おたのしみ会の考察22

いよいよ今年の幕が閉まります。来年という次のステージが始まります。そのステージではどのような演技が行われるのでしょうか?私たちは、その舞台を鑑賞するだけでしょうか?出演するのでしょうか?それとも、演技に対して舞台の下からヤジを飛ばすのか、評論するのでしょうか?私の園の「おたのしみ会」は、0歳児からすべての園児が、普段の生活や遊びの中から自ら表出することから表現する力を見せていきます。全員が出演者なのです。そして、それは、当日だけのものではなく、発達過程における通過点の姿なのです。

 もちろん、「おたのしみ会」当日は、子どもにとっては特別な日であり、他の人に見られる日です。しかし、子どもにとっては少しでも日常の連続であると思ってもらうために、舞台は台にせず、観客席と同じフロアで高くしません。以前、高くしていた時、園児の中に、舞台ののぼると声の出ない子がいました。高い舞台に何かトラウマがあるのではないかと発達相談の人に言われたことがありました。また、舞台から落ちてしまう子がいたり、登場するときにのぼらないといけなかったりということもあります。保護者からは少し見えにくさはありますが、見る側と同じ高さでの演技は、舞台と観客が一体になっている気がしています。

 また、舞台の前には幕がありません。演技が終わり、次の出し物の舞台設営の間は、暗転するだけで観客からは見えています。それは、舞台への出入りも、舞台設営も、演技の一つだと思っています。もちろん、舞台設営の多くは職員がするのですが、半分は遊び心で、「黒子」の格好で出てきます。もしかしたら、子どもが準備することもあるかもしれません。また、合奏などは、始まる前に前に並びますが、順に出てきて、並ぶ姿からも、薄暗い中ですが、発達を見ることができます。

 年というステージが変わる最後の舞台が今日です。いよいよというカウントダウンが始まるまで、今までの振り返りや、来年への期待の気持ちがわいてきますが、その実感をもたらすものに、私は、やはり「紅白歌合戦」でしょう。それほど面白くもないのですが、何となく見てしまいます。しかし、私の息子は、どこかの場所で友達とカウントダウンをしていたようですし、テレビにしてもほかのチャンネルを見ているようです。どれにしても、次の出し物が始まるまでの「幕間」かもしれません。園の「おたのしみ会」にも「幕間」があります。

2011年、2012年舞台背景(テーマ森)


 「幕間」とは、劇と劇の間をつなぐもので、次の出し物の準備をしている間をつなぎもので、準備が出来たら合図をして次の出し物の紹介をして去るという役目があるのですが、前の出し物の振り返りと、次の出し物への期待を持たせる役目もあります。また、「幕間劇」というように、特に背景や大道具を使わないで行う一つの出し物ということもあります。どの要素が強いかは、私の園ではその年の胆嚢に負って違います。幕間を受け持つもの、以前、子どもたちの観覧していた時には、年長さんがやっていたこともありました。また、学童クラブの子どもたちがやってくれた時もありました。その時は、クイズや紙芝居、時には、幕間を通して本の読み聞かせなどをしていました。しかし、最近は保護者だけの観覧ですので、前の出し物の振り返りと、次の出し物への導入の役割が強くなりました。

 今年最後のブログもこれで終わりですが、また、明日から新しい物語が始まります。よろしくお願いします。

おたのしみ会の考察22” への9件のコメント

  1. この臥竜塾を読ませてもらいながら今年も楽しく保育に向き合うことができました。ありがとうございます。分かっていたようで分かっていなかったことにいつも気づかせてもらい、嬉しく思う反面、まだこんな段階なのかと思い知らされたりしています。藤森先生の言葉をできるだけ深く理解したいとも思いますし、自分の理解になるように実践とのつながりも大事にしなければと試行錯誤しています。反省することばかりですし、課題は増えていく一方ですが、それがやりがいにもなっています。と、毎年大晦日には同じ事を書いているような気がします。少しは前に進めていればいいのですが…。来年も舞台の下からただ見ているのでもなく、評論家の様に振る舞うのでもなく、目の前にあるステージで丁寧に活動していこうと思います。今年も1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

