運動会の考察12

 「スポーツの秋、澄み渡った秋空のもと、体を動かす」とよく言われるように、スポーツは、秋、秋空のもとということで屋外というイメージがあります。ですから、運動会は秋に、校庭で行うということが定番です。しかし、私は小・中・高校と自分の学校の校庭で運動会はしたことがありません。それは、団塊の世代で、非常に子どもの数が多かったことと、都内の学校だったので、校庭が狭かったということがあります。小学校の時には、近くの高校のグランドで、中学校の時には、近くのサッカー場とか、競技場で、高校の時には、同窓会が持っているグラウンドで運動会を行いました。ということもあり、小学校の運動会の練習は、総練習としては、基本的には1回だけ予行練習をしただけでした。中学の時には、練習は、細切れで行っただけで、全体練習はしませんでした。ですから、最近の小学校の練習には、なんだか違和感を感じるのかもしれません。

また、私は自分でいうのも変ですが、割と運動神経はいい方でした。しかし、あまり得意でないスポーツがあります。それは、サッカー、野球、ゴルフなどで、得意な競技は、バレーボール、バスケットボール、卓球などです。この区別は分かりますか?それは、都内の学校は校庭が狭いので、外で、広い場所を使うようなスポーツはあまりする機会がなく、多くは、体育館でやるスポーツです。随分と育った環境が影響するのですね。

現在、ほとんど秋に行われていた小学校などでの運動会は、半数が春に行っているようになりました。その理由として、秋には、展覧会、学芸会など学芸的な行事が行われることで、練習や準備に負担が大きくなること、運動会は、屋外で行われるために、炎天下での練習を避けるために春も増えてきたようです。しかし、春ですと、進級して間もないために、練習期間が少ないこと、遠足などは春に行う学校が多いことなどで、春と秋は半々のようです。私の子どものころは、春秋と2回運動会があり、春は公園の芝生の上でミニ運動会、秋は保護者の観覧つきの運動会でした。

私の園は、今、都内にあるために、園庭は非常に小さく、走り回ることはできません。ですから、他に場所を借りるのですが、その場所を目の前にある小学校を借りることにしました。しかし、学校側からは、「校庭をどうぞ」と言われたのですが、体育館を借りることにしました。その理由としては、まず、0歳児、お年寄りも参加するために、赤ちゃんでもお年寄りでも観戦しやすいこと、一人ずつ丁寧に運動の発達を見てもらいたいため、雨天でも決行できること、そして、紫外線対策と熱中症対策のためです。

しかし、どうしても保護者の中には、屋外での運動会を希望する人が多くいます。そこで、園から、「わが園の運動会での紫外線対策について」というお便りを配布しました。そこには、運動会の趣旨と同時に、世界保健機構での子どもの紫外線対策の必要性の文章(WHO Sun Protection-Primary Teaching Resource―Preface)と、「環境省 紫外線環境保健マニュアル」からの抜粋を載せました。ここには、1年のうちでもっとも紫外線が強いのは、春から秋の4?9月で、1年間のおよそ70?80%浴びると言われていることから、その時期の運動会は室内で行う趣旨を説明します。

ただ、どうしても、保護者の中には、昔ながらの運動会の種目をやりたいとか、屋外で運動したいという子どもたちに対して、午後は、自由参加で校庭で「親子スポーツフェスティバル」を行います。そこの種目は、「障害物走」であったり、「大玉送り」「玉入れ」「借り物競争」「綱引き」など、親子で楽しみます。ただ、あまり園の道具は使わない競技にします。校庭でこのような競技をしている間に、体育館のものを片付け、掃除をし、すべてが片付いたころに校庭での競技も終わり、一斉に解散になります。

運動会の考察11

 運動会の味付けは、テーマによる装飾や、種目の題名だけでなく、毎年行われる種目だけでない、工夫された種目にもみられます。例えば、運動会の最初は「開会式」です。0歳児から6歳児まで並んで行います。ただ、0,1歳児クラスの子は保護者と一緒に入場します。そして、準備体操をするのですが、親子競技もあるために、子どもと保護者がともに体を動かすものにします。そのあと、退場するのですが、退場しながら最初の種目をすることがあります。それは、入場門の作成です。それには、5歳児クラスだけのこともありますが、3,4,5歳児の共同制作の年もあります。絵が事前に書いてある段ボールを積み上げていく年もあり、木に花や実をつけていく年もあります。今年は、森がテーマですので、木に退場しながら実をつけていくというものでした。そして、その実のなる木は、玄関先の装飾になり、実の代わりにオーナメントをつけるとクリスマスツリーになりますし、木としてはお楽しみ会の会場の装飾になります。お楽しみ会では、他に、夕涼み会の木も飾られています。以前にも書きましたが、行事に向けての作り物は、一つの行事だけに利用されるのではなく、その後の保育室の装飾、複数の行事への活用、日常の保育への活用などに利用されます。

