おたのしみ会の考察22

いよいよ今年の幕が閉まります。来年という次のステージが始まります。そのステージではどのような演技が行われるのでしょうか?私たちは、その舞台を鑑賞するだけでしょうか?出演するのでしょうか?それとも、演技に対して舞台の下からヤジを飛ばすのか、評論するのでしょうか?私の園の「おたのしみ会」は、0歳児からすべての園児が、普段の生活や遊びの中から自ら表出することから表現する力を見せていきます。全員が出演者なのです。そして、それは、当日だけのものではなく、発達過程における通過点の姿なのです。

 もちろん、「おたのしみ会」当日は、子どもにとっては特別な日であり、他の人に見られる日です。しかし、子どもにとっては少しでも日常の連続であると思ってもらうために、舞台は台にせず、観客席と同じフロアで高くしません。以前、高くしていた時、園児の中に、舞台ののぼると声の出ない子がいました。高い舞台に何かトラウマがあるのではないかと発達相談の人に言われたことがありました。また、舞台から落ちてしまう子がいたり、登場するときにのぼらないといけなかったりということもあります。保護者からは少し見えにくさはありますが、見る側と同じ高さでの演技は、舞台と観客が一体になっている気がしています。

 また、舞台の前には幕がありません。演技が終わり、次の出し物の舞台設営の間は、暗転するだけで観客からは見えています。それは、舞台への出入りも、舞台設営も、演技の一つだと思っています。もちろん、舞台設営の多くは職員がするのですが、半分は遊び心で、「黒子」の格好で出てきます。もしかしたら、子どもが準備することもあるかもしれません。また、合奏などは、始まる前に前に並びますが、順に出てきて、並ぶ姿からも、薄暗い中ですが、発達を見ることができます。

 年というステージが変わる最後の舞台が今日です。いよいよというカウントダウンが始まるまで、今までの振り返りや、来年への期待の気持ちがわいてきますが、その実感をもたらすものに、私は、やはり「紅白歌合戦」でしょう。それほど面白くもないのですが、何となく見てしまいます。しかし、私の息子は、どこかの場所で友達とカウントダウンをしていたようですし、テレビにしてもほかのチャンネルを見ているようです。どれにしても、次の出し物が始まるまでの「幕間」かもしれません。園の「おたのしみ会」にも「幕間」があります。

2011年、2012年舞台背景(テーマ森)


 「幕間」とは、劇と劇の間をつなぐもので、次の出し物の準備をしている間をつなぎもので、準備が出来たら合図をして次の出し物の紹介をして去るという役目があるのですが、前の出し物の振り返りと、次の出し物への期待を持たせる役目もあります。また、「幕間劇」というように、特に背景や大道具を使わないで行う一つの出し物ということもあります。どの要素が強いかは、私の園ではその年の胆嚢に負って違います。幕間を受け持つもの、以前、子どもたちの観覧していた時には、年長さんがやっていたこともありました。また、学童クラブの子どもたちがやってくれた時もありました。その時は、クイズや紙芝居、時には、幕間を通して本の読み聞かせなどをしていました。しかし、最近は保護者だけの観覧ですので、前の出し物の振り返りと、次の出し物への導入の役割が強くなりました。

 今年最後のブログもこれで終わりですが、また、明日から新しい物語が始まります。よろしくお願いします。

おたのしみ会の考察21

 保育所保育指針に書かれてある「発達過程」の注意書きには、「子どもの発達過程は、おおむね次に示す八つの区分としてとらえられる。ただし、この区分は、同年齢の子どもの均一的な発達の基準ではなく、一人一人の子どもの発達過程としてとらえるべきものである。また、様々な条件により、子どもに発達上の課題や保育所の生活になじみにくいなどの状態が見られても、保育士等は、子ども自身の力を十分に認め、一人一人の発達過程や心身の状態に応じた適切な援助及び環境構成を行うことが重要である。」

この注意書きをよく読みこまずに、各年齢区分の発達だけを読んでしまうことが多いようです。発達過程が「一人一人の子どもの発達過程として」と書くのであれば、区分で書かずに、その連続性を書くべきなのです。そのほうが、発達の連続性だけでなく、順序性や方向性が見えやすくなります。保育に必要なのは、それが大切な気がします。それこそ、保育所ができることで、新しい子ども園構想の中で、3歳以上児だけ学校教育に組み入れるという考え方は生まれてこないと思います。様々な発達は、3歳から何かができるようになるのではなく、必ず生まれながら将来に自立していくための準備を始めていくのです。そこに、こういう仕事をしていく感動があるのです。知識を与える、知識を覚えるのであれば、年齢区分は必要です。小学校で教えるべき内容を、おおむね6年間に振り分けるのは分かりますが、発達を年齢ごとに振り分けるのはおかしい気がするのです。

