おたのしみ会の考察15

 年少児は、年長児のやることをじっと見、そこから刺激を受け、それをまねしてやろうとします。それは、0歳児でも1歳児から刺激を受けますし、私の年齢になっても、高齢者ががんばっている姿から刺激を受け、頑張らなければと思うこともあります。また、逆もあります。年長児は、年少児から見られることによって、自分を手本として見られることで、自信を持つことがあります。子どもは、あこがれを持って向けられている視線を感じることができます。その視線は、大人からどんなに褒められるよりも自信につながります。それは、1歳児でも、0歳児から見られることによって、何となくお兄ちゃんぶったり、お姉ちゃんぶったりします。年少児から見られることによって、しっかりすることもあるのです。その意味では、小学校の1年生は、自分より下の年齢の子がいないために、幼児施設の時にあんなにしっかりしていた子が、何となく赤ちゃんぽくなるのです。幼児施設の時には、最年長だったのが、小学校では最年少になったからです。そこで、生活科などで、幼児と触れ合うことを提案しているのです。1年生が、幼児と接することで、小1プロブレムと言われるような幼児返りは少しは解消すると言われているからです。

 私の園で行われる「おたのしみ会」では、当日は年齢別に行われるのですが、実は、異年齢児保育の発表でもあるのです。それは、舞台の上でだけ行われるのではなく、普段の生活の発表だからです。普段の生活は、異年齢の中で様々なかかわりを持っていることで成長することが大きいのです。「おたのしみ会」当日は、観客者が両親、祖父母を含め多くなってきたために、最近、園児は観覧しなくなりました。そこで、その前の週に行われる予行練習では、すべて本番のような衣装、背景の前で、子どもたちだけで観覧します。そして、その時に、園としての写真を撮り、当日は、写真撮影は行いません。

前の週に行われる「おたのしみ会」の練習はとても面白いです。それは、全園児が観覧するからです。普段から異年齢で過ごしているために、0歳児が出ると、それぞれの子に対して応援する声がほかの子から飛びます。そして、泣きそうな子には、その子をみんなで励まします。そして、朝のお集まりの場面で歌が始まると、年長児までその歌を歌いながら、観客席で手遊びをして見せます。舞台の上と観客席が一体になります。舞台の上の子も、見られることから、楽しそうですし、しっかりしようとします。

それは、乳児だけでなく、幼児においても同じことが言えます。小さい子からの視線を感じ、自信を持っていくようです。それが、本番において発揮されていきます。また、お互いがお互いの演技を見ることによって、それぞれの年齢のクラスによって乃違いを見ることができます。それは、普段の保育の中でも異年齢で生活する特徴です。お互いの違いを知ることができます。それは、男女差であったり、年齢差であったりします。そして、その違いを知ることによって、個人差も知ることができるようになります。みんな同じようになることではなく、自分らしさを発揮することが必要であることを知ります。園に、下半身が不自由な障害の子が在園しています。しかし、その違いは、子どもにとっては個人差としてしか写っていないようです。歩行器を使って移動しますが、他の子はそれを何の違和感を感じることなく自分の動きをします。障害児に対しても、普段の異年齢での生活から、真の平等を子どもたちは学んでいるようです。

おたのしみ会の考察15” への10件のコメント

  1.  全園児が観覧する「お楽しみ会」はとても楽しそうですね。実際、参加した子ども達は、楽しかったと話しています。
     「1年生が、幼児と接することで、小1プロブレムと言われるような幼児返りは少しは解消する」というのは面白いですね。小さな子でも、年下がいるとしっかりする。確かに3人きょうだいのわが子を見ていると、そんな場面も多々あります。その一方で、弟や妹に親を取られたと感じるのか、卒業したオムツをはき、哺乳瓶でミルクを飲むこともありました。その時の満足そうな笑顔はかわいいですね。そして満足すればすぐにもとに戻ります。兄弟が誕生したことによる上の子の赤ちゃん返りは、実は無意識のうちに親を試しているのかもしれませんね。小1プロブレムはもっと複雑なのでしょうね。
     異年齢保育で、違いを学ぶのはいい経験ですね。そのまま色々な年齢や、違いのある人と親しく付き合っていけたらすばらしいことだと思います。ただ、礼儀として年長者を敬い、敬語が求められる日本社会で、異年齢間の友情というのは、育ちにくいのではという心配を感じます。儒教的な思想が強い東アジアの文化圏では、年長者との関係は、どこか師弟関係のようで、本当に親しい関係には発展しづらいように感じるのは私だけでしょうか?師弟関係とは違う、異年齢間の交流が活発になったら、硬直気味な日本社会が変わるのではと考えています。
     

