発想

 戦後、さまざまなものが考案され、今では普通に使われているものがたくさんあります。しかし、そう簡単な話ではなく、最初はずいぶんと抵抗に遭います。なかなか認めてもらえません。しかし、考えてみれば、みんな簡単に受け入れるようなものであれば、誰でも考えつくものであり、誰かが考えそうなものです。しかし、最初は多くの人に受け入れてもらえず、認めてもらえないものだからこそ、オンリーワンの物なのです。また、それこそが新しい時代の開拓者なのです。しかし、問題はそれだけではありません。もし、そのものが多くの人に認められ、受け入れられ、いいものであるとなると他にも似たようなものがつくられていきます。

 日本では、なかなか受け入れてもらえなものは、日本の伝統、しきたり、つながり、そんなものがいいものを排除します。そんなときには、海外で認められて、日本でも認められることがあります。よく、それはブーメラン効果ということがありますが、その良さは、外部のほうがその価値がわかるということがあるのです。しかし、その価値が崩れるのも、海外からということもあります。昨日、ブログで取り上げたビニール傘がそうでした。

 アメリカニューヨークで飛ぶようにして売れたビニール傘は、60年代後半、最先端ファッションとして国内でも人気を集めていきます。国内での人気は、週刊誌が「修学旅行生の土産に、色とりどりのビニール傘が銀座で人気」と取り上げたことだという説や、テレビが「銀座で透明傘が流行中」と紹介したことだという説があります。そこで、国内メーカーが相次いで参入し、最盛期は約50社が生産していました。この時のビニール傘は、安価で手軽であるという人気でなく、1本1800?2800円くらいと高級品でした。

 しかし、値段を安くしようと、アメリカ向け輸出品の組み立ては、関税がかからないため、台湾に拠点を置いていたため、技術が流出してしまい、米国輸出が現地業者に奪われてしまいます。そして、80年代には、日本への輸出攻勢が始まり、激しい価格競争にさらされていきます。その中で、国内メーカーは淘汰されていきます。

 価格を下げようとしても、生産工程は完全自動化できなければ、人件費を下げるしかありません。というのは、品質や、流行で勝負しようとしても、透明のビニール傘は、そんなものに左右されません。生産コストの差がそのまま価格差になってしまうからです。そこで、生産地を台湾から中国に移し、100円傘まで登場します。そして、コンビニなどでの販売が中心になり、昨年は620万本を輸入したそうです。

 こんなどこにでもあるビニール傘ですが、実は様々な取り組みがあるのです。たとえば、現在、自社工場を持つ国内メーカーはホワイトローズ1社だけですが、品質で勝負をします。グラスファイバーの骨で軽さと強さを両立させることに成功し、街頭演説の候補者を雨風から守る選挙用の傘、雨中で読経する僧侶専用の大型傘、昨秋の園遊会では、美智子皇后が差した女性専用傘など、高級路線に特化して生き残りを図っています。

 また、2007年に始まった東京・渋谷で「シブカサ」は、コンビニなどに放置されたビニール傘を無料で貸し出し、返せば提携店で使える50円の割引券がもらえるという取り組みを始めています。同じように、関西空港や広島市、金沢市などにも無料貸し出しサービスがあるそうです。

 朝日新聞の「どらく」という記事は、最後にこう締めくくっています。「大量生産・消費の申し子であるビニール傘は、所有から共有へという新しい流れを生み出している。」

 発想の転換ですね。