おたのしみ会の考察13

2歳児になると、何でもみんなで一緒にしたがるようになります。みんなで一緒は、自然とルールが生まれてきます。「順番こ!」「貸してね!」「どうぞ!」などの言葉が友達を大切に思うゆえに出てきます。決まりとして、約束だからというよりも、友達を思う気持ちから出てきます。保育者からも「みんな一緒だと楽しいよ!」という言葉がけが多くなります。このころになると、昼食をみんなで食べるために、自ら待てるようになります。片手、日本は「一家団欒」で食事をしました。それは、みんな集まって楽しく食事をする風景でした。この一家団欒で食事をするということには、もちろん、みんな揃っているので楽しいということがあるのですが、他にも様々な効果がありました。

一家とは、きょうだい、両親、祖父母という異年齢集団です。そして、年の違う集団が、食事というみんな同じ目的を持っての行為をします。ですから、それぞれの発達過程を見ることができます。それぞれ年齢による違いを知ることができます。そこから、他者理解が深まり、それによって、自己が形成されていくとも言われています。また、食事をみんな一緒にすることで、食材の好き嫌いををへらし、食事の量が増えるという効果があることもわかっています。そして、最後に最も重要な役割があります。それは、ある裁判所の調査官が講演の中で言っていたことです。200人くらいのいわゆる非行青少年の面倒を見ていた時、彼らの特徴の一つに、全員一家団欒で食事をしていないということがあったそうです。彼らにとって、一家団欒で食事をするという意味は、「みんながそろうまで待つ」という力が育つということだと言っていました。いわゆる「我慢する力」が必要なのです。しかし、それは、ただの「おあずけ」ではなく、みんなで食べると楽しいから待つことができるのです。園では、2歳児ころから、みんなで一緒だと楽しいから、みんなが揃うまで待つということを自らするようになります。

今年の「おたのしみ会」における2歳児の演目「ももたろうさん」の後半は、「みんなで一緒が楽しい」という表現がテーマです。機嫌の悪かった鬼が、子どもたちから笑顔一番と言われ、次第に笑顔になっていった鬼さんに、みんながももたろうさんからもらったきびだんごをあげます。そのきびだんごは、普段、公園にどんぐりひろいに行くときに持っていく、子どもたちが作った手作りポーチに入っています。このポーチについても、「取組みコメントで「秋のお散歩では、手作りのどんぐりポーチを提げてはりきってどんぐりを拾っています。劇中に出てくるのでぜひご注目ください。きびだんごも、なんと2歳児クラスの子どもたちの手作りです。」と紹介されます。

きびだんごを急いで食べようとした鬼にむかって、子どもたちは、「みんなで食べると、おいしいよ!」と呼びかけます。そして、普段の昼食の時に行っている食事の歌を保育者のギターに合わせて歌った後、「いただきます」を皆でしてきびだんごを食べます。この経緯が、当日の二日前に紹介した「取組みコメント」の中に書かれてあることです。また、取組コメントの最後には、こう書かれてあります。「“どうしたの?”“手伝って”“いいよ”“みんなで食べるとおいしいよ”…毎日の生活の中であちらこちらにみられる2歳児クラスのお友達の相手を思いやる気持ちは、たくさんの新しい出来事や絵本・歌を通してむくむく育っています。グループ活動では、自分の役割があることへの喜びを感じ、とびきりの笑顔からは自信が満ち溢れています。」

おたのしみ会の考察13” への9件のコメント

  1. 2歳児さんの姿はもちろんすごいのですが、それを引き出している保育士さんや、その様子を伝える取り組みコメントにも凄さを感じます。読んでいるだけでなく、実際にそれらを見てみたくなってきました。
    年の違う集団が一緒に食事をする中で他者理解が深まり自己形成が進むという文を読んでいて、曹洞宗の禅僧の南直哉さんが書かれていたことを思い出しました。
    『人間の誕生とは、単に子宮から肉体が放出されることではありません。それが「母」となる者の手に抱かれ、「家族」が仲立ちとなる人々の縁に迎えられ、命名され、育てられ、ついに「私であること」を手に入れることによって、成し遂げられるプロセスです。つまり、誕生は「私」の出来事ではなく、他者において起こることなのです。』
    人には他者が必要だというだけの共通点ですが、現代の社会の中でどれだけ様々な人との関わりを生み出すことが大事か、そして特に乳幼児期は…ということを考えさせられます。