  2. ついに新年を迎える直前にブログが追いつきました。連日、猛烈な勢いでコメントをアップしてしまい、すいませんでした。ともあれ、今年もこのブログを読んで、いつもまだまだ未熟な自分を見直す機会になっているのと、すぐには実現が難しくても一歩ずつ変えていければという勇気をもらっています。今回のブログでも、職員の先生方の生き生きと保育を楽しんでいる姿が見えますね。常々思うのですが、子どもの保育をしていて子どもたちが楽しくするということには目を向けるのですが、保育士が楽しむということはどこかでタブー視されている気がします。ですが、やはり保育士も楽しんでいないと子どもたちも楽しくいろんなことに挑戦することができないように思います。新しい発想や遊び心は要点をしっかりと捉えた上で保育を楽しんでいないと萎縮するばかりで出てこないと思います。保育というものの考え方や捉え方をもっと自分なりに整理して今後も学んでいこうとおもいます。
    今年もお世話になり、ありがとうございました。
    来年もよろしくお願いします。

  3.  今年最後のブログ、今年も多くの事を学ばせていただき本当にありがとうございました。来年も多くの事を学ばせていただきます。
     私も今年は実家で紅白歌合戦を見ていました。今回のブログを読んで歌と歌の間に司会者がゲストと話したり、何か簡単な出し物をしたりしていましたが、あれが幕間ですね。時計の長い針と短い針が12を指す直前に様々な事を考えました。今年の出来事や反省など、今年も色々とあった一年でした。最近は行事の内容のブログが多くありますが、毎年のように新宿せいが保育園の行事を参考にしていますが、あれにはこんな深い意味があったのか!と新しい発見の連続の毎日と、理念の再確認が出来た内容で、年末の振り返りとして個人としては、ちょうど良かった内容です。今年も最後まで勉強させていただきありがとうございました。

  4. 今年は高倉健の映画で年越しだ!とばかり、BSの「幸せの黄色いハンカチ」や「駅・ステーション」をハシゴして楽しんでいたんですが、日本人の習性というか、11時を過ぎると、いつの間にかテレビは紅白に。真っ青な空のもと、アフリカの砂漠で熱唱するミーシャ、宙乗りをする市川猿之助に名優福山雅治が愛を謳う。62歳の永ちゃんは相変わらずのシャウトだし、森光子と勘三郎さんを追悼する和田アキ子の涙にはもらい泣きしそうになってしまった。やっぱり大晦日は紅白かぁ・・・。

    今年もこの臥龍塾で、“保育”という舞台を少し遠めに見て、ああだこうだと勝手な評論ばかりしてきたようです。現場で子どもと向きあっている人の苦労がどこまで理解できているのやら。そろそろ、外野席から降りてマウンドに下りる時が近づいているような予感がします。来年は評論家を卒業して、理想の保育の舞台を設営する作業を少しづつ始めてみたいと思います。藤森先生、今年も一年間ありがとうございました。

  5. ややこしいことではありますが、2013年の大晦日に、2012年12月31日ブログへのコメントを記しております。ジャスト1年前のブログとコメントを拝読させて頂きました。何はともあれ、藤森先生はじめコメンテイター各位より多くの学びを頂いたことに感謝申し上げます。さて、22回に渡って連載されてきた「おたのしみ会の考察」は今回で大団円を迎えます。一つ一つの考察がとても示唆に富み、やはり受け取る側のキャパシティの問題でしょうね、消化して我が物にするにはこれから多くの経験体験を積み重ねていく必要があります。ことあるたびに、これら考察を振り返らなければならないと思った次第です。今回のブログには、ステージのこと、幕間のこと、が紹介されています。紹介頂いた考え方に実践する際に立ち返り、常に意味あるおたのしみ会を作り上げていくことが私たち一人ひとりに求められているのでしょう。
    これで2012年のブログへコメントを書き終えることができました。2012年のブログからも、たくさんたくさんの教えを頂きました。新しい年を迎えるにあたり藤森先生には心から御礼を申し上げます。何卒、良い年を迎えられますように。

