新しい視点

 最近は、晴れているかと思うと、突然とどしゃぶりの雨が降ることがあります。天気予報では、「所により激しい雨が降ります。」とか「局部的に、雷を伴った大雨が降る可能性があります。」という予報があったときに、はたして自分がいるところは、雨が降るだろうかと迷うことがあります。それは、最近の雨は、本当に局部的であることが多く、少し場所が違うだけでも天気が違います。そんな天気の時には、傘は持って行くでしょうか?

 私は、基本的に、どのかばんにも、いつも傘が入っています。ですから、いつも持つかばんの数だけ折りたたみの傘があります。また、職場には、折り畳み傘と長い傘と両方置き傘として置いてあります。ただ、だからといって、私は濡れることはそれほどいやでなく、少しぐらいの雨では、傘を持っていてもささないことが多いのですが。
しかし、若い人は、わりと傘を持っていない人が多いようです。必ず、今日は降るであろうという日でも、出かけるときに降っていなければ、傘を持ちません。では、雨が降ったときにどうするかというと、すぐにコンビニに寄ってビニール傘を買います。職場の置き傘の傘立てには、ビニール傘でいっぱいです。また、雨風が強い日の翌日は、骨の荒れたビニール傘が町に散乱していることがあります。ビニール傘は、その値段の安さから使い捨てのイメージで、造りも粗末で、すぐに骨が折れるとかしてしまいます。しかし、ビニール傘は便利なことがあります。それは、透明なので、前にかぶせても前が見えますし、花火など何かを観戦しているときに、雨が降ってきたときにビニール傘だと視界をそれほど遮らないで差すことができます。

そんなビニール傘ですが、実は、おしゃれな高級品だったのです。その開発には、こんな経緯があるのです。1721(享保6)年に江戸で創業された傘問屋「武田長五郎商店」(現・ホワイトローズ)の9代目、須藤三男さんは、終戦後4年たって、シベリア抑留から帰国します。しかし、終戦からだいぶ経っているので、傘屋を再開しようとしても、すでに販路は大手に押さえられ、商売の本格再開はままならない状態でした。そこで、他の人と同じものでは売れないと思い、須藤さんは独自商品の開発・生産を模索していきます。そんなときに出合ったのが、進駐軍のビニール製テーブルクロスです。このテーブルクロスを見ていて、当時の傘布は綿が主流で、雨で色落ちして着物を汚すのが難点だったために、「完全防水のビニールで傘を覆えばいい」とひらめきました。

しかし、問題があります。綿ですと貼り合わせるときに縫えばいいのですが、ビニールではどうすればいいのか分かりません。面と同じように糸で縫うと、ビニールの穴から水が漏れてしまいます。そこで、ビニールは高周波加熱で溶着するらしいと聞いて、専門メーカーに専用機械を開発してもらい、53年、傘カバーとして発売したところ、大ヒット商品となりました。しかし、商品は次々と開発されていきます。50年代後半になると、ナイロン地の傘が世に出ると、今度は色落ちの心配が消えて、傘カバーの販売が急減してしまいます。そこで今度は、ビニールで傘そのものを作ることを思い立ちます。

このときに完成した第1号は、透明ではなく乳白色でした。しかし、すぐに参入は難しく、布傘のライバルとして問屋に扱いを拒まれてしまい、売り上げは伸び悩みます。そこで、須藤さんは傘屋さんではなく、傘を扱っていなかった東京・銀座のアパレル店などに委託販売を持ちかけました。そんなとき、東京五輪で来日していた米国人バイヤーが「ニューヨークで売りたい」と言い出したのです。冬に雨が多いニューヨークでは、肩まですっぽりと入る「鳥かご型」の傘が好まれ、透明な方が見通しがきいて便利だと評価されたのです。須藤さんは寒暖にかかわらず硬くも軟らかくもならない専用の透明素材をメーカーに開発させ、64年、今にいたる透明傘が誕生します。すると、ニューヨークで飛ぶように売れました。

やはり、ちょっと違った視点から物をみる、観点を変えてみることが必要ですね。