 運動会の時の装飾が後に使われる例として、万国旗があります。運動会といえば、万国旗というイメージがあります。それは、世界の祭典ということで、様々な国が集まっている世界を表わしています。園での世界は、様々な子どもたちです。0歳児から6歳児までが集まっていて、子どもたちは、まず自分の身の回りから世界を感じ始めます。そこで、園の運動会の万国旗は、子どもたちの似顔絵にします。0歳児から2歳児までの保護者にわが子の顔を書いてもらいます。3歳以上児は、自分で自画像を描いてもらいます。園全員の顔が運動会に参加するのです。その顔が、最後の卒園式に飾られます。卒園式には、園の代表をして年中さんが出席します。ほかの年齢の子どもたちは参加しないので、顔の絵で参加します。式場の周りには、絵と紅白のお花紙で作った花を交互につるし、紅白幕の代わりに卒園を祝福します

 また、運動会には、表現としてダンスがあります。そのダンスの練習も、園ではかなり時間をとり、子どもや職員の負担をかけがちです。私の園では、小道具同様、ひとつの行事だけのためのものにはしない工夫をします。というわけで、運動会で披露するダンスは、その年のプールに入るときの準備体操の曲に決めます。夏にプールに入るたびに、準備体操をします。それは、運動会の時のダンスの練習になるのです。運動会のためだけで練習はしないのです。

 また、種目の中に、普段保育の中で行われる運動が入ります。それは、「ぞうきんがけ」と「片付け」です。年長児は、毎日昼食の後に食事をした場所の机を片付けて、床をぞうきん掛けしています。それは、腹筋を鍛えると同時に、転んだ時に手を真っ先につく練習と、躓いた時に、足がとっさに前に出るようにするためです。運動会の最後の種目は、年長さんの個人競技ですが、そのときに使用した用具をみんなで協力して片付けます。重いもの、長いものは二人以上で持ちます。そして、片付け終わったら、会場の床をぞうきんがけをします。この雑巾がけについては、ブログで何回か取り上げたのですが、普段の保育の中で行うのも、それを子どもたちが自主的に取り組むための工夫がしてあります。それが、運動会でも発揮されるのです。

運動会の考察10

普段、園で行っている運動遊びは、いわゆる習熟度別に、挑戦する運動の難易を選びます。小学校でも、例えば跳び箱を飛ぶときでも、3段、4段、5段と段数を変えて、自分が跳べる高さに挑戦します。しかし、運動会当日は年齢別に披露します。
ある年、職員からこんな意見が出ました。「年齢別にしないで、その子ができる運動を披露したらどうか?」という意見です。その時に、小学校において、かけっこの取り組みについて試行錯誤をしたことを思い出しました。私が子どものころは、背の順に並んで、順番に6人くらいが一緒に走り、ゴールに先生がいて順位を決めて、その順位が書かれた旗のところに並びます。高学年になると、運動会の係として、ゴールした子を旗のところまで連れていくという役割がありました。そして、順位によって、色のリボンをもらって、手首に輪ゴムで止めます。それが、一時期、競争するとか、子どもの順位を決めるのはかわいそうだということで、全員リレーとか個人別徒競争とかリレーを行わないことがありました。また、背の順ですと、あまりに子どもの速さによって差が出るので、事前に個々にタイムをとって、タイム順にグループを作り、タイムの近い子ども同士で走ることをしたこともありました。その方法は、今もしている学校もあるかもしれませんが、子どもたちから聞くと、当日1着を取りたいので、練習の時のタイムはわざと遅くして、遅いグループに入って1着をとるということをすることがあると言います。また、それでも、どのグループに入るかで、結局、差が出てしまうということもあります。

子どもによって速さに差が出ることは差別でしょうか?また、勝負は子どもにはよくないことでしょうか?足が遅いと悲しい思いをするのでしょうか?確かに負けると子どもは悔しがります。それは、させてはいけない思いでしょうか?