  6. 行事である「おたのしみ会」という日を、子どもにとって日常の連続と感じてもらうため舞台に段差をなくしたり、幕をつけないようにしたなどと、あくまで子どもが主体でありそのままの発達を見てもらうための工夫であると感じました。また、22回に渡って考察をされてきた「おたのしみ会」は、最後まできても「おたのしみ会」でした。子どもも保護者も保育者も、準備の段階から当日が終わってその後の余韻までをも楽しみ、一人ひとりの発達を喜んで楽しみ、幕間までも楽しんでしまうというように、「楽しむ」体験によって得られる「発達」や、生み出される「知恵」、感じさせる「生きがい」のようなものがあるのだと感じます。よく、保護者が子どもを迎えにきて「今日も保育園楽しかった?」と聞いています。子どもが発するその答えに、私たちは日々の保育の質を振り返るきっかけとしなくてはいけないのかもしれません。

  7.  何度目かの新宿せいが保育園を訪ねた日がおたのしみ会でした。幕間の面白さに感動してどうしても職員の人と話しがしたくなってしまい、知り合いの先生を通じて舞台裏に入らせていただきました。全身タイツのような本多先生と、アントニオ猪木をやりきった(おたのしみ会は12月の行事ですが)夏本番の格好をした塾頭がいました。相当な準備、相当な練習があったのだろうと思い質問をすると、「昨日ちょこっと」ということでした。アントニオ猪木の〝道〟をソラで言うかについては本番直前まで練習してやるかどうかを決めるとしていたということで、その大胆さというのでしょうか、ダイナミックさ、そしてその面白さに、やはりとても感動をしたものでした。
     今年は自分がその舞台に立つことができました。もし学生や、自分より若い人に話す機会があれば、願いは叶うことや、行動をすることが実を結ぶことをこのような体験から話したいです。そして働くことの楽しさを伝えてあげられたらと思います。この度のブログ、コメンテーターの皆様のコメントと違って今年はまだもう少しあるのですが、なんだか今年最後のようなしんみりとした気持ちになりました。

  8. この時期のブログなので、今のおたのしみ会の見せ方と少し変わっているところはあるかもしれませんが、これを読んで自分自身、見直さないといけないなと感じました。「舞台への出入りも、舞台設営も、演技の一つ」という一文です。大道具をやりながら大道具の設置も見られているという意識でやっていなかったように思います。
    また、幕間は劇と劇の間をつなぐものとしか考えていませんでした。しかし、前の出し物の振り返りと、次の出し物への期待を持たせる役目というのもあったのですね。次幕間をやる時は、そこも意識してやっていきたいです。

  9. 2016年にこのブログへのコメントをしているのですが、『おたのしみ会』と検索して遡っています。その理由は昨年は自分がおたのしみ会のリーダーをさせていただいたからです。
    改めて『楽しむ』というものがいかに全体的なものであるのかということをこのブログで感じさせられました。
    『子どもたちが楽しむにはまずは自分たちから』ということを心掛けながら準備などしていましたが、やはり、余裕も必要ですね。
    おたのしみ会が近づくと自分の性格もあるのですが、あたふたとしてしまっていて、職員から『大丈夫だって』と声をかけられることもあり、反省する部分です。
    ですが、周りの職員や子どもたち、保護者のおかげもあり、あたふたをも楽しめたのではないかと思っています。
    〝舞台への出入りも、舞台設営も、演技の一つ〟という考え方が、保育中もその準備もそれ以外のことも保育につながるものである、ということを改めて感じさせてくれました。

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