園の「おたのしみ会」は、保護者に子どもたちの発達を見てもらうのですが、それは、「それぞれの年齢に何ができるというよりも、わが子が昨年と比べてこんなことができるようになったのだ」ということを感じてもらいたいのです。この考え方は、すべての行事に通っている柱です。ですから、行事のプログラムにつける発達のめやすの表には、年齢区分は書かれていません。0歳児からどのように一人一人が発達してくるかという、連続性を重視した形で示しています。その表は、プログラムの後ろに貼ってあり、広げると全体の発達の連続性がわかるようになっています。

今年の「おたのしみ会」の始まりは、舞台の前に広げられた白い布に、森を映し出され、その森の中でいろいろな動物が遊んでいるというイメージでした。そのプログラムは、立てられるようになっており、終わってから前後を入れ替えると、来年のカレンダーになります。カレンダーの数字は、年長の子どもたちが書いたものです。おたのしみ会が終わっても、来年1年間は使ってもらおうというものです。

また、プログラムは、イメージに合わせて、森の木の間に張られた布に映し出される出し物を森の動物が鑑賞するというものでした。そして、出し物が進むにしたがって、プログラムをめくっていくと、観客の動物が増えていくという趣向です。また、木に登っているサルは、紙の押さえになっています。観覧している動物は、職員数人で作った消しゴムハンコです。上手に作るものです。

とても手が込んだプログラムですが、担当の職員がパーツと、完成品を職員室に置いておくと、手が空いた職員や、職員室で仕事をする職員が、話をしながら作ります。間近に、時間外で一生懸命作るという感じではなく、いつの間にか勤務時間内に出来上がっているというように、上手に時間を作っています。また、何人かでおしゃべりをしながら作るのも楽しいようです。

おたのしみ会の考察20

 幼児教育の主な目的は、子どもたちの発達をきちんと保障することにあります。その中で、「最も大事な点。要点。」が書かれてあるのが「教育要領」ということになります。ですから、その「ねらい」とその「内容」が、発達の側面である五つの「領域」に分けて書かれてあります。この「要領」は告示化されています。告示化されることにより、最低基準として遵守しなければならない大事な点として書かれてあるのです。

それに対して「取るべき態度や進むべき方向を示す方針。」が「指針」です。保育所には、この方針が示されていました。そこには、各年齢における「保育の内容」が書かれ、その年齢における「発達の特徴」が示され、「ねらい」と「内容」が書かれていました。しかし、この保育指針は、平成20年の時の改訂の際、告示化されました。それは、「方向を示す方針」ではなく、遵守しなければならない事項に変わったのです。本来、その時にまずしなければならなかったのは、「保育指針」を「保育要領」とすべきだったのです。

もう一つ、内容として明記する事項で見直さなければならなかったのが、おおむね8つの区分で書かれてある「発達過程」です。これは、遵守すべき重要な点ではなく、一つの目安です。私も、保育者にとってこの発達過程はとても大切なこととして、保育室に貼っておきました。しかし、それは、あくまでも目安で、目標ではないのです。それをもう少し考えると、「めやす」とは、どういうもので、どのように使うものであるかということです。考えられるのは、この「めやす」と大きく違っている子をチェックするためであるということです。しかし、そのために使われる「めやす」は絶対的なものでなければなりません。ある特殊な環境の中での子どもの発達を基準にしてしまうと、違う環境の中での発達との食い違いを障害と決めつけかねません。いくら「おおむね」と書かれてあっても、平均値だというイメージはあります。平均値ということは、「普通の子」となり、それから遅れてずれていると「遅れている」「普通でない」と思ってしまいます。