 職員から出た意見は、「年長さんは、皆とび箱を跳ばせるが、跳べない子は無理に跳ばせないで、その子ができる、例えば、台の上からのジャンプなどを見せればいいのではないか」というものでした。また、保護者にしても「わが子の運動能力の発達を見るという点で、どのくらいのところができるのかを見てもらう方がいいのではないか」という意見です。確かに、普段の運動遊びでは、挑戦する運動は、年齢で決めるのではなく、その子ができるところに合わせています。では、運動会ではどう考えたらいいのでしょうか?そんな意見交換の場で、私はこんなことを投げかけてみました。「例えば、母親はわが子の運動神経が鈍く、運動が苦手であることを知っている。そのわが子が、年長児になっても跳び箱を跳べない。そんなわが子が、2歳児と一緒に台から飛び降りるのを見て、『こんなことができるのか』と感動するであろうか。または、同じ年長児と跳び箱を跳ぼうとして跳べなく、『やっぱりうちの子は、運動は苦手だ』と思うのと、どちらがいいと思うか?」

 私は、後者の方がいいと思っています。そして、「運動は苦手だけれど、何かを作るのは好きで、得意だ。」と考えることが必要な気がします。人はそれぞれ得意なものを持っています。その得意なものを見つけるためには、不得意なものを見つけることでもあるのです。そして、その得意なものには優劣があるべきではなく、社会にとって、それぞれの意味があるはずです。ということを考えられるような教育が必要です。戦争やバブルの頃など価値観が統一されている時代は、他人を優劣で序列してしまいがちです。ダイバシティーの時代では、それぞれの違いは、それぞれに価値があるのです。かけっこだけ、跳び箱だけで人を判断するのではないことがわかると、かけっこで順位を決めても、跳び箱と跳ばせても問題はないはずです。

運動会の考察9

私の園の種目は、昨日のお便りで保護者に伝えたように、午前中は基本的に「かけっこ」「個人競技」「親子競技」が行われます。「かけっこ」は、自ら移動する手段を獲得していく過程である、寝返り、ズリ這い、ハイハイ、伝い歩き、ヨチヨチ歩き、走る、リレーと見せていきます。そして、「個人競技」は、そのほかの運動能力を見せていきます。くぐる、登る、跳ぶ、転がる、バランスをとる、ボールやフープや縄跳びなど運動遊具を用いた運動を組み合わせ、その発達を見てもらいます。その発達の目安として、保護者に種目を書いたプログラムにポケットを付けて、そこに「発達のめやす」という表を印刷した別紙を入れておきます。

「発達のめやす」は、縦軸にはめやすの年齢が書かれていますが、どこからどこまでが3歳児という書き方ではなく、3歳児の上の方は2歳児と重なっていますし、下の方は4歳児と重なっていて、個人差を考慮します。横軸には、「歩く・走る」「巧技台・跳び箱・積み木(跳ぶ・越える)」「平均台・マット(渡る・転がる)」「ボール・縄跳びなど」とわけてあります。この表に書かれてある発達の姿は、できるだけ種目の中に入れます。運動会の当日の「個人競技」では、これらの内容を職員が子どもの様子を見ながら、テーマによるストーリーで並べていきます。これは、競争ではありませんので、一人ずつ出発し、一人ずつきちんと見せていきます。ただ、そうすると、時間がかかるので、その場には常に二人が何かをしているようにスタートします。

また、個人差を保障するために、例えば、平均台を渡るときに、幅の狭い板と広い板を用意し、その前に来た子に職員が、「どちらにする?」とか、ジャンプする台の前に来たら「高い方にする?低い方にする?」と聞いて自分で挑戦する方を選択させます。また、年長さんになると跳び箱を飛ぶのですが、その前で子どもが自ら、何段にするか、縦に置くか横に置くかを指示し、職員が急いでそのように並べ替えます。また、普段、その子がどのくらいできるかを把握して、その子に合わせます。年長児になると、その挑戦は、出来たとか、できないかだけでなく、自分が納得いくまでそこで何度も挑戦させます。そこで、職員は、その援助をします。それは、普段どのように運動遊びをしているかという過程を見せることであり、この後きっと飛べるようになるだろうということも思えるようにしています。運動会当日は、保育の結果ではなく、その時点での発達過程の紹介なのです。