  2. ようやく新宿せいが保育園のお楽しみ会の全貌が明らかになってきました。これは革命的な行事の取り組みです。

    「新宿せいがのお楽しみ会は2度盛り上がる。」
    子どもたちが普段の保育の中で考え創りあげた、子どもたちの手による、子どもたちのためのお楽しみ会。予行演習という名の「公開リハーサル」が、共異体としての保育集団が最も熱くなるひと時です。これぞインクルージョン!ダイバーシティー!こっちがぜひ見てみたい!

    「新宿せいがのお楽しみ会は子どもたちの発達がよくわかります。」
    園で予行で撮った写真があるので、この日のご父兄たちは、カメラを持たないで、舞台の演技に集中することができます。子どもたちの誇らしい顔、自信に満ちた笑顔、その年齢なりの発達をしっかり見せられたご父兄は、我が子の成長した姿に目を細めることでしょう。

    新宿せいがのお楽しみ会は、子どもも大人も存分に楽しめるところが真骨頂です。

  3. 異年齢保育の長所の一つ、年長児は年少児に見られる自信をもつことができるという話が、またここでも理解を深めることができました。確かに予行練習などではここに書かれているような子どもたちの姿をみることができます。その意味を丁寧に捉え、もっと大事にしていかなければいけないと思いました。そして、これは行事に限ったことではありませんが、互いに見合うことで違いを知ることは、本当に大事なことだと思います。障害児に対して、その子のこともですし周りの子にとっても見る見られるの環境にいることは必要なことだと感じています。でもそのことがいざ学校という段階になるとほとんど語られなくなってしまうことに、強く違和感を覚えます。どうアプローチしていけばいいのかまだ分かっていませんが、障害を個人差と捉えられるようにするにはどうすればいいかを考えていきたいと思っています。

  4. 小1プロブレムにおいても幼児とのかかわりが見直されているんですね。小学校の授業の授業にも問題はあるようにも思いますが、幼児との関わりによって少しは解消されるというのであれば、より異年齢での考え方は広がっていくのかもしれませんね。お互いを知り、違いを知るということは大切なことですね。他を知ることで自分を理解するということはとても大切なことだと思います。個人差を認めるというのは今の社会ではとても必要になってくる能力なのだと思いますし、それが自己肯定感や自信、思いやりといった保育の目標にも掲げられるものに近づくことに繋がるんではないでしょうか。インクルージョンやコーヒージョン、思いやり等々はこういった乳幼児期からの見合うという関わりがとりわけ大切になってきますね。

  5.  私の小学校の発表会の予行練習は全学年の目の前で行い、見合うことをします。特に6年生の時はとても緊張したのを覚えています。自分より下の学年の生徒が自分を見ていると思うと「しっかりしないと」と思いました。それは保育園でも同じですね。普段の生活の中でも子ども同士でお互いを見合うという事は学びも大きいですし、発表会になると、それが自信につながるのですね。更には自分達が一生懸命に表現をすることで個人差も知るということは、障害児に対しても、ただの個人差としか捉えない見方を子どもは学んでいる。このことは私自身も勉強になります。街中を歩いて車椅子に乗っている人見かけると、個人差としてみないで、障害者として一瞬感じてしまう自分がいます。おそらく乳幼児の頃から異年齢で過ごしている子ども達は自然と個人差として捉える見方を学んでいるのですね。

