、幼稚園における発表会は、小学校の学芸会のような意図と目的を持ってしまっています。

おたのしみ会の考察3” への9件のコメント

  1. 少し幼稚園の歴史をさかのぼってみようと思います。

    1899(明治32)年文部省は「幼稚園保育及設備規程」を制定し、それまで不明確であった幼稚園の施設・設備・編成等に関して詳細な基準を設けました。これによって幼稚園教育の基本的枠組みが決定され、日本の幼稚園制度が初めて成立しました。「幼稚園保育及設備規程」では保育内容として「遊戯」、「唱歌」、「談話」、「手技」の4 項目を規定し、以後終戦までこれが全国の幼稚園のカリキュラム編成の基準となったのです。また1 日の保育時間は5 時間以内、保母一人あたりが担当する幼児は40人以内と規定されています。

    そしてこの「幼稚園保育及設備規程」の制定の重要なことは、1880年代以降文部省が奨励した簡易幼稚園または貧民幼稚園をその規程外の存在として排除し、中上流階層の子どもを対象とする普通幼稚園のみを「幼稚園」として制度化したことです。これによって、幼稚園は、中上流の子どもを対象として発展し、それ以外の保育に欠ける庶民階層の子どもたちを保育する機関として、当時の内務省所管であった託児所または保育所が役割を担うこととなりました。幼保二元化体制の始まりです。

    その後1926(大正15)年には幼稚園に関する単独勅令である「幼稚園令」が公布され、「幼稚園令施行規則」が制定された。これにより幼稚園の制度的位置づけが初めて明確なものとなりました。同規則では、保育内容に「観察」が加えられ「遊戯」、「唱歌」、「観察」、「談話」、「手技等」の5 項目が規定された。初期の幼稚園の領域は、お遊戯に、お歌、自然観察、お話をする(聞く)、手遊びといったところで、私の幼稚園時代(昭和30年の始め)とあまり変わっていません。小学校のミニ版、幼児学校としての幼稚園。乳児か家庭に恵まれない子がいくのが保育所でした。少子化の今になってもその固定観念が残っていることはとても残念です。

  2. 考えてみると当たり前のことですが、今の発表会における取り組み方などの問題は、結局のところ保育の問題でもあるんですね。教科のように捉え領域別に計画を立てていくことが子どもの発達には望ましいという考えは、普通に考えたら何かおかしいと感じると思うのですが。でもそういうものだという考え方の中に入ってしまうと、そこからなかなか抜け出すことができなくなったりするんでしょうか。その辺をきちんと示して実践している園が少しずつでも増えていかないと、認識はなかなか改まらないのかもしれませんね。既に発表会は終わってしまったのですが、来年の発表会に向けて、そして他の行事に向けても少しずつ考えを整理していく必要がある点が見つかってきているので、楽しみが増えてきている感じです。

  3.  領域に対する間違った捉え方が今の教育にも大きく影響を与えているのは、考え直す必要があります。領域というのは指針を読めばある程度の意味は分かると思います。子どもが年齢に応じて発表会であれば、言葉と表現がどのくらいの年齢だとどこまで出来るのか?目標になりますが、それを教科のように教え込むのは何だか違いますね。いつも言っている事ですが、子どもは自分で環境に働きかけ、発達していきます。そこに大人の干渉が入って無理矢理に領域通りに子どもを指導してしまうと、領域は達成されてもそこまでの大切な過程が身につかないような気がします。残念ながらほとんどの園はブログに書いてあるように小学校のような意図を持った発表会が行われていますね。

  4. 領域という考え方がどうも一人歩きをしている気がします。そこには本来の子どもの姿があるべきで、そこからどう発達に繋げるかという話だと思いますが、そもそも発達の話が考えられていなければ危険なことだと思います。どうも、私にはどこか教科的な教え方をすることが望ましいという保育者のエゴのようなものがあるような気がしてなりません。また、領域と言ってもその枠はお互いに密接に重なっています。それを領域別に指導計画をたてるというのはどこか無理があるように思います。遊びや生活のなかから発達していく子どもたちの姿を本来発表するのが、生活発表会であるのに対し、そこに至るまでのプロセスよりも最後の結果を見られるというのもなんとも残念な気がします。子どもたちの発達を大人ももっと理解していかなければいけないのでしょうが、実際子どもたちを預かる保育機関はもっと意識していくことが必要になってきますね。

