ドイツ報告2012-3

 昨日の午前中は、0歳から6歳までのコープ(コーポレーション)の見学でした。ミュンヘンでは、一昨年までは、学校局管轄の3歳から6歳までのキンダーガーデン、0歳から6歳までのコープ、生活局管轄の0歳から3歳までのキンダークリッペと局は二元化でしたが、昨年一体化が行われたと昨年報告しました。しかし、一体化の形はよくわからなかったのですが、今年は少しはっきりしました。局は、「スポーツ、陶冶局(Referat f〓r Bildung und Sport)」という名前になり、そこに幼児施設は組み入れられました。そして、コープは、日本語訳では、「子どものための家」という名前になりました。

 ドイツの乳幼児施設が、長らく「保護」の施設として捉えられてきたことから、「教育」的要素を加えることになってきた経緯、また、教育の捉え方の経緯はとても興味深いものがあります。それが、ドイツ独特の捉え方の「陶冶」という考え方です。この考え方をとらえるために、私は毎年ミュンヘンを訪れていると言っても過言でないくらい、わかりにくい概念です。ある時は、非常に教育的であったり、そうではなく、人格形成を重視しているように見えたり、社会教育的であったりと、どうも、ドイツ人でも解りにくいようです。そのわかりにくい陶冶を使って、「陶冶局」という名前で一本化をしたのは、それを大切にしているのでしょう。

 陶冶と訳されるBildungという語が初めて登場したのは、古く14世紀だと言われています。その言葉はもともと宗教用語でしたが、フンボルトが教育学の概念として「人は、自らの中にある様々な力を発揮させることで、人として形成されていく。」としました。そして、そのような力の発達を促すきっかけとして「自分の外にある客観的な世界について知り、それを学ぶことを通して人は、自分の中にある様々な力を発達させることができる」という「世界の習得」であるとフンボルトは強調しました。そして、様々な力の「調和的発達」が必要であるとしました。それは、「諸力がそれぞれに発達するのではなく、それらが均衡して調和的に発達することが重要なのであり、そのような発達を通して、人はいわば、より高い段階の自己へと形成される。」このような自己形成のダイナミックな過程を、フンボルトは、「陶冶」と呼んだのです。

 しかし、レーベンという人が、陶冶概念を解釈しなおします。フンボルトが提唱した「世界の習得」を「子どもが様々な経験や行為を通して“世界の像”を作ることであり、同時に、この世界の一部としての自己自身の像を造ることである」としたのです。そして、「世界の像を造るというとき、その像は単純に世界の写像ではなく、子どもの構築したものである」としました。すなわち、子どもたちが日々保育施設において様々な経験や活動を通して自己形成していくプロセスを、「世界の習得」のプロセスとして捉えたのです。

 では、この時の保育者の役割とはどういうものなのでしょうか。それをレーベンはこう考えました。「保育者が子どもたちの活動を予測し、準備した環境を想定してみる。そこにおいて、子どもたちは、日々、準備された様々な事象、自然や人為的に作られたもの、芸術作品や日用品などと自分たちなりに関わり、そしてそのかかわりを通して子どもたちなりの世界についての像を創るような活動」ということで、保育者によって整備された環境が必要になり、子どもたちが世界のどのような事象に注目し、そこからどのような像を構成していくのか、そして、その活動を促すためには、「テーマ課題が重要な役目を果たすtレーベンは考えました。このプロセスこそが、「陶冶」であり、それが成立するために、保育者の働きかけが必要となり、それを「教育」としたのです。

 もしかしたら、秋田先生などは、「保育」を「教育」と分けて、「陶冶」に近い意味で使っているのかもしれません。

ドイツ報告2012-3” への7件のコメント

  1. 見守る保育とは、『子どもが欲していることを「やってあげる」のでなく、かといってただ「見ている」のではなく、ひとりひとりの子どもの発達過程をしっかりと「見て」、しっかりと「守る」、そして発達に応じた適切な援助をする』ことです。子どもたちは、保育者が用意した環境(時には保育者が環境そのもの)との関わりによって発達が促される実証的な試みが新宿せいがをはじめ、多くのGT園で展開されているのです。それはよくある初歩的な認知的教育ともしつけ的な社会的教育とも全く趣を異にしています。レーベンの言う陶冶のプロセスは実は藤森先生の提唱される「見守る保育―MIMAMORU」にかなり近いのではないかという思いがしてなりません。見守る保育は、教育と養護を調和的に包含した日本の「陶冶の保育」だと思います。