ということは、運動会の種目は、普段の運動遊びの中で行っていることで、運動会のために練習するものではありません。ですから、土曜日に行われる本番の1週間前の水曜日に第1回の予行練習があるのですが、そこでは、普段行っている運動遊びを職員皆で見て、どれを本番の種目にするかを話し合う場でもあるのです。ですから、年のよって若干違いがあります。サッカーのシュートを見せる時もありますし、縄跳びを飛ぶこともありますし、雲梯を渡らせるときもあります。年度によっては、最後の種目は、子どもが自分の得意なものを披露するということもあります。

運動能力というと、他の場面でもそれを発揮するときがあります。たとえば、列を組んで歩くとか、音楽に合わせて歩くということも発達です。それを見せるために、音楽に合わせて、列を組んで入場します。ただ、その時に大切なのは、きちんとそろうことではなく、これからやるという緊張感と楽しみが入り混じった表現なのです。しかし、終わってからの退場は、やったという達成感と、それを親に見せたという喜びの気持ちの余韻を残すために、きちんと並んだり、音楽に合わせて退場ではなく、ワーッと思い思いに駆け足で退場します。その時の、子どもたちの晴れ晴れとした顔を保護者に見てもらいたいのです。

運動会の考察8

 私の園では、毎年、園の「テーマ」があります。そのテーマを切り口によって、子どもたちは様々な体験をします。そして、そのテーマに関係したことをいろいろと知る体験をします。そして、年に何回かある行事の味付けにそのテーマは活躍します。そして、そのプログラムの種目の題名に反映されています。ですから、その題名を見ると、その年のテーマがわかり、そのプログラムは何年度のものかがわかります。「森」がテーマの年の運動会のプログラムは、「あまいかおりにさそわれて」「まるまるもりもりおいしいあき!!」「わが子をたずねて三千里?in にこにこのもり」「もりのたんけんたい」でしたし、「風と光と」の年は、 「風になれ」「光になれ」「ひかりのせかいのぼうけん」「お日さまにむかってジャンプ」「パパ・ママおほしさまとって」「森をこえていこう」などで、「世界」がテーマの年は、「世界にむかって1.2.3」「世界ふしぎ発見!」「ちいさなせかい」「世界の車窓から」「地球の歩き方」といった具合です。
 また、行事によって、プログラムは工夫の仕方が少し違います。運動会のプログラムは、運動会というのは体を動かす行事ということで、動かす仕掛けのあるプログラムを作ります。子どもたちが運動するたびに、プログラムも動いていきます。19年度の運動会のプログラムは、園の周りを太陽が、開会式の時に上ってきて、プログラムが進むにしたがって太陽が天頂にのぼり、閉会式のあたりで沈むようになっています。その年のテーマは、「自然」だったのです。今年は、「森で遊ぼう!」ということで、森で昆虫採集している子どもが網で、プログラムが進行するにしたがって、いろいろな虫を捕まえていくというものです。また、プログラムは、当日だけ使用するのはもったいないということで、そのあとも何かに使えるものの年もあります。そのあと、写真立てになったり、牛乳パックで紙漉きで作り、そのあとハガキになったりします。それは、担当の職員のアイディアです。
 運動会の種目は、毎年決まっています。日々の保育の中での運動遊びは、年齢別ではなく、例えば3,4,5歳児が一緒に、それぞれができる運動をします。しかし、運動会当日は、運動の発達を保護者に見てもらうということで、年齢別に運動を見せていきます。その時の趣旨を、係からの運動会前の保護者へのお便りの第1号に書かれます。ある年のお便りは、こんな文面です。

 「子どもたちは運動会を目前に控えて、毎日楽しくはりきって体を動かしています。本園の行事は日頃の園生活の様子や発達の過程を見て頂いたり、家庭での育児の在り方を提案することを基本に置いています。運動会も同じ考えですので、演目として整える練習はしていますが、この日のためにことさら「見せる」練習はしていません。子どもたちは本来、体を動かすこと自体を喜びます。その楽しみの中で、自然と運動能力をつけていきます。当日は、基本的に日常生活のうちの、一人一人の運動面の発達を見て頂くと同時に、体を動かす楽しさを親子で味わってもらおうというのが趣旨です。そのため、運動会のプログラムは、最初ハイハイに始まり、立ち上がり、歩み、走るという人の運動の根幹をなす「かけっこ競技」からはじまり、個人的な運動能力の発達過程を見てもらう「個人競技」、運動を通して家族みんなで触れ合うことを目的とする「親子競技」からなります。走る、くぐる、登る、跳ぶ、転がる、バランスをとるなど、一人一人の運動能力の発達をじっくりとご覧ください。また、親子で走ったり、汗をかいたりする機会も少ないと思います。親子で思いっきり体を動かし、運動することの楽しさを知っていただけたら、と願っています。」

