おたのしみ会の考察21

 保育所保育指針に書かれてある「発達過程」の注意書きには、「子どもの発達過程は、おおむね次に示す八つの区分としてとらえられる。ただし、この区分は、同年齢の子どもの均一的な発達の基準ではなく、一人一人の子どもの発達過程としてとらえるべきものである。また、様々な条件により、子どもに発達上の課題や保育所の生活になじみにくいなどの状態が見られても、保育士等は、子ども自身の力を十分に認め、一人一人の発達過程や心身の状態に応じた適切な援助及び環境構成を行うことが重要である。」

この注意書きをよく読みこまずに、各年齢区分の発達だけを読んでしまうことが多いようです。発達過程が「一人一人の子どもの発達過程として」と書くのであれば、区分で書かずに、その連続性を書くべきなのです。そのほうが、発達の連続性だけでなく、順序性や方向性が見えやすくなります。保育に必要なのは、それが大切な気がします。それこそ、保育所ができることで、新しい子ども園構想の中で、3歳以上児だけ学校教育に組み入れるという考え方は生まれてこないと思います。様々な発達は、3歳から何かができるようになるのではなく、必ず生まれながら将来に自立していくための準備を始めていくのです。そこに、こういう仕事をしていく感動があるのです。知識を与える、知識を覚えるのであれば、年齢区分は必要です。小学校で教えるべき内容を、おおむね6年間に振り分けるのは分かりますが、発達を年齢ごとに振り分けるのはおかしい気がするのです。

園の「おたのしみ会」は、保護者に子どもたちの発達を見てもらうのですが、それは、「それぞれの年齢に何ができるというよりも、わが子が昨年と比べてこんなことができるようになったのだ」ということを感じてもらいたいのです。この考え方は、すべての行事に通っている柱です。ですから、行事のプログラムにつける発達のめやすの表には、年齢区分は書かれていません。0歳児からどのように一人一人が発達してくるかという、連続性を重視した形で示しています。その表は、プログラムの後ろに貼ってあり、広げると全体の発達の連続性がわかるようになっています。

今年の「おたのしみ会」の始まりは、舞台の前に広げられた白い布に、森を映し出され、その森の中でいろいろな動物が遊んでいるというイメージでした。そのプログラムは、立てられるようになっており、終わってから前後を入れ替えると、来年のカレンダーになります。カレンダーの数字は、年長の子どもたちが書いたものです。おたのしみ会が終わっても、来年1年間は使ってもらおうというものです。

また、プログラムは、イメージに合わせて、森の木の間に張られた布に映し出される出し物を森の動物が鑑賞するというものでした。そして、出し物が進むにしたがって、プログラムをめくっていくと、観客の動物が増えていくという趣向です。また、木に登っているサルは、紙の押さえになっています。観覧している動物は、職員数人で作った消しゴムハンコです。上手に作るものです。

とても手が込んだプログラムですが、担当の職員がパーツと、完成品を職員室に置いておくと、手が空いた職員や、職員室で仕事をする職員が、話をしながら作ります。間近に、時間外で一生懸命作るという感じではなく、いつの間にか勤務時間内に出来上がっているというように、上手に時間を作っています。また、何人かでおしゃべりをしながら作るのも楽しいようです。

おたのしみ会の考察21” への9件のコメント

  1. 知識を与えるのであれば年齢区分があるのは分かるが、発達を年齢ごとに振り分けるのはおかしいというのは非常に納得できました。何が問題なのかを把握できていればこのような説明ができるんですね。自分の理解はほんのうわべだけのものだと反省させられました。子どもがどのように成長していくか、そのためにどのような力を持っているかといったことは、まず自分が理解しておくことは当然ですが、制度を考える方々にもぜひ理解しておいてもらいたいことです。そうはいってもそのような方々によって議論が進んでいくというのは期待しにくいところではあるので、保育の現場での実践によるアピールが大事になってくるんでしょう。その実践が、ここでも紹介されているように楽しみながら進めていけるものであれば、途中で息切れしてしまうようなこともなく、またその姿勢こそが良い結果を生み出してくれるような気がしています。

  2. 『子の曰く、吾れ
       十有五にして学に志す。
       三十にして立つ。
       四十にして惑わず。
       五十にして天命を知る。
       六十にして耳順がう。
       七十にして心の欲する所に従って、
       矩を踰えず。』         

    「論語」の中にあるあまりにも有名な孔子の言葉です。これも広い意味で人間の発達過程を年齢区分で表現したものでしょう。孔子のような聖人でなくても、適切な環境と周囲の善意ある人の援助があれば、人は赤ん坊の時から老境に至るまでこのような道を歩む可能性を持っています。見守る保育の発達理論は、人の生き方にもつながりそうです。

    今年もあとわずかになってきました。私なりに年齢相応の進歩を遂げることができた一年であったかー。今宵、除夜の鐘を聴きながら振り返ってみたいと思います。

  3. 年齢区分にくらべ、発達はすべてが年齢によって区分できるわけではないということは環境を通してやってみるととてもよく分かります。子どもたちの育ちには個人差があります。しかし、最近ではその個人差が許せない親や焦る親がいるというのはやはり発達を年齢によって区分しているからなのかもしれません。保護者にこういったことを理解してもらうのは、やはり普段の保育は当然のこと、「行事」がとても見せやすいですね。発達を整理した紙を貼ることやそれを見やすいようにプログラムに入れること、やりようはいくらでもあるということを学びました。現場の人間もこういったことを理解し、伝えていかなければいけませんね。せいがではプログラムを職員の先生方が楽しみながら作っているというのが分かりますが、単に研修だけではなく、取り組みを通じて「楽しみながら学ぶ」ような環境は大人にも必要なんだと思います。