しかし、発達とは、目の前にいる子が立った時に立つという発達過程にあり、いくら目安として書かれていようがいまいが、あまり関係ない気がします。ですから、「おたのしみ会」で保護者に見てもらう発達は、保育指針が先にあり、それに合わせて発達させたものではなく、子どもたちの生活と遊びの中から自ら発達したものです。それは、もしかしたら指針に書かれているめやすとは少し違ってくるかもしれませんが、優先されるのは、目の前に子どもたちがどんなことをするかです。そして、そこで見える発達を保障するために、環境を用意するのです。それによって、次の発達過程に移っていくのです。まず活動があり、その活動から領域という切り口から発達を見ていくのです。年長さんの「おたのしみ会」での表現に至るまでの姿が、コメントに書かれてあります。

「普段から、ごっこ遊びや楽器遊びが好きな年長さん。感じたことや想像したことを、言葉や体、音楽などで表現して遊んでいます。劇を作って演じたり、楽器を演奏したり、するとみんなに見せたくて互いに見せ合ったり、聞かせ合ったりして楽しんでいます。そんな日々の中で表現の仕方を考えてきたみんなは、『もりのてがみ』の台詞や動き、衣装や小道具などを役ごとに話し合って決めました。そこには、みんなのやりたいこと、見せたいことが詰まっています。」

この姿には、指針の発達過程の枠にはまらない、ダイナミックな発達が見られます。

おたのしみ会の考察19

 数年前の「おたのしみ会」での年長さんの演目が「どうぞのいす」にすると担任から聞いた時に、「どうして?」と思いました。なぜかというと、この絵本の内容は、シンプルで、3歳児くらいにちょうどよい話だったからです。どうしてこの絵本を題材にしたのかを年長の担任に聞いてみました。すると、「実は、木工ゾーンを開設したのですが、このゾーンに対してどう導入したらよいかを迷っていました。そこで、みんなで、木工ゾーンで“椅子を作ってみよう!”と盛り上げるような環境を作りました。その一つとして、絵本の“どうぞの椅子”を子どもたちに興味を持たせることにしたのです。そうしたら、みんなに座ってもらうことにしたらどうかということが子どもたちから提案されました。そして、それを劇にしようということになったのです。」

 実は、ここには担任の意図があるのです。おたのしみ会の出し物は、普段の子どもたちの生活、子どもたちの活動から取り出すのですが、その逆もあるのです。それは、おたのしみ会の出し物にし、その取り組みから、普段の保育の動機づけにしていくのです。子どもにつけたい力、子どもたちに取り組んでもらいたい活動を、おたのしみ会に取り組む中から、普段の保育につなげていくという保育もあるのです。

 また、おたのしみ会の出し物について、保育者の意図がなく、子どもたちからの活動から、次々に発展していき、次第におたのしみ会につながっていくこともあります。年長さんが、こんな保育に取り組みました。「“ねぇテント作りたい!”…ある日の誰かの一言で始まったテント作り。新聞紙を一本一本丸めていき、骨組みを作ってそれをつなげて。“あと何本作らなきゃね!”“私もやるー!”…だんだんと仲間が増えて、何日もかけて年長さんの新聞紙のテントが出来上がりました。」しかし、材料が新聞紙のためか、壊れてしまいました。こうして始まったテント作りは、次につながっていきます。

ちょうどその時、おたのしみ会が近づき、出し物を検討することになりました。そんな時に、子どもたちはこんな会話をしています。「するとまた誰かが提案をしました。―“このテント、お楽しみ会で使ったらいいんじゃない??”そこから始まったお話探し。“テントが出てくるお話がいいよ!”“森だから動物がいいんじゃない?”と、次々にお話の案が持ち上がる中、無惨にもテントは壊れてしまいました。…それでもお楽しみ会のイメージは膨らんでいき『もりのてがみ』に決まると、お話の展開もみんなで考えていきました。そしてキャンプをすることに。すると、“じゃあテントが必要じゃん!また作ろうよ!”」

せっかく作ったテントですから、子どもたちはどうしたら壊れないテントが造れるかを考えます。そこで、骨組みを新聞紙を丸めて作ったのから、角材に釘で打ち付けて作ることにしました。釘が曲がりながら、みんなで打ち付けていきます。そして、覆いも新聞紙ではなく、布で作ることにしました。そして、みんなでテントを作り上げました。子ども集団における遊びには、人間として発達していくための、人間関係における共感、協同、また、表現における想像と創造の力などの基礎的な能力を育むプロセスなのです。

