おたのしみ会の考察17

年長さんの担任が、おたのしみ会の中で保護者に見てもらおうとした発達は、「自分や友だちの表現したものをお互いに聞かせあったり、見せ合ったりして楽しむ。」という姿であることを、コメントで紹介しています。しかし、この表現する力は、決して、おたのしみ会の時に発揮されるものではなく、私の園では、3,4,5歳児の部屋に用意されてある様々なゾーンでの活動に見られます。そんな普段の遊びをコメントで紹介しました。「おままごとゾーンではレストランごっこでウエイトレスさんになったり、お母さんや赤ちゃんになったり、製作ゾーンでは、飛行機や手裏剣を作ってヒーローや忍者になったり、いつも遊びの中でイメージを広げ、工夫しながらその役になっておもいっきり楽しんでいる年長さん。」

最近は、子どもたちの家にはいろいろな人が訪ねてきません。私の子どものころは、畳や、庭師、建具や、表具や、自宅でいろいろな職人技を見せてくれました。また、家族の働く姿も見ることができました。台所で食事の用意をする姿、箒で部屋の掃除、ぞうきんがけ、障子の張り替え、様々な大人の世界を見ることができました。そんな現実の世界における大人の活動、大人たちの相互関係を再現し、表現する遊びが「ごっこ遊び」です。それによって活動の社会的動機や人々の間の関係に結びつけ、大人の生活に間接的な関係を持つことになるのです。

そんな「ごっこ遊び」は、子どもが大人の役割を受け持ち、ものを何かに見立て、大人になったつもりになって活動や関係を再現する遊びで、まさに表現遊びです。そして、それは劇遊びへと発展していきます。しかし、最近の子どもの遊びは、テレビやビデオ、ファミコンやパソコンなどのメディアを通した遊びが主流となり、生活のリアリティの抽象化が進んでいます。したがって、その生活は、ごっこ遊びへ展開していきません。そこで、園では大人のやること、掃除とか調理などを子どもたちの前でやり、それが再現できるようなごっこゾーンを3,4,5歳児の保育室内に用意します。そこでは、2歳児までの保育室にあるような「ままごとゾーン」とは違い、さまざまなものになりきり、いろいろなごっこ、たとえば「お店屋さんごっこ」「お医者さんごっこ」「変身ごっこ」などができるようゾーンです。

それが発展すると、お話や物語を媒介にしながら、そこに登場するものを自分の役割とし、その世界を摸擬的に再現して遊ぶようになります。それが、ごっこから発展してきたということは、ともに、何かになったつもりで振る舞い、さまざまなものを何かに見立てる活動を行うあそびだからです。保育者から聞いた話や、読んでもらった物語の世界を共感的に受けとめ、表象を広げながら、実際にその世界を体験してみたいという衝動にかられます。今年の「おたのしみ会」の演目が決まる経緯をコメントで紹介しています。「今年のおたのしみ会は何をやろう?という問いかけに“楽しい劇がいい!”“動物が出てきて来るやつ♪”“じゃあテーマは森だから、筋肉もりもりの劇ならいいんじゃない?”などいろんな意見が出てきました。そしてみんなで決めたのが“森の動物たちがでて、みんなが楽しい劇をやろう!”でした。そこからすぐに“ジャングルでいちばんおいしいケーキ”に決まりました。」

年間通して「テーマ」による保育は、年長児もよく理解しています。保育における子どもの活動は、子どもたちが自主的に、主体的に行われるものですが、当然そこには、保育者の適時性のある働きかけがあります。その一つに、年間テーマの設定があります。そして、子どもたちが想像しやすいような環境の設定があります。決めたことを、子どもに指示し、その通りにやらせることは簡単です。しかし、そこには、子どもの発達は促されません。保育者の専門性とは、環境によって導入され、環境によって展開することができるような「意図性」を持つことであり、それこそが幼児教育なのです。