 この文章は、2年目の担当職員が書いたものです。きちんと趣旨を職員が理解しています。

運動会の考察7

 マグロの刺身のそばに、緑の葉とか、緑の飾り物を置くことが多いのですが、これは、色彩のテクニックで、マグロを新鮮な赤い色を際立たせるために、その補色である緑のものを置くという効果を狙っています。昔の人は、笹の葉を一緒に入れると腐りにくいとか、どの葉を入れるとその香りが付くからという実用的な理由と、色彩効果など心理的なことを経験から考えていました。

 また、少しでも歩くのが大変がっている人が、ボールを追って歩くゴルフなどでは、知らずに1日でずいぶん歩いているでしょう。距離を感じる度合いも、その環境によって違います。ヒトは、さまざまな環境によって、心理的にいろいろな影響を受けるようです。その影響は、一部は科学的に解明されてきていますが、人間の能力や感情などは複雑で、赤ちゃんのころからそんな能力を受け継いで生まれてくる不思議さを感じます。

 園で毎年行われている行事でも、その味付けによって子どもたちの楽しみが増したり、印象を変えることができます。いくらおいしいものでも、毎日それを食べていたら飽きてきてしまいます。そこで、盛り付け方とか、付け合せとか、ちょっとした工夫をします。行事にもそれが必要な気がします。それは、子どもだけでなく、職員にとって重要なことのような気がします。行事などのイベントは、その主催者がまず準備する楽しさ、当日の楽しさがなければ、子どもには楽しさが伝わりません。子ども保護者にとっては、初めての体験でも、職員にとっては毎年のイベントであれば、なんだか楽しさが減ってきてしまいがちです。そこで、工夫が必要ですが、だからといって、その行事の趣旨を変えたり、奇をてらったものは、かえって焦点がぼけてしまいます。あくまでも盛り付け方や付け合せを工夫する程度がいいでしょう。

しかし、それには、明確なその行事の目的が職員に周知されていなければなりません。その見直しと確認は、時間をかけて職員で話し合う必要があります。私の園では、行事の担当職員が、まずするべきことは、毎年、その行事の趣旨の確認です。ここで考えなければならないのは、よく言う「変えてはいけないものと変えるべきもの」との考察です。この時には、私も話し合いに参加し、園の理念を確認します。私は、「細かいことにでしゃばる」人はリーダーに向かないと思っています。園を運営するということは、自分が何を行うかではなく、他人を通してことを成すことです。自分が直接仕事をするのではありません。実際に仕事をしてくれるのは、実践現場の人々なのです。自分一人では何もできません。みんなの力を集めてはじめてことは成せるのです。そこで、自分が実践現場と同列にものを考え、実践現場がやるべきことに口を出しては、職員はやりにくく、自分の主体的な行動ができにくくなります。ですから、行事の前に、きちんと理念、趣旨の説明は私がしますが、そのあとのことは相談には乗りますが、あまり口を出さないようにしています。

そして、いよいよ具体的な準備にかかります。昨日のブログのような「かけっこ」を行うことは、毎年変わることはありません。しかし、その盛り付けは変えます。その時に役に立つのが、毎年のテーマです。テーマに沿て題名を考え、環境を考えます。例えば、今年のテーマ「森」の年のかけっこの題名は、0,1,2歳児は「森を目指して、いち、に、さん!」で、3,4,5歳児は「森を目指して、さん、し、ご!」です。そして、かけっこをするコースには、草むらの装飾や森の装飾をし、いかにも、子どもたちが森を目指してかけていくというイメージを作り、見ている人を楽しませます。

運動会の考察6

 行事について考察している途中で、ドイツに行くことになり、その考察は中断していました。園では、来週末には、運動会の次の行事である「お楽しみ会」があります。そこで、もう少し私の園の運動会の取り組みについて考察してみましょう。

