来年のキーワード2

 年末が近づくと、今年の重大ニュースとか、今年の流行語とか、レコード大賞など、様々な分野において、今年に話題になったことが表彰されたりします。また、来年、どのような年になるのか、来年何がはやるかなど、次の年のことが話題になります。それは、乳幼児教育においても、どうなるか心配する言葉をよく聞きます。そのような話題の中で、私が、「もし来年の保育におけるキーワードは何か?」と聞かれたら、「インクルージョンとダイバーシティー」ではないかと思っています。それは、「多様性を包括する」というような意味で、子どもたちを、ソーシャルネットワークの中で育てる必要があるということです。

 そして、ダイバーシティーという多様性は、地域の様々な人たちの中で育てられるということと、子どもたちの多様性を認め合うこと、その中に、男女、障害児、年齢など外から見える違いで子どもを判断せず、一人一人の特性を認め、それを生かし、社会の一員として自立していくことを目指します。これは、今後多国籍の子が増え、グローバルな時代になり、様々な生き方をする人が多くなっていきますので、この観点はますます必要になっていくでしょう。また、この観点は、生活の質を高め、豊かな生活を営み、成熟した社会を構築していくことになります。

 そのために必要なのが、「イノベーション」なのです。ドラッカーは、イノベーションの七つの機会として、「予期せぬ成功、予期せぬ失敗、予期せぬ出来事。」「ギャップを探す。」「ニーズを見つける。」「産業構造の変化を知る。」「人口構造の変化に着目する。」「認識の変化をとらえる。」「新しい知識を活用する。」という七つを挙げています。これらは、保育界で行われようとしている「幼保一体化」において参考になります。幼保を一体化しようとしたときに見えてくる保育の本質や子どもにとっての意味、しかし幼保におけるギャップはなんなのか、どうしたらそれを埋めることができるのか、そのために、子どもたちが今求めていることとはなんなのか、それを支えるシステムはどうあるべきであるのか、そして、少子高齢化社会は、子どもたちの環境を劇的に変化させます。その変化をきちんと認識しないと、新しいものへの変化を躊躇してしまいます。そのためには、認識も変えなければなりません。その認識は、現状に危機感を感じなければなりません。ドラッカーは、この「認識の変化を捉える」とは、コップに水が二分の一入っている状態を、「半分入っている」から「半分空(カラ)である」に変わる時、イノベーションが生まれると言っています。半分空だと認識することは、何かが足りない、不十分だと思うことで、そこにイノベーションの機会が生まれるというのです。

 そして、それを実現するためには、新しい知見、知識が必要になります。古い文献ではなく、様々な分野における新しい知見を総合的に判断する能力が必要になります。そして、その知見は、実践の中からの姿を裏付けるものでなければなりません。よく、保育の科学的知見とか、脳科学からの考察ということがありますが、それは、脳科学から保育するのではありません。

 現場における子どもの姿を見ると、変えなければと思うことが多いのですが、なぜ、変えることに不安を持つのでしょうか。

来年のキーワード2” への5件のコメント

  1. 「見守る保育」の現地化を実現するまでの過程で、ドラッカーのイノベーション理論は役立ちます。

    今度の“勉強会”を実施するまででも「予期せぬ成功、予期せぬ失敗、予期せぬ出来事」が次々と起こりました。これからもあると思います。茂木健一郎先生が説くところの「偶有性」です。失敗を恐れないチャレンジ精神が幸運を引きつけるのです。

    子どもの最善の利益を保障する理想の保育と現実に目にする保育とは大きなギャップがあります。それは内部の人は気づくことができません。民営化はそれを気づかせる絶好の機会になります。その地域における保育の革新と啓発こそが、民営化のニーズになります。

    梅棹忠夫先生によると、人類の産業史は、農業の時代、工業の時代、精神産業の時代と変遷を遂げてきました。21世紀は精神産業の全盛の時代です。身体に例えれば脳神経系であり感覚器官の進化、いわば人格や個性の練磨が教育の本当の目的であらねばならないのです。

