おたのしみ会の考察14

 私の園での「おたのしみ会」は、いわゆる年齢別に保護者に発達や、普段の生活を見せます。しかし、普段の生活は、3,4,5歳児が同じ部屋の中で過ごしています。その部屋の中での遊びは、必ずしも異年齢で遊ぶわけでもないのですが、少なくとも子どもたちは、生年月日が4月から3月生まれを一区切りとしてグループを作って遊ぶわけではありません。遊ぶ内容によって遊び相手を決めています。その時には、ほぼ、同じくらいに発達の子を選んでいることが多いようです。オセロをやろうとするときには、ルールを知っていて、同じくらいに強さの子が面白いようです。

 しかし、おたのしみ会では、年齢別に行いますので、練習や、当日までの取り組みは、年齢別クラスによって違ってきます。ちょうどその時期にボランティアに来ていた学生が、こんな記録を書きました。「今日は、年長さんのおたのしみ会の練習風景を見ることができましたが、さすが年長さんだなあと思う場面を多く見ることができました。役を自分たちで話し合って決め、みんなでそのセリフ、振り付け、衣装などを自分たちで話し合っている姿に、感心しました。しかし、それ以上に感心したことがありました。それは、その年長さんの姿を、あこがれの目でじっと見つめていた3歳児、4歳児がいたことでした。」

 3歳以上になると、私は「遊び」自体が子どもにとっての「表現」であると思っています。乳児から、運動、音楽、制作において、行動として現れる「表出」から、次第に意識して表現するようになると遊びが生まれてきます。その「意識して」ということは、意欲であり、何かに刺激されての動機なのです。この時に、子どもは刺激を受ける大きな要素として「少し年上の子からの刺激」があります。年少児は、年長児から刺激を受けることがあり、その刺激によって模倣をします。そして学習していきます。これが、子ども文化の伝承であり、異年齢保育の大きな長所なのです。

 年少さんの「おたのしみ会」のコメントには、こう書かれてあります。「お兄さん、お姉さんにキラキラと憧れの眼差しをむけている3歳児さん。4,5歳児の劇への話し合いが始まるとすぐに『自分たちはまだ?』と今度は担任にキラキラの目をむける子どもたち。この話どうかなぁ。ってつぶやくと、すぐに皆が集まってきてじっくり読んで、『この役やりたい!』『○○ちゃんはどれにする?』なんて、子どもたちだけで自然と話し合いが始まりました。お話が決まると、次は役決め。数種類の役があるのにも関わらず、決まるのが早い早い!何回か希望をきいて、多少人数調整していこうかな・・・と思っていたのですが、第一回!役希望の結果は?即決!。さすが、皆で話あっていただけあります!!人数は《偶然》の割合が大きいのでしょうが、役に対して、『クマは恐い顔しているけど、とっても優しいんだよ』『これ、かわいいと思うなぁ』なんて相談している姿が見られて嬉しく思いました。そのあと、『もしあの役を誰もやらなかったら私がやってあげるね』なんて、言葉もありました。こうしてみんなで作りあげた『とんとん とめてくださいな』。友だちと一緒に演じる楽しさを存分に味わいながら取り組んでいます。」

 このような姿が3歳児でも見られるのは、普段から4歳児、5歳児が自分たちでいろいろと話し合い、自分たちで決めている姿を見ているからでしょう。このような「見て」「まねして」「自分でもやってみて」という学習は、現在、唯一、また、最も効果的な教育であると言われています。

おたのしみ会の考察14” への9件のコメント

  1. これまで異年齢保育は、横割りに対する縦割り保育と思われたり、うちもやっていますよというからよく聞くと、土曜日だけの合同保育だったり、現場ではかなりその定義が混乱していたようです。今日のブログでかなりすっきりしてきました。

    先日の講演でも話がありましたが、「年賀状」を作るイベントをする年長児を見ていた年中児が、指導の先生に「来年も来てね!」といったエピソード。年賀状作りは年長児だけなのに、年中児がそれを見て刺激を受けている。段取りを覚えている年中さんは、翌年にはちゃんと年賀状を作ることができます。これが伝承なんですね。伝承がうまくいくと、子どもたちが、保育の流れだって新人保育者やボランティアさんにも教えてあげることができるでしょうね。異年齢保育においては、子どもは主体者であり伝承者にもなることができます。

    『くまは恐い顔をしているけど、とっても優しんだよ』
    動物も見かけだけで判断しないで、ちゃんと性格まで見抜いて思いやることができる。対人関係での人に対する公平な見方がもう育ってきています。
    『もし、あの役を誰もやらなかったら私がやってあげるね』
    主役じゃなきゃやだという子が多いのに、憎まれ役やチョイ役でもその役が無ければ劇が成り立たないことを知っている子ども。もう全体観に立って物事を考えることができています。本当に3歳さんですか(笑)?