 運動会の歴史を見ても、今と同じ競技の代表は、「かけっこ」です。生物は歩いたり、かけたりする種は多くあります。それは、移動する手段ですが、特に、速く移動しようとするときは、敵に追いかけられたときか、獲物や敵を捕まえようとするときです。ですから、ヒトも走るときには、敵から逃げる時、自然災害から逃げる時か、獲物や敵を追いかけたりしようとするときです。当然、その時には速いほど有利だったはずです。そこで、より速く走るために練習をしたでしょう。
 ヒトは、社会の中で生きていく生き物です。そこで、より強く、より速く、より上手になるためには、一人で練習するよりも、複数で練習した方が効果的な場合が多いのです。それは、お互いに競争することです。「かけることを競走しよう」ということが「かけっこ」という言葉になったのです。日本語で、接尾辞「こ」を動詞の連用形に付いて、互いに…する、互いに…して競争するなどの意を表すことがあります。特に子ども同士が「互いに…する」場合には「こ」をつけます。例えば、「背中の流しっ―」とか「にらめっ―」などです。そして、子どもなどが何人かで走って速さを競うことを古風な言い方では「駆け比べ」、普通に言えば「駆けっこ」というようになったのです。

 日本では、農耕が中心になり、獲物も鉄砲などの武器を使うようになると、それほど速く走る必要はなくなりました。走るのは、武士や飛脚などの専門職の人に限られていました。ただ江戸時代の走り方はだんじり走りと言って右手と右足、左手と左足を同時に出す走方でした。しかし、日露戦争以降、庶民も戦争に参加することになり、「走る」という行動を取るようになり、その訓練が始まり、競争が始まりました。それが、運動会の種目になっていったのです。同時に、戦争中は、早く走るだけでなく、長く走ることも重要になってきました。そこで、マラソンも種目になっていきました。

 一方、ヒトはほかの生き物に比べて大きな脳を持っています。それを支えるために直立歩行をします。生まれてから、直立歩行がきちんとできるように発達していきます。それは、歩こうとする行為の発達ではなく、歩き方の発達です。赤ちゃんは母親の胎内にいる時から歩こうとします。生まれてすぐから、赤ちゃんを持ち上げると「原始歩行」という歩こうとする足の運びをします。歩こうとする行為は生まれながら持っているのです。しかし、重力に対して自分の体を支える骨や筋肉、まっすぐ歩ける平衡性、腕を動かしてバランスをとる共用性などが次第に発達していきます。
 私の園の運動会では、「子どもたちの発達を保護者とともに確認し、成長した喜びを感じる」ということが一つの目的です。そこで、まず、子どもたちが次第に走ることができるような発達を見せていきます。それは、その子が、今どのくらいできるかということをみんなの前で披露します。一番小さい子は、真ん中に敷かれたマットの上で「寝返り」を見せ、その子によって、「ズリ這い」「ハイハイ」。そして、平均台を置いて、そこにつかまって「伝い歩き」、短い距離を「ヨチヨチ歩き」。そして、次第に長い距離をしっかりと歩けるようになり、腕を振り、まっすぐ走り、次第に負けすに走ろうとし、最後は協力して走る「リレー」を年長さんがします。

 このように0歳児から6歳児まで歩く、走ることという同じ観点から通して見ることによって、保護者はその発達を知り、わが子の発達を喜ぶことができるように、最初の種目が「かけっこ」です。

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人間は、社会を形成して生きていく生き物であることは、ブログで何度も取り上げましたが、その中で生きていくためには、社会の一員となる能力をつける必要があり、その能力は、社会という機能が重要になっていきます。ということで、こんなことが言われています。「ヒトの脳は、他者からの助けなしに発達することはできません。養育者か食べ物や身の安全確保してもらうだけでなく、絶え間ないコミュニケーションによってくりかえし情報を与えてもらい、他者について、社会について、さらにはその社会に特有な文化について、時間をかけて学ぶ必要があります。親などの養育者を初め、様々な他者とのかかわりがあって初めて、社会脳が発達するのです。」

