ドイツ報告2012-8

 ドイツにおける「陶冶」という概念は、日本で思うほど人格形成ではなく、かなり教育的要素が強い気がします。というよりも、人格形成には、文字・数・科学などの体験が必要だと思っているようです。日本における人格形成というと、どうしても道徳という心の問題であるかのように思われがちですが、それには、自己を主張する言葉の力、論理的に考える科学の力、生まれてすぐに赤ちゃんが学び始めると言われている数の力を学習するのです。そのために、園には、学びの部屋とか、学びのゾーンが用意されていて、子どもたちは、いつでもそこに行って、体験できるようになっています。



この部屋やゾーンの話は、毎年ブログでも紹介しているのですが、今回、クレバータイムという時間帯が週1回ある園がありました。そこでの教材を見せてもらったのですが、まず、ノートに鏡の絵が描いてあって、そこに自分の姿を書き込みます。次に、家の形を描いたページの窓窓に家族の顔を書き込んでいきます。いろいろなことを学ぶ中で、まず自分を理解し、少しずつ周りの人を認識していきます。日本でも、小学校に入ると、生活では、目標に「自分と身近な人々,社会及び自然とのかかわりに関心をもち,自分自身や自分の生活について考えさせるとともに」ということが掲げられており、まず、自分を認識し、次に身近な人を認識するとあります。内容にも、「家庭生活を支えている家族のことや自分でできることなどについて考え」とあるように、家族の認識もとても重要なことです。突然、世界を学習するのではなく、まず、自分、そして家族、そして学校で働く人々、そして地域の人というように、子どもたちの世界を広げていきます。そんな基礎を就学前で行うのです。

もう一つ、幼少連携として、面白い取り組みを見ました。PISAの学力調査でもドイツの子どもたちの言語能力の低さが指摘されました。それは、多国籍の子が多くなり、言語的に困難な子が多くなったことが主な原因ですが、言語能力が低いと小学校に行ったときに、どんな科目をするときでも言語で教科書が書かれ、黒板には言語を書き、教師は言語を使って話をするために、就学前での言語教育必要性が指摘されました。そこで、3年間を限度に、就学前の子どもたちを対象に言語教育を年240時間行うことになりました。そのうち、120時間は就学前施設で行い、120時間は、小学校が受け持ちます。もちろん、ドイツ語が完璧である場合は受けなくてもいいそうですが。

この仕組みの面白いのは、就学前施設と、小学校と半分ずつ受け持つという点でしょう。もちろん、就学前施設が受け持つということはよくある話ですが、小学校の先生が、就学前の子を教えるとは驚きです。その内容は、就学前施設では、本の読み聞かせとか、言語指導に直接かかわるものですが、小学校の先生は、小学校に入学してから必要な力を教えます。例えば、クラス授業のために必要条件である鉛筆の持ち方、行動の仕方などを教えるようです。

この取り組みは、もともとはミュンヘン市から行われたものですが、小学生の学力調査の結果、ミュンヘン市が読解力において非常に高かったため、その試みが評価され、全国的に行うようになったようです。しかし、実際は、その取り組みをしているところが少ないようで、その一つには、ただでさえ保育者不足であるのに、3年を限度にそのような職員の確保が難しいこと、小学校側でもそんなことをする余裕はないということのようです。週3時間も各施設が確保しなければならないので、いくら机上でいいとわかっていても、実現が難しいのは、どの国でも同じですね。

ドイツ報告2012-8” への6件のコメント

  1. ドイツ研修お疲れ様でした。研修自体は終わっても、しばらくはドイツの報告が続くと思われるので、ドイツへ行けなかった私の研修はまだまだ続きます。ありがとうございます。
    学びの部屋、学びのゾーンはまだまだ続いていくんですね。やはりそこは大事な部分との認識なんでしょう。そして、まずは自分から認識していき、そこから世界を広げていくクレバータイムの取り組みも、やはり大事なことだと思うので少し手をつけてみようと思っています。とにかく実践が具体的なところが非常に参考になります。時間がなく人の問題もあったりしてなかなか前に進んでいかない現状のようですが、打ち出される方策はドイツらしいと感じました。とにかく具体的な実践は大事だということで、やっていくことは変わりません。

  2. 漠然とではありますが、陶冶とは、教育や養護のような教育者の行為をいうのではなく、子どもが生まれてから家庭や地域や教育施設の中で、人や物や場という環境との相互の関係を通して、人間として成熟していく過程(状況)を指すもののように思います。

    ≪胎児から新生児を経て一生にわたる発達の過程は、感情、記憶、社会性、思考、ことばをはじめ、多種多様な心の働きがお互いに連携しあい、心の働き自体も変容しながら、新しいことができるようになっていく、熟達の過程でもある。≫(「心と脳」安西祐一郎著)

    安西先生は、認知科学の視点から、人間とはいかにあるべきかを理解するために「五つの人間像」をイメージしています。
    ?「コミュニケートする人間」共感する心で、社会の中で他者との絆をつくる人間。
    ?「感動する人間」心と体を揺さぶるような感動を味わうことのできる人間。
    ?「思考する人間」堅固な知識、豊かな経験を持ち、それにこだわらない柔軟性を持った人間。
    ?「熟達する人間」ある領域の技能(スキル)を自分のものにできる人間。
    ?「創造する人間」類まれな集中力と曇りのない眼で新しい知識や発見を創造できる人間。