  2. 見ることから学ぶ、見ることによって刺激を受け意欲が湧いてくる、このことを生み出すのが異年齢保育の長所だと学びました。これについても、大人からの働きかけがないのはおかしいとか、ただ見ているだけということからあまり興味をもってもらえないことがあります。でも実際の子どもの姿を見ていると刺激を受けている様子は頻繁に見かけることがあります。異年齢の子が一緒の活動をしなければ異年齢保育ではないという考えでいると、この「見る」ことによる異年齢の関わりはなかなか納得のいかないところかもしれません。でも私たち大人も同じですよね。同じ場所で同じように活動していないと学びがないということは全くなく、見ることや聞くことからも十分に刺激を受け、それが意欲にもつながっています。現在、唯一、また、最も効果的な教育であるというのも、非常に納得がいきます。

  3. 3歳児が4歳・5歳の活動を見て刺激を受けている姿はとても多いですね。こういった経験を通して、子どもたちはいろんなことを試す方法を模索していくのだと思います。異年齢で保育をしていくということはそれだけお互いを刺激しあう機会がより多くなるのだと思います。異年齢の利点はこういったところが大きいですね。また、すぐに真似したくなるというのもその一つだと思います。しかし、人を見ることや真似をすることは普段からの保育、0歳からの育ちがあるからこそ人をまねたり、期待を持てるようになるのだと思います。

  4.  1歳児クラスの発達として、人の行動を共感し模倣するという発達があるように、赤ちゃんの時期から人の行動を真似して、様々な事を学ぶと教わりました。初めて聞いた時は、赤ちゃんは自分で何も出来ないから、大人がやってあげると思っていたので驚きましたが、現場をよく見ると、その通りだと理解できます。それは、その時期だけでなく、やはり幼児クラスになっても友達の行動を真似て自分の物にしていく行動も見られます。発表会の前に年長さんが話し合って自分達の台詞や役などを決めている姿は年少さんにとっては憧れの姿でしょうね。

  5. 先日、私たちと同じような保育室環境を持っている園の見学を行いました。3,4,5歳児のフロアでは子どもたちが異年齢で生活しています。そして、子どもたちが自ら働きかけられる物的環境があります。もちろん、人的環境は子ども同士です。先生たちは少し離れて、あるいはそばで子どもたちの活動を見守っています。丁度、発表会の練習をしていました。年長さんたちが踊りか何かの練習をしています。すると、3,4歳の子たちが自然と集まってきて年長さんの練習を熱心に見ているのです。今回のブログを読みながらその時のことを思い出しました。「年少児は、年長児から刺激を受けることがあり、その刺激によって模倣」しているのでしょう。そして、『「見て」「まねして」「自分でもやってみて」という学習』がそこには成立しているのだなと思いました。

  6. 『「遊び」自体が子どもにとっての「表現」である』という言葉がグッときました。子どものより自然な姿であり、普段の様子といえば「遊び」が出てきます。それそのものが「表現」であると位置づけることで、子どもたちはその姿から、他児を始め、多くの保育者に何かを表現しているということになりますね。他児には、年下・同じくらい・年上といった各々に向けて異なる表現をしながら、自己を確立していき、保育者のなかでは、甘える大人と必要な時に助けを求める大人などといったように、時と場合によって使い分けている印象があります。異年齢のよさ、そしてチーム保育のよさを改めて感じます。そして、3歳児の「見て」「まねして」「自分でもやってみて」という行動は、普段の「遊び」の中でよく見られます。そこから始まっているのですね。

  7.  自分に置き換えたらどうか、と浅はかながら子どもの気持ちと共感できる方法だと思っています。先日、嫌いな食べ物を口から出したらそれをまた無理矢理食べさせたという保育者、そういうことをしている保育園の話を聞きましたが、そこにはねらいも意図も何もなく、単純に感情的な酷い行為だと思います。そうさせている何かがあるのでしょうが、それでも酷いですね。子どもに苦手な食べ物を食べられようになってほしいと願うであれば、藤森先生の仰る通り、「見て」「まねして」「自分でもやってみて」という学習形態をとることが、現在、唯一、また、最も効果的であると思います。
     何より、自分に置き換えたらどうか、と思うのです。吐いたものを口に戻させられるのと、美味しそうに食べている人の傍で食事をすること、どっちが嫌いな食べ物を食べてみようと思うかなんて、改めて問うことでもないことだと思うのです。

  8. おたのしみ会は年齢別とは言っても、当日に見せ方の問題であって、それまでの練習や打ち合わせの過程には、異年齢がたくさんありますね。ここにも表出から表現へと変わる場面が見られました。それは、年長の子から刺激を受け、模倣することで、表現へと変わりました。異年齢のよさは、この表現の領域においてもいかされていますね。

  9. おたのしみ会に向けての活動も、子どもたちからすると『遊び』の一つであるということが分かりますね。〝3歳以上になると、私は「遊び」自体が子どもにとっての「表現」であると思っています〟大きく頷けます。
    その中で異年齢のメリットの〝「見て」「まねして」「自分でもやってみて」〟という学習方法が最も効果的であるということで、このようなことは普段の保育の中で随所に見られる場面ですよね。
    意識して何かをするということが子どもたちの中での伝承であり、効果的な学習方法であるなら、その環境を用意してあげることが、自分たちが子どもたちにしていかなければならないことである、と改めて強く感じました。

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