保育所保育指針の発達過程の「おおむね六歳」には、こう書かれてあります。「仲間の意思を大切にしようとし、役割の分担が生まれるような協同遊びやごっこ遊びを行い、満足するまで取り組もうとする。様々な知識や経験を生かし、創意工夫を重ね、遊びを発展させる。」
また、「人間関係」領域のねらいには、「?友達と一緒に活動する中で、共通の目的を見いだし、協力して物事をやり遂げようとする気持ちを持つ。」とあり、「三歳以上児の保育に関わる配慮事項」には、「ク 感じたことや思ったこと、想像したことなどを、様々な方法で創意工夫を凝らして自由に表現できるよう、保育に必要な素材や用具を始め、様々な環境の設定に留意すること。」とあります。

保育とは、特定の領域に限られるものでもなく、特定に年齢の発達過程に限られたものでもなく、総合的なものなのです。

おたのしみ会の考察18

絵本やお話から始まる「劇遊び」は、表象を広げながらそこに登場するものの性格や関係、感情などについて疑似的な体験しはじめます。それは、ごっこ遊びと共通しているもので、動機、表象、情動の実現と進み、それが子ども自身の表現として現れてきます。しかし、劇遊びでは、より高度な表現になります。それは、単に大人のまねではなく、きっかけとなるお話や物語のストーリー、登場するものが全体の進行を決定していくからです。その進行の中で、想像が広がり、感情が高まってくることによって、自らのストーリー、新しく登場するものまでも生み出していきます。
このような活動が、年長さんのおたのしみ会への取り組みに見ることができます。紹介コメントにはこのように書かれてあります。「絵本が決まると、次は役決めです。“絵本にでていなくてもいいから自分たちの好きな動物をやろう!”そうして出てきた動物は、ぞう、うさぎ、りす、とり、ライオンでした。役が決まると、ストーリーやセリフも自分たちで考えました。ぞう、うさぎ、りすは“最初何をして登場したいか?”と“どんなケーキを作ってコンテストに出たいか?”ということ、とりは“誰がどこのナレーションをするか?”、そしてライオンは“本番中に一番おいしいケーキを決める!”ということを話し合いました。」

この取り組みコメントを読むと、行事は決して当日のためのものでないことがわかります。当日は、表現領域を中心としたプロジェクト保育の通過点に過ぎないのです。その経過は、3歳以上児になると、練習にもその成長を見ることもできます。そんな光景も、取組コメントにも書かれてあります。「ストーリーやセリフが決まってくると、次はいよいよ練習です。台本できあがると自分たちでセリフやセリフを言う順番覚えていったり、同じ出番のグループで集まって話し合ったり、練習をしていました。初めてみんなで合わせてみた時も、流れや、セリフは自分たちでしっかりと覚えていて、途中でわかんなくなってしまった時も“次は○○の出番だよ!”と教えてあって、最後までやり通していました。さらに、“ゾウは鼻を手でやればいいよね?”“セリフの前にがぉーっていれたほうがいい?”など、自分の演じる動物の歩き方や鳴き声をお互いにもっと劇がよくなるように提案をしたり、大道具や装飾も、みんなで設計図を描いて、協力して作りました。ハプニングやケンカもありつつも、劇のいたるところに年長さんのこだわり、楽しかった様子、想いが込めてられています。そして年長さんで出来る最後の劇、思い残すことがないよう力いっぱい出し切るぞっという気持ちで取り組んできました。」

子どもたちは、身の回りにある様々な環境から影響を受けます。劇遊びをするときにも、読んだ絵本からとか、保育者から読み聞かせてもらったお話から刺激を受けます。最近、その多くを、テレビから受けることがあります。例えば、「戦いごっこ」など戦隊物の影響があります。戦いごっこをしている子どもたちを見ると、「テレビの影響が大きいから」と片づけることがあるのですが、私は、「テレビなどは子どもにとって1日のうち数時間か数分の話で、何で多くの時間を過ごす保育の中の影響は受けないの?」と聞くことがあります。もっと、保育の中での経験を豊富にさせることで、長細い棒を作っても、剣にするというよりも、釣竿にするとか、魔法の杖にするとか、違う発想を得るはずです。

子どもたちは、様々な経験、体験からいろいろなものを表現します。おたのしみ会で子どもたちに話し合いをさせようと思っても、それまでの体験が豊富でないと、アイディアを思いつきません。すると、つまらないおたのしみ会になってしまいます。ただ、話し合いをさせればいわけではありませんし、子どもたちに任せればいいわけではないのです。普段の保育、生活の中での導入が必要なのです。