  4. 確かに小学校のような知識を与える場所では年齢区分で分け、振り分けるのは納得いきますが、発達に関して年齢ごとに振り分けるのは、おかしいですね。発達というのは藤森先生が講演でも言われるように段階ではなく、連続して発達していきます。その連続性をよく見るためには、やはり子どもの自発的な活動が発達を促し、それが自然と発達の連続性になります。それを大人が介入し指導してしまうと連続性ではなくなり、段階のように飛ばすようになります。指針にも一人ひとりの発達を適切に援助し環境構成をすると書かれてあるように、この文章を読むだけでも、保育士が子どもに指導するという言葉も書いてありません。保育士はその時の発達を理解し援助する事が重要です。その為にも指針に書かれてある発達を理解する必要がありますが、現場の先生を見ていると本を読まなくても子どもの事をしっかり見ていれば、次の発達が分かるようです。

  5. 園のプログラムには毎回驚かされ感動を覚えます。運動会に相応しい動きのあるプログラム、おたのしみ会に相応しい表現と言語に工夫が見られる楽しいプログラム、よくもまぁこうしたプログラムを毎回違ったものを工夫して職員さんたちが提案し、選ばれた案にさらに工夫を付け加え、プログラムの形態が決決めていくものだと感心しております。職員さんによるコンペで決まるのですが、これはなかなかに愉快です。この時、職員さん一人ひとりの知らなかった才能を発見することがあり、実はこのことにも私は驚いています。プログラム製作についてはブログで紹介されたとおりです。手の空いた職員さん、保育士さんや看護師さん、栄養士さんや調理師さん、用務員さん、が三々五々職員室にやってきてはいろいろなお話をしながら作り上げていきます。実ににぎやかです。楽しそうです。そして困ったことがあれば「総合プロデューサー」(園長)頼みです。ですから、皆さん、安心して作業にいそしむことができるのですね。「発達過程として書くのであれば、区分で書かずに、その連続性を書くべきなのです」ということはまことにその通りだと思います。「子ども自身の力を十分に認め、一人一人の発達過程や心身の状態に応じた適切な」とあればなおさらです。この発達の区分が相変わらず「年齢の刷り込み」をもたらす原因になっています。新しい「保育要領」に期待を抱きつつ、しかし現場ではいつも目の前にいる子どもたちと共にあるわけですから、年齢の刷り込みに寄らない、子どもたちの発達過程を適切に保障する仕組みを作り上げていかなければなりません。そのためにも多くの保育関係者に当臥竜塾ブログのことを伝え、変わるのはいつから?今でしょ、という促しを行っていきたいと思います。

  6. 発達過程の注意書きからは、子どもの力を信じ、状況に応じた柔軟な対応や環境を構成しながら、一人ひとりの発達過程を保障していくことが望ましいということが伝わってきます。この年齢までにこの発達をさせなくてはいけない、発達が遅れているから指導しなくてはいけないといった保育者が感じやすいプレッシャーを軽減させてくれると同時に、子どもの発達過程を見極めながら柔軟性と連続性を持って子どもと関わっていかなくてはならないことが理解できます。また、それは「プログラム制作」からも読み取ることができます。当日だけのものに終わらせず、その後も「カレンダー」として使用できるように考えたり、テーマや構成とリンクさせた「プログラム」を作ろうとまで思考を深めている過程にこそ、保育の質の高さを垣間みることができるように思います。

  7.  発達過程の注意書きにはとても大切なことが書かれているのですね。ここに沿っていない保育園をこの点で指摘できるような内容です。第三者評価なども、書類をチェックすることでその保育園を評価するのではなく、保育や現場を理解した上で保育園を評価する仕組みがあっていいと思います。知能主義的なペーパーテストでその人の人間性を理解することができないことと同じような気がします。
     プログラム作りの面白さが書かれていますが、本当にその通りで、係りではない人も混ざってわいわいしながらやっています。夕涼み会や運動会などでプログラムを作る経験はしていたので、その流れや雰囲気は係りではなくてもなんとなくわかる感じです。しかし、今年もすごいプログラムが出来上がりました。ずばり〝カメラ〟です。自分が発案して製作したものではないのですが、それを保護者に渡す時にはなぜかとても誇らしげな気持ちになります。保護者に喜ばれたり、感謝をされたりするとより一層いいものをつくったもんだという気持ちが湧いてきます。今年の係りの人も、本当にお疲れ様でした。

  8. 保育所保育指針に書かれてある「発達過程」には、こんな注意書きがあったのですね。このブログを読んで、普段の行事の時に先生がおっしゃる「それぞれの年齢に何ができるというよりも、わが子が昨年と比べてこんなことができるようになったのだ」という言葉の意味がやっと理解できた気がします。プログラムの発達のめやす表をしっかり見たこともなかったので、年齢区分が書かれていないことも知りませんでした。

  9. 人間は〝必ず生まれながら将来に自立していくための準備を始めていく〟ということから『子どもを信じること』がみえてきます。
    発達を区分に分けずに連続性でみていくこと、子ども一人ひとりの発達を見極めながら柔軟に対応していく丁寧さが求められることが保育所保育指針の注意書きから読み取れます。
    おたのしみ会のプログラムをただのプログラムで終わりにせずに、その先を考え、そのおたのしみ会や園のテーマに沿ったものを職員みんなで楽しみながら作っていく過程にこそ、みんなでつくるおたのしみ会の深みがあるように思いました。

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