  2. 戦前までの日本では、良くも悪くも祖父や父親という家父長が支配する大家族が子どもたちを産み育てる基盤でした。そこには年齢の上下、長幼の序、男女の違いをもとにした絶対服従の封建制度の名残がありました。また、家族は生産と消費の機能を持ち、子どものしつけや学びの場でもありました。親からは人としての道を学び、兄弟の関わりから我慢することも思いやりも身につけることができたのです。もちろん、食事は一家団欒。家父長が食卓にお出ましになるまでは、箸に手をつけることは許されません。共食がまだ生きていた時代でした。

    2005年の厚労省の「国民健康・栄養調査」によると、朝食を1人か、兄弟など子供だけで食べる小学1年から3年までの低学年は40.9%、小学4年から6年の高学年は40.3%。中学生は、42.5%に上るそうです。(これは、約20年前1988年調査の小学低学年26.8%、高学年29.0%から大幅に増加しています。)これは7年前のデータなので、現在ではおよそ5割を超える子どもたちが朝食も一人ぼっちで食べていることが予想されます。当然、親が共働きで帰宅時間のバラバラな夜は、一家団欒の夕食は夢のまた夢。テレビを見ながら子ども一人で、時にはコンビニの弁当を食べる、そんな寒々とした風景まで想像できます。

    こんな社会の急激な変化の中で、乳幼児期からの子どもたちの共食による育ち、兄弟に変わる子ども集団による成長を過程の代わりに保障するのが保育所の大切な役割になっています。お楽しみ会は、単に覚えたてのお遊戯を演じさせる行事ではなく、「みんな一緒で楽しいね」という集団での生活の楽しさを親たちにも知らせる絶好のチャンスかもしれませんね。
    お父さん、お母さん、「みんな一緒に食べるとおいしいよ」

  3. 人間は他の人と関わりを通して社会を形成して、生き延びてきたということがこれまでのブログでも言われてきました。社会を形成するということはお互い助け合うことや守りあうといったことだけでは、利権や権益目的の集団になってしまい、うまく社会も形成できないのではないかと思います。そのなかで「安心や楽しさ」があったからこそ、社会も持続可能なものになってきたのではないかと思います。みんなで食べることや活動することが楽しいから我慢するという行為は人間特有のものだとも思います。よく2歳を見ていた時に「ヒトから人間になる時期だよね」と話していたのを思い出しました。

  4.  私の保育園でも給食を食べる場合は、皆がそろってから「いただきます」をします。藤森先生が講演の中で「保育園の中でしか出来ない体験をさせる」と言われたときに、やはり何十人も揃って「いただきます」を出来る環境と言うのは、やはり保育園しかないと思います。子ども達にも皆が揃って「いただきます」をして、そして皆で楽しく食事をするという体験をさせたいと思っています。集団が出来始める2歳児でも、「皆で一緒に」という言葉がとても重要です。給食を食べる前、散歩に出かける前、様々な場面で「皆と一緒」という言葉を意識させ、集団での生活、集団の持つ大きな力に気付いて欲しいです。とくに集団が苦手な人、人と関わる事が苦手という人が多くなってきている中で、集団での生活というのは人生の中においてもとても重要なことです。