おたのしみ会の考察17

年長さんの担任が、おたのしみ会の中で保護者に見てもらおうとした発達は、「自分や友だちの表現したものをお互いに聞かせあったり、見せ合ったりして楽しむ。」という姿であることを、コメントで紹介しています。しかし、この表現する力は、決して、おたのしみ会の時に発揮されるものではなく、私の園では、3,4,5歳児の部屋に用意されてある様々なゾーンでの活動に見られます。そんな普段の遊びをコメントで紹介しました。「おままごとゾーンではレストランごっこでウエイトレスさんになったり、お母さんや赤ちゃんになったり、製作ゾーンでは、飛行機や手裏剣を作ってヒーローや忍者になったり、いつも遊びの中でイメージを広げ、工夫しながらその役になっておもいっきり楽しんでいる年長さん。」

最近は、子どもたちの家にはいろいろな人が訪ねてきません。私の子どものころは、畳や、庭師、建具や、表具や、自宅でいろいろな職人技を見せてくれました。また、家族の働く姿も見ることができました。台所で食事の用意をする姿、箒で部屋の掃除、ぞうきんがけ、障子の張り替え、様々な大人の世界を見ることができました。そんな現実の世界における大人の活動、大人たちの相互関係を再現し、表現する遊びが「ごっこ遊び」です。それによって活動の社会的動機や人々の間の関係に結びつけ、大人の生活に間接的な関係を持つことになるのです。

そんな「ごっこ遊び」は、子どもが大人の役割を受け持ち、ものを何かに見立て、大人になったつもりになって活動や関係を再現する遊びで、まさに表現遊びです。そして、それは劇遊びへと発展していきます。しかし、最近の子どもの遊びは、テレビやビデオ、ファミコンやパソコンなどのメディアを通した遊びが主流となり、生活のリアリティの抽象化が進んでいます。したがって、その生活は、ごっこ遊びへ展開していきません。そこで、園では大人のやること、掃除とか調理などを子どもたちの前でやり、それが再現できるようなごっこゾーンを3,4,5歳児の保育室内に用意します。そこでは、2歳児までの保育室にあるような「ままごとゾーン」とは違い、さまざまなものになりきり、いろいろなごっこ、たとえば「お店屋さんごっこ」「お医者さんごっこ」「変身ごっこ」などができるようゾーンです。

それが発展すると、お話や物語を媒介にしながら、そこに登場するものを自分の役割とし、その世界を摸擬的に再現して遊ぶようになります。それが、ごっこから発展してきたということは、ともに、何かになったつもりで振る舞い、さまざまなものを何かに見立てる活動を行うあそびだからです。保育者から聞いた話や、読んでもらった物語の世界を共感的に受けとめ、表象を広げながら、実際にその世界を体験してみたいという衝動にかられます。今年の「おたのしみ会」の演目が決まる経緯をコメントで紹介しています。「今年のおたのしみ会は何をやろう?という問いかけに“楽しい劇がいい!”“動物が出てきて来るやつ♪”“じゃあテーマは森だから、筋肉もりもりの劇ならいいんじゃない?”などいろんな意見が出てきました。そしてみんなで決めたのが“森の動物たちがでて、みんなが楽しい劇をやろう!”でした。そこからすぐに“ジャングルでいちばんおいしいケーキ”に決まりました。」

年間通して「テーマ」による保育は、年長児もよく理解しています。保育における子どもの活動は、子どもたちが自主的に、主体的に行われるものですが、当然そこには、保育者の適時性のある働きかけがあります。その一つに、年間テーマの設定があります。そして、子どもたちが想像しやすいような環境の設定があります。決めたことを、子どもに指示し、その通りにやらせることは簡単です。しかし、そこには、子どもの発達は促されません。保育者の専門性とは、環境によって導入され、環境によって展開することができるような「意図性」を持つことであり、それこそが幼児教育なのです。

おたのしみ会の考察16

 「おたのしみ会」のプログラムには、表現と言語の発達過程が書かれてあり、当日までの取り組みが書かれてあります。3歳児のコメントには、一昨日紹介したもののほかにこんなことが書かれてあります。まず、発達過程として「童話や詩などを聞いたり、自ら表現したりして、言葉の面白さや美しさに興味をもつ。」とあり、それに沿った取り組みとして「劇中で動物さんたちが言う“しずかに しずかに”というセリフは、絵本を読んでいる時に子どもたちがふと口に出した言葉をそのまま取り入れたものです。また、劇中に出てくる“こそこそ話”のシーンは、話す方も聞く方もとっても楽しそう!お友達の耳元でこそこそとささやく可愛らしい姿にぜひご注目ください。セリフを忘れちゃったり、恥ずかしくなったり…そんな姿も3歳児さんらしい成長なのです。」