  6. 今回のブログには、卒園児が小学校1年生となって「何となく赤ちゃんぽくなる」原因が簡潔に語られています。曰く「年少児から見られることによって、しっかり」してきた年長さんたちが小学校へ上がり、「年少児から見られる」という機会がなくなり、自信を持つことも、しっかりすることもできなくなった・・。これは本当にその通りだと思います。但し、私たちの園の卒園児たちは学童児として再び園に関わってきますが、保育園の子どもたちの前でしっかりするどころか、2年生や3年生と交じって生活する場においても堂々としていますね。決して「赤ちゃん返り」はしていません。おたのしみ会の予行はとてもいいですね。普段0,1歳児保育のお手伝いをしている年長さんたちは0、1歳の子たちをよく知っていますから、観客席から励ましの声掛けをしたり、あるいは0、1歳の子たちが朝のお集まりで歌う歌を一緒に歌ったりします。ステージも観客席も「一体」になってとても楽しい空気が全体を包みます。「普段の異年齢での生活から、真の平等を子どもたちは学んでいるようです。」確かに、その通りですね。「真の平等」を子どもたちは学んでいるのです。こうした環境を大切にしていかなければなりません。

  7. 年長児が、年少児の存在によって「しっかりしよう」と感じることと、職員集団において、新人職員の存在によって他の職員が次第に成長していく過程と似ているようにも感じます。発達が異なる相手に「見られている」経験がもたらすものは、自分をしっかりコントロールしようとする「自律」でもあると思います。「おたのしみ会」を、ただの当日限りのものにするのではなく、当日を迎えるまでの“過程”にも意味合いを持たせ、「異年齢集団」であるからこそできる発達を細部まで獲得できるようにとする取り組みから、互いの違いに気づき、それを認めていく「多様性」の把握にもつながっていく行事であるのですね。

  8.  この回のブログから2年が経過した今、ブログにある〝下半身が不自由な障害の子〟はすいすい組となりました。昨日は延長番で皆で夕ご飯といういつもの風景でしたが、彼も昨日は延長番の一人で、少し遅れて食事の席に着こうとしていました。フォークを取りに行こうとしたところ、らんらん組の男の子がいただきますの挨拶を始めてしまいました。すると当たり前のように、すいすい組の子が「まだ皆揃ってないよ」と言います。彼も席につき、皆でいただきますをしていました。
     その彼はなんと1Fから4Fまでの戸締りにも参加します。園内のエレベーターに乗るのが密かな楽しみの子ども達ですが、すいすい組になると敢えて乗らないで階段で行くことが格好いいというなんともかわいらしい風潮があるようで、その彼も下りは階段で行きました。すいすい組の子も特段手を貸すことでもなく、自分のペースで歩いて戸締りをします。その彼も遅れて到着するのですが、鍵が閉めたいというよりはその場にいることが楽しいといった感じで、普段入れない部屋の中に入って嬉しそうといった様子です。
     真の平等とあります。一人一人が自分らしくいられること、それを尊重し合えることと捉えます。

  9. 今回は、下の子が上の子に与える刺激です。小1プロブレムは、下の子から見られる経験がないため、起こる問題ですが、2年生以上ももし、それぞれが単独ならば、すべての学年に言えることかもしれませんね。
    おたのしみ会、当日は年齢別に行われるのですが、実は、異年齢児保育の発表でもあるという発想は私にはありませんでした。練習を見ると、見てる側が学んでいるように感じますが、見られている側もいい経験になるのですね。

  10. 年長さんが下の年齢の子から見られることによって『しゃんとしよう、しっかりしよう』と思うというのは、自分にも似たような経験があります。
    去年、新人の男性職員が園に入ってきました。
    それまでは、自分が一番下だったのが、自分よりも下の職員が入ったことによって同じような気持ちになったことを思い出します。
    そのような感情は自律へのいい刺激となり、子どもたちのみならず、大人にとってもプラスですよね。
    おたのしみ会の予行練習の意味合いが書かれてあり、改めて、当日までの過程においても異年齢での関わりを持つことができ『多様性』を感じられるような環境があるということを知ることができました。

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