 ヒトは、他の人とのかかわりの中で様々なことを学び、身に着けていきます。例えば、味覚は、他人がおいしそうに食べるのを見ることで豊富になることがわかっていますし、においの区別は生まれながらついていますが、いいにおい、嫌な臭いは、他人の反応の経験から学んでいくと言われています。ということは、例えば、テレビで、ある食べ物を「おいしい!」と言いながらおいしそうに食べている映像を何度も見ることで、おいしいかもと思い始め、そのものが好きになるはずです。ただ、本当に味覚を変えるには、そのモデルが、自分が信用している人とか自分が好きな人の方がその効果はある気がするので、全く知らない人がテレビでおいしそうに食べても影響は薄いかもしれませんが、もし好きな俳優がおいしそうに食べているのを見たら、かなり影響するでしょうね。

実は、そのような効果から、食品業界では、多額の広告宣伝費を使っているようです。アメリカでは食品業界の年間広告予算の4分の3以上がテレビ広告に注ぎ込まれているようです。中でもファストフードの広告が占める割合は95%にものぼるようです。これは、販売作戦としては非常に効果的である半面、子どもにとっては非常に危険なことだと思います。それは、子どもに食習慣や好みが発達しはじめる頃に、先回りをしてその存在感を印象付けようとするからです。そのために、アメリカでは、子ども番組の最中に宣伝を繰り返すだけではなく、人気アニメとコラボレーションしてさまざまな商品を開発したり、番組内に登場させたり、CMにキャラクターを登場させたりするのです。

子どものころに作られた味覚は、その後の生活の中の食の主流になってしまいます。それ自体が危険というよりも、食品業界が売りたい商品というものは当然利幅の大きいものです。儲けが多い食品は、肥満につながる商品や間食を推奨するといった肥満の原因となるような食べ方に関するものだといわれています。それは加工度が高く、高カロリーな食品ほど、利幅が大きくなる傾向が強いからです。ですから、宣伝されている多くは、コンビニ食品かファストフードか、甘いお菓子かのいずれかです。

いま、アレルギーを起こす食材と離乳食との関係を調べていますが、同時に、テレビからCMで流れてくる食材と、その後の子どもたちが好む食材との関係も調べる必要があるようです。日本では、まだそれほど問題になっていませんが、平均的なアメリカの子どもは2歳までに朝食用のシリアルを好むようになり、3歳から11歳までの年齢層ではスナック菓子とデザートを好む子どもが全体の24%、キャンディを好む子どもが全体の17%にのぼるという。一方で果物や野菜を好む子どもはわずか3%しかいないと言います。その結果、アメリカでは2000年に7人に1人の子どもが肥満に分類され、肥満成人の割合は体重超過とあわせ47%にも達してしまっています。

実際の他の子どもたちの食べている姿を見るよりも、テレビの中で作られた子どもの食の姿を見る機会が多いのは、問題です。

来年のキーワード2

 年末が近づくと、今年の重大ニュースとか、今年の流行語とか、レコード大賞など、様々な分野において、今年に話題になったことが表彰されたりします。また、来年、どのような年になるのか、来年何がはやるかなど、次の年のことが話題になります。それは、乳幼児教育においても、どうなるか心配する言葉をよく聞きます。そのような話題の中で、私が、「もし来年の保育におけるキーワードは何か?」と聞かれたら、「インクルージョンとダイバーシティー」ではないかと思っています。それは、「多様性を包括する」というような意味で、子どもたちを、ソーシャルネットワークの中で育てる必要があるということです。

 そして、ダイバーシティーという多様性は、地域の様々な人たちの中で育てられるということと、子どもたちの多様性を認め合うこと、その中に、男女、障害児、年齢など外から見える違いで子どもを判断せず、一人一人の特性を認め、それを生かし、社会の一員として自立していくことを目指します。これは、今後多国籍の子が増え、グローバルな時代になり、様々な生き方をする人が多くなっていきますので、この観点はますます必要になっていくでしょう。また、この観点は、生活の質を高め、豊かな生活を営み、成熟した社会を構築していくことになります。