 それが、4歳児のコメントは少し変化してきます。発達のポイントには、「絵本、童話などに親しみ、その面白さがわかって、想像したり自ら表現したりして楽しむ。」となります。三歳児の劇のもとになる絵本を、おたのしみ会が近づくと子どもたち自ら探し始めます。しかも、なんとその年のテーマも理解していて、そのテーマに沿ったものを探します。そんな姿が、取り組みコメントに書かれてあります。「3歳さんのときは『がらがらどん』やったんだよね!…おたのしみ会が近づく雰囲気を感じて、子どもたちから話題がもちあがりました。「こんなのがいいな?」「森でしょ、うーん?」考える姿、ひらめく顔、どれも顔つきがいい!「何か絵本探しとくね!」なんて積極的な声も。」

 そして、絵本の楽しみ方も変わってきます。発達に書かれているように、「その面白さがわかって」その絵本にのめりこんでいきます。その結果、その絵本を劇にして表現することをしていきます。取組みコメントには、その経緯がこう書かれてあります。「去年は読み聞かせてもらうことが多かった子どもたち。だんだんと文字が読めるようになり、自分で読める嬉しさ、友だちと一緒に読む楽しさ、年少さんに読んであげる自信をそれぞれに感じています。そんな中で劇が“しんせつなともだち”に決まり、クラスの友だち同士でまわし読みが始まりました。すると、“この役がいい!”“こんなのもいいんじゃない?”と、絵本に出てくる役だけでなく、他の森の中の動物たちを自分たちで提案して、きつねを仲間に入れました。ちなみに、出てくる野菜は保育園で育てているものと一緒。自分たちで蒔いた種からどう成長するのか、そこにも期待感を持っています。」

 この取り組みは、発達の中の「その面白さがわかって、想像したり」する姿です。絵本をきっかけに、子どもたちはどんどん想像力を膨らませていきます。それは、普段の経験、体験の中からの想像力です。そこには、普段からの保育者の働きかけと、環境構成が影響してきます。そして、コメントはこう続きます。「役が決まると、やる気まんまん!けど今年は、舞台に立つのは子どもたちだけ…。信じるのは自分と友だち!?「せーの!」と声を合わせたり、誰かがリードしたり、友だちの様子を見ながら合わせたり。友だちと気持ちを合わせて一緒にやる、ちょっと難しいけど楽しい!ドキドキするけどやりたい!そんな気持ちで取り組んでいる4歳児さんです。」
 
ここにも、発達の「自ら表現したりして楽しむ。」姿があります。きちんとそれぞれの時期の発達過程を大切にし、その今を大切にする保育が、このような成長を促していくのです。

おたのしみ会の考察15

 年少児は、年長児のやることをじっと見、そこから刺激を受け、それをまねしてやろうとします。それは、0歳児でも1歳児から刺激を受けますし、私の年齢になっても、高齢者ががんばっている姿から刺激を受け、頑張らなければと思うこともあります。また、逆もあります。年長児は、年少児から見られることによって、自分を手本として見られることで、自信を持つことがあります。子どもは、あこがれを持って向けられている視線を感じることができます。その視線は、大人からどんなに褒められるよりも自信につながります。それは、1歳児でも、0歳児から見られることによって、何となくお兄ちゃんぶったり、お姉ちゃんぶったりします。年少児から見られることによって、しっかりすることもあるのです。その意味では、小学校の1年生は、自分より下の年齢の子がいないために、幼児施設の時にあんなにしっかりしていた子が、何となく赤ちゃんぽくなるのです。幼児施設の時には、最年長だったのが、小学校では最年少になったからです。そこで、生活科などで、幼児と触れ合うことを提案しているのです。1年生が、幼児と接することで、小1プロブレムと言われるような幼児返りは少しは解消すると言われているからです。