  5. 先日、見学者の方を案内して、3,4,5歳のフロアの様子を見る機会を得ました。ちょうど、昼食の配膳の時です。この日は、5歳児すいすいさんがお手伝い保育で0,1歳児ちっちぐんぐんさんに行っていました。そこで、私が目にしたのは、トレーをもって並び、いっぱいちょっとと言って、ご飯やおかずなどをよそってもらい、そのトレーをもってテーブルに行き、3,4歳児わいわいらんらんさんの食事スペースのテーブルに座る2歳児にこにこさんの集団でした。3,4歳わいわいらんらんの子たちはいつもの通り、配膳の列の様子をみたり、自分のやりたいこととの折り合いをつけながら、食事のテーブルに向かいます。そして全員が揃うまでいつも通りの時間が経過し、みんな揃っていただきます、をしました。2歳児にこにこさんも一緒、です。泣く子もぐずる子もいません。これからみんなで食べるんだ、という楽しみをそれぞれが共有しているかのようです。今回のブログには非行青少年のことが出ていました。わいわい楽しみながら食事する経験ができなかった子どもたちの不幸せ。子どもたちの家庭はさまざまです。せめて、子ども集団がある園や学校が、待ってでもみんなで楽しく食事をする経験を子どもたちに保障すべきだと思います。これが、家庭とは異なる園や学校の役割のひとつでしょう。ところで、ももたろうさん、を演じたにこにこ組さん、「ぎびだんご」、食べた経験があるのでしょうか?今年のすいすいさんのように、「まんじゅうこわい」の前に「まんじゅう」を食べてみる、という経験、とても大切なことだと思いましたから。

  6. “一家団欒”という機会には、みんなが揃うまで「待つ」経験ができると共に、「年齢による違いを知る」機会にもなっていたのですね。それは、自然な形の異年齢集団であり、他者理解にもつながる経験であるということは、自ら主体性をもって多様性を感じるために大変重要なことですね。また、何よりもそうすることによって「楽しさ」が味わえるということろがいいですね。表現する上で「みんなと一緒が楽しい」というテーマを考えた時、自然とそのような劇になった印象を持ちます。子どもたちの行動には意味があるといった本質を理解し、そのような意味を行事を通して伝え、保護者はもちろん、保育者も発達を考える機会にもなる素晴らしい会であると感じました。

  7.  本当に何でも皆で一緒にという感じで、給食の時は、さすがにそれくらいは好きに食べたらいいのにと思うのですが「次これ一緒に食べようね」とおかずの順番まで一緒にして食べたりする子もいます。一緒にできることが楽しくて嬉しくて仕方ないといった様子です。
     きびだんごを急いで食べようとした鬼にむかって、子どもたちは、「みんなで食べると、おいしいよ!」と呼びかける辺り、構成も面白く2年前のにこにこ組のおたのしみ会、見てみたかったなぁという思いが強くなるところです。毎年子ども達の日頃の姿から紡ぎ出される賜物であると思うので、今年は今年の子ども達の魅力が光るだろうと、気持ちを整理してみたところです。

  8. 3.4.5歳児クラスの食事で説明していたことが、昔の一家団欒で説明できるのですね。最も重要な力が我慢する力で、その待った先にはみんなで食べる楽しさがあり、その楽しさに向けてきちんと待てるのですね。
    そのみんなで何かをするという行為を発達として保護者に見せるというのは重要で、その見せ方はその時の担任のやり方によりますね。

  9. 〝みんなが一緒だと楽しいから、みんなが揃ってから食べるまで待つ、ということを自らするようになる〟とあります。
    この経験をする場所が最近ではあまりないような社会環境があるように思います。
    自分も子どもの頃は父が仕事で夜遅く、自分たちが寝てから帰ってくるのが日常であり、食事はいつも3人か2人というのが普通でした。
    そういう意味でも、保育園でみんなで一緒に食べる経験がどれだけ貴重なことかは容易に理解できます。
    しかも、それだけでなく他者理解もそこで養われ、自己の理解にもつながっていくということで集団で食べる行為がどれだけ発達に影響を与えるかということを知ることができました。

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