  5. 今回のブログから就学前教育における「領域」の歴史を学ぶことができます。私たちは5領域ですが、それ以前は6領域で、その領域も「系統性や計画性」を求められて策定され、「指導を筋道を立てて考えるためのもの」と規定され、今日5領域として生き残ってきたことがわかります。「小学校以上の学校における教科とは、性格を大いに異にする」とされながらも、指導案を領域別に立てた段階で「教科」的に捉えられます。しかし、領域別に立てられた指導案によって現場ではどんな保育が実施されるようになったのでしょうか?「健康・社会・自然・言語・絵画製作・音楽リズム」の領域別に計画を立てるのであるならば、そうした領域ごとのカリキュラムをしっかりと作成し小学校のように時間を区切ってやらなければ領域の特性が見えてこないでしょうに・・・・と思ってしまいす。現在保育所では「5領域」ですが、やはり素直に捉えれば藤森先生ご指摘の通り「発達の側面」以上の何もでもなく、発達の側面にこまごまと計画をたてるのはどうなんでしょう?発達は、その遅い早いはあるものの、連続して代わる代わる現れてくるものだと思います。計画を立てたからといって基本どうなるものでもないのが発達でしょう。それよりは、発達も含めて総合的に成長を遂げていく存在として子どもをとらえたらどうでしょう。その場合「領域」で「年案、月案が立てられ」るのはやはり変と言わざるを得ません。

  6. 昭和23年に刊行された保育要領では、12項目の保育内容が決められていたということで、現代に比べると非常に細かな内容に分けられていたそうですね。以前、行事のための資料として「自然観察」のところだけは目を通しましたが、4月から3月までの1年を通して、どのような自然があって、どのような遊びがあるのかといったことが書かれてありました。そのような中、「幼稚園の毎日の日課は枠の中にはめるべきではなく、幼児の生活に応じて日課を作るようにすべきである」とあったことに驚きました。その頃から、計画はあくまでも子どもの姿を優先させるべきだということが言われていたのですね。そのような決まりがあったにも関わらず、計画を優先させてしまう保育が現代でも残っているということに疑問を感じます。

  7.  語弊があってはいけないのですが、謎解きのような面白さを感じています。なぜこんなにも指導色の強いものへとなってしまったのか、その経緯が明らかになっていくことが垣間見え、驚きと少しばかりの興奮でもって読み進めている次第です。
     幼稚園教育要領を作った側の意図としては、現在のように指導色の濃い日常を子ども達に設けることを良しとしてのことなのでしょうか。例えば劇の練習を嫌でも行なわされている毎日があることや、今多くの保育園で行われている指導型の教育を目指して、この要領はつくられたものなのでしょうか。そうでないとすれば、つくった人たちは今の多くの日本の保育園、幼稚園で行われている実態を知る毎に多大なジレンマに悩まされていることでしょう。もっと声を大にして〝そういう意味でつくったのではない〟と言ってくれたらいいのに、と思ってしまいます。発達に即したもの以上のことを子どもたちは望んでいないのに、と思ってしまいます。

  8. 領域は、小学校以上の学校における教科とは、性格を大いに異にするとあるのに、教科的に扱われている現実があるように、まだ保育園に来て日が短い私でも感じることがあります。その影響を幼稚園保育園が受け、学校の授業のようなことになり、おたのしみ会も小学校の学芸会のような意図と目的を持ってしまったのですね。

  9. 領域というものを、保育者になって初めて知ったのですが、ここに書かれてあるような歴史が存在するんですね。
    『小学校以上の学校における教科とは、性格を大いに異する』ということが書かれてあるのに、計画が重視されてしまうというのには、書かれてあるようなことが原因にあったのですね。
    そのような歴史があったということを踏まえて、領域というものがどういうものなのかということを再確認することができました。

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