 私の園で行われる「おたのしみ会」では、当日は年齢別に行われるのですが、実は、異年齢児保育の発表でもあるのです。それは、舞台の上でだけ行われるのではなく、普段の生活の発表だからです。普段の生活は、異年齢の中で様々なかかわりを持っていることで成長することが大きいのです。「おたのしみ会」当日は、観客者が両親、祖父母を含め多くなってきたために、最近、園児は観覧しなくなりました。そこで、その前の週に行われる予行練習では、すべて本番のような衣装、背景の前で、子どもたちだけで観覧します。そして、その時に、園としての写真を撮り、当日は、写真撮影は行いません。

前の週に行われる「おたのしみ会」の練習はとても面白いです。それは、全園児が観覧するからです。普段から異年齢で過ごしているために、0歳児が出ると、それぞれの子に対して応援する声がほかの子から飛びます。そして、泣きそうな子には、その子をみんなで励まします。そして、朝のお集まりの場面で歌が始まると、年長児までその歌を歌いながら、観客席で手遊びをして見せます。舞台の上と観客席が一体になります。舞台の上の子も、見られることから、楽しそうですし、しっかりしようとします。

それは、乳児だけでなく、幼児においても同じことが言えます。小さい子からの視線を感じ、自信を持っていくようです。それが、本番において発揮されていきます。また、お互いがお互いの演技を見ることによって、それぞれの年齢のクラスによって乃違いを見ることができます。それは、普段の保育の中でも異年齢で生活する特徴です。お互いの違いを知ることができます。それは、男女差であったり、年齢差であったりします。そして、その違いを知ることによって、個人差も知ることができるようになります。みんな同じようになることではなく、自分らしさを発揮することが必要であることを知ります。園に、下半身が不自由な障害の子が在園しています。しかし、その違いは、子どもにとっては個人差としてしか写っていないようです。歩行器を使って移動しますが、他の子はそれを何の違和感を感じることなく自分の動きをします。障害児に対しても、普段の異年齢での生活から、真の平等を子どもたちは学んでいるようです。

おたのしみ会の考察14

 私の園での「おたのしみ会」は、いわゆる年齢別に保護者に発達や、普段の生活を見せます。しかし、普段の生活は、3,4,5歳児が同じ部屋の中で過ごしています。その部屋の中での遊びは、必ずしも異年齢で遊ぶわけでもないのですが、少なくとも子どもたちは、生年月日が4月から3月生まれを一区切りとしてグループを作って遊ぶわけではありません。遊ぶ内容によって遊び相手を決めています。その時には、ほぼ、同じくらいに発達の子を選んでいることが多いようです。オセロをやろうとするときには、ルールを知っていて、同じくらいに強さの子が面白いようです。

 しかし、おたのしみ会では、年齢別に行いますので、練習や、当日までの取り組みは、年齢別クラスによって違ってきます。ちょうどその時期にボランティアに来ていた学生が、こんな記録を書きました。「今日は、年長さんのおたのしみ会の練習風景を見ることができましたが、さすが年長さんだなあと思う場面を多く見ることができました。役を自分たちで話し合って決め、みんなでそのセリフ、振り付け、衣装などを自分たちで話し合っている姿に、感心しました。しかし、それ以上に感心したことがありました。それは、その年長さんの姿を、あこがれの目でじっと見つめていた3歳児、4歳児がいたことでした。」

 3歳以上になると、私は「遊び」自体が子どもにとっての「表現」であると思っています。乳児から、運動、音楽、制作において、行動として現れる「表出」から、次第に意識して表現するようになると遊びが生まれてきます。その「意識して」ということは、意欲であり、何かに刺激されての動機なのです。この時に、子どもは刺激を受ける大きな要素として「少し年上の子からの刺激」があります。年少児は、年長児から刺激を受けることがあり、その刺激によって模倣をします。そして学習していきます。これが、子ども文化の伝承であり、異年齢保育の大きな長所なのです。