 そのために必要なのが、「イノベーション」なのです。ドラッカーは、イノベーションの七つの機会として、「予期せぬ成功、予期せぬ失敗、予期せぬ出来事。」「ギャップを探す。」「ニーズを見つける。」「産業構造の変化を知る。」「人口構造の変化に着目する。」「認識の変化をとらえる。」「新しい知識を活用する。」という七つを挙げています。これらは、保育界で行われようとしている「幼保一体化」において参考になります。幼保を一体化しようとしたときに見えてくる保育の本質や子どもにとっての意味、しかし幼保におけるギャップはなんなのか、どうしたらそれを埋めることができるのか、そのために、子どもたちが今求めていることとはなんなのか、それを支えるシステムはどうあるべきであるのか、そして、少子高齢化社会は、子どもたちの環境を劇的に変化させます。その変化をきちんと認識しないと、新しいものへの変化を躊躇してしまいます。そのためには、認識も変えなければなりません。その認識は、現状に危機感を感じなければなりません。ドラッカーは、この「認識の変化を捉える」とは、コップに水が二分の一入っている状態を、「半分入っている」から「半分空(カラ)である」に変わる時、イノベーションが生まれると言っています。半分空だと認識することは、何かが足りない、不十分だと思うことで、そこにイノベーションの機会が生まれるというのです。

 そして、それを実現するためには、新しい知見、知識が必要になります。古い文献ではなく、様々な分野における新しい知見を総合的に判断する能力が必要になります。そして、その知見は、実践の中からの姿を裏付けるものでなければなりません。よく、保育の科学的知見とか、脳科学からの考察ということがありますが、それは、脳科学から保育するのではありません。

 現場における子どもの姿を見ると、変えなければと思うことが多いのですが、なぜ、変えることに不安を持つのでしょうか。

来年のキーワード

 先日、ある市の市議会議員さんの勉強会で、ある市議さんにこう質問されました。「これから、時代が変化していく中で、どうしたらよいか?」という質問です。その質問に対して私は、「時代を読むことはできない。ですから、自ら時代をつくり、それを発信していったらどうか。」と答えました。それは、P・F. ドラッカーの「チェンジ・リーダーの条件―みずから変化をつくりだせ! 」という本に書かれていることです。この本には、「今日のような乱気流の時代にあっては、変化は常態である。変化はリスクに満ち、楽ではない。悪戦苦闘を強いられる。だが、この変化の先頭に立たないかぎり、企業、大学、病院のいずれにせよ、生き残ることはできない。急激な構造変化の時代にあっては、生き残れるのは、自ら変革の担い手、チェンジ・リーダーとなる者だけである。したがって、このチェンジ・リーダーとなることが、あらゆる組織にとって、21世紀の中心的な課題となる。チェンジ・リーダーとは、変化を機会としてとらえる者のことである。変化を求め、機会とすべき変化を識別し、それらの変化を意味あるものとする者である。」

 このような意味からすると、キーワードは、「イノベーション」ということになるのでしょう。「いかにして新しい価値を創造するか」ということが来年の課題になりそうです。イノベーションということについて以前ブログで取り上げましたが、今、保育界では、乳幼児教育を学校教育に組み入れるか、児童福祉として守るかという岐路に立っています。私は、どちらに組み入れるかというのではなく、新しい「乳幼児教育」という新しい価値を創造すべきだと思っています。乳幼児期に大切にするべき教育は、学校教育でもなく、児童福祉でもなく、その時期だけで大切にするべき教育があるはずです。それを制定するのはまだ早いということも言われていますが、それどころか、今がその時期であると思っています。一体化や、引っ張り合いをして、守ろうとする労力を、創造することに使うべきだと思っています。

 ドラッカーは、『イノベーションと企業家精神』(ダイヤモンド社刊)の中で、「企業家はイノベーションを行う」と規定し、イノベーションとは、富の創出能力を増大させるものであり、「供給に関わる概念よりも需要に関わる概念、消費者が資源から得られる価値や満足を変えることと定義することができる」と言っています。これを今の保育界に当てはめ考えてみると、供給に関わる概念というのは、園側にとっての補助の在り方、制度、システムなどを検討することからその存続を考えるということです。そうすると、どうしても改革は避けようとします。今まで、何となくうまくやってきたのに、どうして 変えるのか、変える必要があるのか、変えたらどうなるのかという疑問や不安が生まれ、それは、他から与えられる結果であることが多いので、どうしようもなく、変えることに反対することになります。

 しかし、変えることを前提にせず、今利用している子どもには、どのようなことが求められているのか。今までどのような結果を生んでいるのか、どのように時代が変わってきたことで、子どもたちの環境がどの様に変化し、その変化によって、どのようなことが新たに必要になってきたかをきちんと検討していきます。それが、需要に関わる概念となります。もちろん、ドラッカーはイノベーションを供給側、需要側のどちらの概念で捉えるかはケースバイケースだと言っていますが、新しい需要、市場を創造するものという考えが強いようです。