    フィンランドは、少子化であればあるほど、一人の子どもも落ちこぼれさせることはできないという国の方針が明確です。日本では、なぜか少子化問題が年金財政や就労人口の問題にすり替わってしまう。子どもは自分の幸福な人生のために生きるのであって、高齢者を支える社会のコマではないのです。

    諸外国では異年齢保育は当たり前のように昔からありました。これまで日本では異年齢保育は、ある意味“異端”でした。しかし、21世紀の超少子化時代になって、認識が変わります。そのことをいち早く教えてくださったのが藤森先生です。21世紀型保育のススメ。見守る保育。藤森先生に世間の認識がやっとついてきました。

    情緒の安定、母子の愛着、集団での関わり・・・。保育にはその世界にしか通じない独特の用語がある。その言葉が幅を利かす“ムラ”がここに住む人を守ってきた。ドラッカーは「異なる知識の結合」によってイノベーションが生まれるという。脳の臨界期、シナプスの刈り込み、ミラーニューロン等、新しい科学の知見が保育界の空気を一変させてくれることを期待します。

  2. 「半分入っている」と「半分空である」の捉え方の違いはおもしろく感じました。今の状態でなんとか上手くやれているので何も問題ないんじゃないかという声は、まさに半分入っているという捉え方です。今の状態を見ているようで大事なところが見えていない言葉なのかもしれませんね。もしかすると半分ということも見えなくしてしまう考え方かもしれません。やはり素直に謙虚に物事を見ることでしか今の課題に目を向けることは難しいように思います。保育に関わる人が「半分空である」という認識の元で保育のあり方を議論する、そんな場が少しずつでも広がっていく様に働きかけることも継続していかなければと、あらためて思いました。

  3. 藤森先生が言う「インクルージョンとダイバーシティ」確かにこの二つは、保育の未来のキーワードとしては大切な言葉ですね。多様性と言えば2010年に愛知で行われた「生物多様性会議(COP10)」が記憶に新しいと思います。まず生物多様性条約というのは「地球上の生物の多様性を包括的に保全すること」と書かれています。ブログに「多様性を包括」すると書かれている事と同じですね。子ども一人ひとりの個性や特性、違いを個人として見るのでなく、全体的に見る事で互いに認め合い、社会の一員として自立していく、その為にも、やはり新しい考え方、イノベーションが必要です。当たり前のような考え方ですが、その当たり前の考え方が出来ないのが現実です。コップの例のように、目の前に子どもがいても現状に満足してしまい、変える必要があっても変えようとしないのかもしれませんね。

  4. 保育をいているなかで、見方を変えるということがいかに大切かというのを藤森先生のブログや講演でいつも痛感します。また、まだまだ日本の保育園や幼稚園は未来の子どもたちといいながらも、どこか社会とは隔離して話をしているように感じます。世界ではこういった考えはもう古いのでしょうが、なかなか根強く残っている節をよく感じます。「インクルージョンやダイバーシティ」という言葉は今後の日本ではもっと必要になってきますね。少子高齢化はこういったキーワードが上手くいけばとてもチャンスになるのではないでしょうか。子どもが少ないからこそできることももしかしたらあるかもしれません。そのためには社会の認識を変えていかなければいけなと思います。変化を恐れるだけではジリ貧になることが多いです。保育を考えていく上でもっと発信することは多くありますね。しっかりと目の前の子どもたちを見据えて考えていきたいとおもいます。

  5. ダイバーシティー、インクルージョン、そしてイノベーション。今回のブログで取り上げられていたこれら3つのワードはどれもこれも我が国の社会、私たちが従事している保育界の方向性を明確にするものですね。ドラッガー氏の「認識の変化を捉える」例えとしての、コップの中に水が二分の一入っている状態をどう認識するか、というのは示唆に富んでいます。私たちはコップの中に水が半分入っているということは容易に認識できますが、半分が空だ、という認識にはなかなか至りません。ものの見方、捉え方の工夫が子どもたちを取り巻く環境を豊かにしていくことを考えると、こうした「認識の変化」の必要性が大事になっていくのでしょう。「現場における子どもの姿」を読み解いていくためには「新しい知見」が必要になってきます。そしてこの「新しい知見」を獲得し、実践の場に生かすために、私たちはさまざまな方向にアンテナを張っておくことも必要なのかもしれません。

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