おたのしみ会の考察17” への10件のコメント

  1. 藤森先生の講演によると、赤ちゃんは、もともと胎児の頃から模倣する能力を持っていて、母親があくびをすると胎児もあくびをすることがあるそうです。ピアジェ理論のように模倣を学習するのではないのだそうです。人間の模倣の習性は、乳児期のまねっこ遊びに始まり、1歳くらいから見たてあそび、2歳ぐらいからごっごあそび、3歳あたりから徐々に劇遊びに発展していきます。

    身近な大人の真似から次第に身の回りのおもちゃを何かに見立てて遊びだし、それが人への興味に移り、その役割をあそびの中で演じて見せようとします。それが家族だったり、仕事に従事する人だったり、時にはアニメのヒーローだったりします。大人になると、人との出会いや読書を通して、先達の生き方を学びそれを規範として、自らを高めようとします。生まれてから死ぬまで、人は模倣をし続ける生き物のようです。

  2. 『保育者の専門性とは、環境によって導入され、環境によって展開することができるような「意図性」を持つこと』という言葉にドキッとさせられました。このようなことを自信をもって言えるようにならなければいけませんね。ここに登場している子どもたちの姿は、確かに指示してやらせているだけでは決して見られることのない姿です。家庭では見ることのできなくなった大人の世界を子どもたちに見せていくのも保育者の役割でしょうし、子ども同士の様々な関わりが生まれるような環境を用意していくのも大事な役割です。そんなことがきちんとつながっていくと、行事なども形を整理していくことができるということが、少しずつですが分かってきた気がします。このように丁寧に行事についての考察を書き続けておられる意図もなんとなく分かってきました。

  3.  我が家はいまテレビがないせいか、子ども達がよくごっこ遊びをしています。ある日、3歳の息子が体に紐のようなものを付けてちょこんと座り、その紐の一方はドアノブに引っ掛けてありました。私が「何してるの?」と尋ねても、こちらを見るだけで答えません。いくら話しかけても答えず、じっとその場で座り続けていました。しばらくすると買い物を終えた(つもり)の5歳の姉が隣の部屋から出て来て、「ポチ、お待たせ!いい子にしてた??」と弟に話しかけ、紐を手に取り歩いていきました。
     弟は、ポチという名の犬を演じていたのです。だからいくら話しかけても、人のことばは話せなかったのです。姉のことが怖いからか、自ら犬を演じたくてか、よくわかりませんが、いずれにせよとても真剣に犬を演じていました。犬を演じているときは、親のいうことはいっさい聞かず、飼い主である姉のいうことをよく聞いています。様々な状況設定もあるようです。我が家に犬はいませんが、外で犬をよく観察しているようです。

  4. 改めて年間のテーマの設定の重要性や役割を考えさせられました。どちらかというと保育者がこういったテーマによって動くことが多いのかと思っていましたが、その中で子どもたちもこういったテーマに沿って考えるということまで至らなかったです。普段の生活から保育者と子どもたちの関わりやその他の行事のなかでテーマというものを意識していたから子どもたちもテーマというものをしっかり視点において行事を考えるようになるんでしょうね。ある程度、そのコンセプトになる部分を持つことでイメージが膨らむことは大人だけではなく、子どもたちもあるということを改めて感じます。普段の保育があるからこそ、行事につながることが本来であるのに、今まではそうは言っても、行事に向けて保育を変えていることが多かったです。「行事」とはいっても保育です。行事についてのブログを読んでいると毎回、普段の保育と行事がつながっていなかったのかということを痛感します。そのための環境をいかに作るかをもっと考えていかなければいけませんね。

  5.  私が小さい頃は自宅に植木屋さん、豆腐屋さん、また自宅を建て替えたときには大工さんなど、お陰さまで色々な職業の人と触れ合うきっかけがありました。今の子ども達はどうなんでしょうか?もしかしたら職人さんに出会う経験は少ないかもしれません。そんな時に保育士としてどういう働きが必要か?またごっこ遊びにつなげ、発表会につなげる、と考えた時に、最後に書かれてある「環境によって意図性を持つ」ということがとても重要なことです。いかに子ども達に様々な体験が出来るように環境を用意したり、活動を計画したりなど、保育者の専門性というのは子どもの発達に大きく影響するというのは忘れてはいけないと思いました。