  2. 陶冶という言葉にはずいぶん前に出会っているのですが、あまりの奥の深さにまだまだその意味を捉えきれずにいます。わかったと思ったらまた次の意味が現れてきますし、だからといって分からないままにしておいていい考え方ではないと思うので、余計にやっかいです。でも、保育と教育の言葉の意味について、いろんな人がいろんな解釈をして、そのこともあってか制度がどんどんわかりにくくなっている現状を考えると、まだ十分な理解ができていない言葉ではありますが、陶冶という言葉を使うところから共にスタートしていく方法もあるんじゃないでしょうか。その意味をみんなで考え見つけていく過程に教育や乳幼児教育のめざす形があるようにも思うのですが。

  3. 「陶冶」という子どもたちが日々保育施設において様々な経験や活動を通して自己形成していくプロセス。

    普段あまり聞き慣れない言葉だけに理解するのがとても難しく感じましたが、その活動を促すための保育者の役割が「子どもたちの活動を予測し、準備した環境を想定し、子どもたち自らがそのかかわりを通して子どもたちなりの世界についての像を創るような活動」という環境を作ると言うことで、見守る保育とのつながりを感じイメージをしやすく感じました。

    「子どもたちにとってよい保育」に求められるものは変わらないものなのですね。

  4.  藤森先生の講演の中で「陶冶」=人格形成という話しを聞きましたが、実際にドイツでは陶冶という考えをどういう風に捉えているのか、今回のブログで理解できました。そもそも陶冶という言葉の語源は宗教用語からきている言葉でフンボルトがそれを教育概念として捉え、自己形成の過程を陶冶としていますが、レーベンが陶冶の概念を更に解釈しなおし「世界の像」おそらく自分は世界に一人しかいない、そんな自分を磨き上げ、形成していく、おそらく二人とも根底にある考えは一緒のように思いますが、「世界の習得」のプロセスというのは、やはり子どもは保育室や散歩に出かけたとき、様々な体験から、多くの事を学び、世界に視野を広げ、またテーマを決める事で、それに沿ったカリキュラム等を考え保育する事でより保育に深みを与え、もちろん子どもの興味関心を引き出します。この一連の活動を「陶冶」と呼ぶのであれば、実践している「見守る保育」は同じ方向に向いているのですね。

  5. 「陶冶」という言葉はドイツの保育では切っても切れない言葉ですね。あまり聞着なれない言葉なので、なかなか意図がまだ、整理されず、理解できない部分もありますが、今回のブログで少しずつ紐とかれたように思います。初めは宗教用語で、そこから教育概念に移ってきたんですね。フンボルトの言葉はとても感銘を受けます。世界を自ら認知し、そこを通して自己発揮するという「世界の習得」の概念やそれぞれが均衡して調和的に発達することが重要とされること、今見守る保育を学んでいくうえで、とても近しいかんがえだと思います。こういった環境を大人が考えていくことが保育につながるのだと思います。とても考えが難しいながらもその始まりがシンプルな言葉で出てきたように感じます。まだまだ、その深さや十分な内容は理解できていないと思いますが、少し自分のかんがえが整理されたように思います。

  6. ドイツミュンヘン市の「社会局」と「教育局」が一緒になった「陶冶局」とは実に見事なネーミングだと感心しておりました。Bildung陶冶は人格形成という私たちの一生の課題を端的に表す概念として私自身は解釈しております。まさに「形成する」「像をかたちづくる」です。そしてそれが単なる構築形成と異なるのは、さまざまな経験や体験、あるいは学習や見習い、によって私たちの内なる魂である人格を内的外的双方において作り上げていくからでしょう。その意味で、educationがその原義として持つ「引き出す」という概念を包括して引き出しながら形成していくことが「陶冶」という二字熟語に訳されるBildungだと思っています。フンボルトやレーベンの学説を今回のブログで紹介されているわけですが、見守る保育の名で提唱されている乳幼児教育に考え方が一致していると言っても過言ではありません。Bildungの概念史も見守る保育という考え方を証明してくれています。

  7. ドイツの乳幼児施設の、「保護」的要素に「教育」的要素を加えることが、ドイツ独特の捉え方の「陶冶」という考え方であり、わかりにくい概念でもあるのですね。「保育者が子どもたちの活動を予測し、準備した環境を想定してみる。そこにおいて、子どもたちは、日々、準備された様々な事象、自然や人為的に作られたもの、芸術作品や日用品などと自分たちなりに関わり、そしてそのかかわりを通して子どもたちなりの世界についての像を創るような活動」と書いてありました。保育者が整備した環境を提供し、その中で子どもたちが自分たちなりに関わりながら、遊びの中で学んでいくのですね。陶冶について、まだまだ分からないことが多いので学んでいきたいと思いました。

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