 年少さんの「おたのしみ会」のコメントには、こう書かれてあります。「お兄さん、お姉さんにキラキラと憧れの眼差しをむけている3歳児さん。4,5歳児の劇への話し合いが始まるとすぐに『自分たちはまだ?』と今度は担任にキラキラの目をむける子どもたち。この話どうかなぁ。ってつぶやくと、すぐに皆が集まってきてじっくり読んで、『この役やりたい!』『○○ちゃんはどれにする?』なんて、子どもたちだけで自然と話し合いが始まりました。お話が決まると、次は役決め。数種類の役があるのにも関わらず、決まるのが早い早い!何回か希望をきいて、多少人数調整していこうかな・・・と思っていたのですが、第一回!役希望の結果は?即決!。さすが、皆で話あっていただけあります!!人数は《偶然》の割合が大きいのでしょうが、役に対して、『クマは恐い顔しているけど、とっても優しいんだよ』『これ、かわいいと思うなぁ』なんて相談している姿が見られて嬉しく思いました。そのあと、『もしあの役を誰もやらなかったら私がやってあげるね』なんて、言葉もありました。こうしてみんなで作りあげた『とんとん とめてくださいな』。友だちと一緒に演じる楽しさを存分に味わいながら取り組んでいます。」

 このような姿が3歳児でも見られるのは、普段から4歳児、5歳児が自分たちでいろいろと話し合い、自分たちで決めている姿を見ているからでしょう。このような「見て」「まねして」「自分でもやってみて」という学習は、現在、唯一、また、最も効果的な教育であると言われています。

おたのしみ会の考察13

2歳児になると、何でもみんなで一緒にしたがるようになります。みんなで一緒は、自然とルールが生まれてきます。「順番こ!」「貸してね!」「どうぞ!」などの言葉が友達を大切に思うゆえに出てきます。決まりとして、約束だからというよりも、友達を思う気持ちから出てきます。保育者からも「みんな一緒だと楽しいよ!」という言葉がけが多くなります。このころになると、昼食をみんなで食べるために、自ら待てるようになります。片手、日本は「一家団欒」で食事をしました。それは、みんな集まって楽しく食事をする風景でした。この一家団欒で食事をするということには、もちろん、みんな揃っているので楽しいということがあるのですが、他にも様々な効果がありました。

一家とは、きょうだい、両親、祖父母という異年齢集団です。そして、年の違う集団が、食事というみんな同じ目的を持っての行為をします。ですから、それぞれの発達過程を見ることができます。それぞれ年齢による違いを知ることができます。そこから、他者理解が深まり、それによって、自己が形成されていくとも言われています。また、食事をみんな一緒にすることで、食材の好き嫌いををへらし、食事の量が増えるという効果があることもわかっています。そして、最後に最も重要な役割があります。それは、ある裁判所の調査官が講演の中で言っていたことです。200人くらいのいわゆる非行青少年の面倒を見ていた時、彼らの特徴の一つに、全員一家団欒で食事をしていないということがあったそうです。彼らにとって、一家団欒で食事をするという意味は、「みんながそろうまで待つ」という力が育つということだと言っていました。いわゆる「我慢する力」が必要なのです。しかし、それは、ただの「おあずけ」ではなく、みんなで食べると楽しいから待つことができるのです。園では、2歳児ころから、みんなで一緒だと楽しいから、みんなが揃うまで待つということを自らするようになります。

今年の「おたのしみ会」における2歳児の演目「ももたろうさん」の後半は、「みんなで一緒が楽しい」という表現がテーマです。機嫌の悪かった鬼が、子どもたちから笑顔一番と言われ、次第に笑顔になっていった鬼さんに、みんながももたろうさんからもらったきびだんごをあげます。そのきびだんごは、普段、公園にどんぐりひろいに行くときに持っていく、子どもたちが作った手作りポーチに入っています。このポーチについても、「取組みコメントで「秋のお散歩では、手作りのどんぐりポーチを提げてはりきってどんぐりを拾っています。劇中に出てくるのでぜひご注目ください。きびだんごも、なんと2歳児クラスの子どもたちの手作りです。」と紹介されます。

きびだんごを急いで食べようとした鬼にむかって、子どもたちは、「みんなで食べると、おいしいよ!」と呼びかけます。そして、普段の昼食の時に行っている食事の歌を保育者のギターに合わせて歌った後、「いただきます」を皆でしてきびだんごを食べます。この経緯が、当日の二日前に紹介した「取組みコメント」の中に書かれてあることです。また、取組コメントの最後には、こう書かれてあります。「“どうしたの?”“手伝って”“いいよ”“みんなで食べるとおいしいよ”…毎日の生活の中であちらこちらにみられる2歳児クラスのお友達の相手を思いやる気持ちは、たくさんの新しい出来事や絵本・歌を通してむくむく育っています。グループ活動では、自分の役割があることへの喜びを感じ、とびきりの笑顔からは自信が満ち溢れています。」