  6. 「おたのしみ会」は、子どもたちの「表現」と「言語」の発達を保護者の皆さんにご覧頂く行事ですが、この「表現」と「言語」を培う環境が普段の保育環境の中に用意されていないと、その行事への取り組みが「行事のための取り組み」で終わってしまって前にも後にもつながったものになりませんね。私たちの園には各ゾーンにその「表現」と「言語」の力を培う工夫、仕掛けが施されています。乳児の世界には「表出」と「非言語コミュニケーション」を促す環境がありますね。そうした普段の保育環境によって「おたのしみ会」という行事がとても楽しいものになっていると思います。家庭環境の中だけでは子どもたちの体験はかつてに比較して少なくなってきていますから、逆に、園がそのことを意識して、子どもたちの体験を豊富にする環境づくりをしていかなければなりません。年間テーマの設定も家庭ではなかなかできないことです。園なればこそできる工夫の一つでしょう。この「年間テーマ」によって子どもたちや先生たちは体験を豊富にしたり深めたりすることができます。そしてこの「年間テーマ」が行事の色彩を毎年変え、深め、そして楽しくしていきます。日常の保育と行事が切断されることなく繋がっていきますね。

  7. 各ゾーンは、「環境を通して」子どもが主体的に活動できるように構成されているように、行事においてもそれは変わりません。「おたのしみ会」で、子どもがいかに主体であるか、自発的に取り組んでいるのかといった評価をするうえで、日々活動しているゾーンの質が問われる機会でもあると思います。あくまで「おたのしみ会」は、終着点ではなく日々の延長線上とか過程にあるものであり、その機会を通して、日常に潤いと更なる意欲とか希望へと気持ちがつながることが目的だといった感じでしょうか。同時に、子どもの主体的な活動から「発達」は生まれるものであるということを、深く認識しなくてはいけませんね。

  8.  〝決めたことを、子どもに指示し、その通りにやらせることは簡単です〟との言葉、大変勉強になりました。そうです。簡単なのです。だからこういうことをし続ける保育園があるのかもしれません。指針に則たり、保育を向上させようと他の園の見学に行ってみたり、そこから何かを取り入れてみたり、今までの自分たちのやってきたことを場合によっては変えて行ったりすることは難しいことのなのですね。しかし、そこには、子どもの発達は促されないという最大の害があるのですが、そこまでたどり着けないということなのですね。
     おたのしみ会の考察を通して、自分が今まで勤めた保育園への見方がここにきて変わりつつあります。漠然とおかしいと思っていたことが、〝こうだからおかしい〟という、その保育園のおかしかったところの理由が具体的になっていくということを感じています。

  9. 「自分や友だちの表現したものをお互いに聞かせあったり、見せ合ったりして楽しむ。」という表現する力はおたのしみ会だけではなく、普段の保育でみられる力なので、担任は保護者にその様子を伝えるべきです。その伝える場所が、取り組みコメントだったのですね。
    ごっこ遊びは、子どもが大人の役割を受け持ち、ものを何かに見立て、大人になったつもりになって活動や関係を再現する遊びで、まさに表現遊びとありますが、最近の遊びにはリアリティの抽象化も進んでいるとあります。確かに、なりきるのがヒーローやプリンセスなど少し現実とは離れたものになりきろうとしているように感じます。

  10. 〝現実の世界における大人の活動、大人たちの相互関係を再現し、表現する遊びが「ごっこ遊び」〟とあり、ごっこ遊びの定義がここに書かれてありますね。
    このことから、子どもたちの一番近くにいる自分たち保育者は、子どもたちの前でどのように振る舞わなければならないか、ということが自ずと見えてきます。
    しかも、書かれてある通り、現在では残念ながら家にたくさんの大人が訪れることはなく、いろんな大人を見る機会は減っています。
    ということは、さらに自分たち保育者の影響は大きいはずですね。
    現在だからしなければならない、できる関わりを考えていく必要があるように思いました。

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