    先進的なドイツの陶冶の試みも参考にしながら、「五つの人間像」を日本の陶冶の保育で実現してきたいものです。そうすれば、iPS細胞の山中教授のような世界に誇れる日本人が数多く誕生して、世界を変えてくれるはずです。

  3.  なかなか文字数、科学の実践を行うにあたって、どういう風に子どもに達に伝え、教えるのか迷う部分が多々あります。おそらく環境を用意する事で子ども達が自分から遊ぼうとすると思うので、難しく考える必要はないと思いますが、やはりドイツでの実践は参考になる事が多いですね。保育園での言語指導と言われるとピンときませんが、絵本や紙芝居の読み聞かせが言語指導となると、いかに私達は慎重に読む必要があると思いました。子ども達を見ていると先生の読み聞かせを食い入るように見ています。それだけ集中して聞いているのだから、やはり間違った言葉を使わないで読み聞かせをする事が重要のような気がします。それよりも言語指導を小学校と就学前施設と半分ずつ受け持つという仕組みは画期的な考えです。どうして言語指導を始め文字数もそうですが、就学前に完璧にしてきてくださいと言われると思います。それを、言語教育の決められた時間を分けることで両方の施設も目的が明確になり、指導もしやすいですし、もちろん子どもにも負担がかからないと思います。

  4. 幼保小の連携をとることはドイツでも行われているんですね。その考え自体が画期的だと思いますし、そこでお互いの情報交換もできるのかもしれません。いかにもお互いのいいところや分野を活かすというのはマイスターの国という風に思います。また、人格形成というものの捉え方が日本とは少し違いますね。確かに日本はどちらかというと心の問題として受け止めることが多いですし、自分自身そういうように思っているところはありました。しかし、そこには論理的思考や自己主張すること、数の認識などおおよそ日本では出てこないことが取り上げられていますね。不思議に感じましたが、そのあとの文章を読んだとき、そこには近くの世界を認識することから自己認識や他者認識に徐々に広げていき、世界を広げていくとあったので納得しました。そのために人格形成にはこういった学びがあるからこそ、体験し世界を広げていくのかもしれません。「学び」という捉え方も日本とは少し違いますね。新しい発想が多いです。

  5. 日本の先生方は、「人格形成」をとかく「道徳」と結びつけたがるような気がします。そして「道徳」は安易に「心の問題」に結びつけて考えられがちです。そして「思いやり」や「結びつき」、「もったいない」「もてなし」などなど、がすぐに前面に出て、教科主義の環境の中で押し付け強制される傾向があります。その点、ドイツにおける陶冶Bildungが同じく「人格形成」のことであっても、容易に「心の問題」に結びつかないのは、うらやましいですね。「自己を主張する言葉の力、論理的に考える科学の力、生まれてすぐに赤ちゃんが学び始めると言われている数の力」を陶冶の要に置いているところは流石です。言葉、論理的思考、数、これらの適切な習得が適切な人格形成に繋がっている例を私が知る欧米人から観取することができます。「論理的に考える」結果が「クレバータイム」の設定でしょう。「自分、そして家族、そして学校で働く人々、そして地域の人というように、子どもたちの世界を広げていきます。そんな基礎を就学前で行うのです。」この広げ方は自然でしかも論理的です。この自然でしかも論理的な方法を私たちも見習う必要があると感じました。確かに、ドイツのPISAにおける読解力の低さは私の目にも意外なものとして映るのですが、「移民」の子たちの学力が反映されている結果、とわかるとさもありなん、です。しかし、PISAは小6とか中2とかの学力反映ですから、その後の「のびしろ」みたいなものはどうでしょうか。最近は大人の調査も行われているようですが、ミュンヘン市の取り組みを観ている限りでは、自分たち日本のほうを卑下したくなる実態があります。社会をどう作っていくか、という視点は大人になって以降明らかになっていきます。社会づくりは、その社会に夢や希望を持たないと作れないと思います。その意味で、私たちは子どもたちが自分たちの社会に夢や希望を抱き、その社会のために、そしてその社会と共に、生きていこうという心情意欲態度が求められるのだろうと思います。

  6. 「突然、世界を学習するのではなく、まず、自分、そして家族、そして学校で働く人々、そして地域の人というように、子どもたちの世界を広げていきます。そんな基礎を就学前で行うのです」という文章がありました。何となく、自分の小学校一年生の時の学びがそんな感じだったのを覚えています。そして、まず自分そして自分の周りの人やモノについてという部分は、保育でも同じですね。
    また、言語教育を120時間は就学前施設で行い、120時間は、小学校が受け持つという取り組みがあったのですね。この文章を読んでも、保育施設と小学校の連携が大切なことが分かります。しかし「職員の確保が難しいこと、小学校側でもそんなことをする余裕はない」ということで、質の良い保育や教育には大人に余裕があることが必要だと感じました。

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