要求

 二者関係といわれる、母親と赤ちゃん、父親と赤ちゃん、養育者と赤ちゃんのかかわりについてかなり研究されています。かかわる場面は、その要求においていくつかに分けることができます。その一つは、生理的要求です。この要求に対しては、二者関係で解決されることが基本です。ですから、この要求にこたえる時の応答的な、会話的な関係性を論じることは意味があります。お腹がすく、眠くなる、暑すぎるなどの状況がおきたときは、身近な大人にその要求にこたえてもらおうと訴えかけます。そして、身近な大人はそれにこたえるわけです。

 このように整理すると、すぐにわかることですが、初めに赤ちゃんからの要求があります。ということは、この要求において、赤ちゃんの能動的な行動です。かつて、生理的な要求にたいして、それにこたえるという行為を「養護」と言っていました。その養護の意味として「世話する」とか、「面倒を見る」というような大人からの行為であり、赤ちゃんにとっては受け身であると思っていたことがあります。それは、赤ちゃんはやってもらうわけですから、その関係においては受け身なのですが、実は、最近、かなり能動的であるということがわかっています。しかし、その訴えは、非言語コミュニケーションを手段として赤ちゃんは、泣くということだけでなく、様々な手を使います。笑顔を見せてかわいく思われようとすること、しぐさをかわいく見せようとすることなどは意識せずにおこなっているようですし、時には、わざと泣いて見せるとか、わざとふざけたり、時には大人をからかっているかのような行動をすることがあります。赤ちゃんってすごいですね。

 そんな赤ちゃんが、探索、探究要求をすることがあります。その時の対象は、近くの大人ではなく、周囲に広がるすべての世界に能動的に働きかけます。この時に、まさに「子ども自ら環境に働きかけ、その環境との相互作用により発達する」ということです。しかし、この言葉は同じでも、幼児と乳児では働きかける動機が違う気がします。幼児期では、何かをきっかけとして、そのひとつは、過去の経験から、他人のしていることから、目についたものから、それらを思い出して、ある目的を持って環境に働きかけようとします。あれをやった時に面白かったから、もう一度やってみようとか、あの本が面白かったからもう一度読んでみようとか、あの時誰かがやっていて、それが面白そうだから自分もやってみようとかという時間的経過があっても、経験が動機になります。ということで、大人は、経験を豊富にさせること、それをやりたいと思った時に実現できるような環境を用意することが課題になります。

しかし、赤ちゃんは、今、目についたもの、今、体が欲することをやろうとします。もし、大人がおもちゃを与えたとしても、そのおもちゃがその赤ちゃんにとってちょうど発達にあっているか、興味があるものであればそのおもちゃで遊びますが、合わないときには目もくれません。という意味では、かなり能動的です。そのためには、赤ちゃんが目に付くところ、手に取りやすいところに興味関心のあるようなものを置いておくとか、散らばせておくとかする必要があります。また、その遊びから、より興味を広げていくような環境も用意する必要があります。大人の赤ちゃんからの要求に対する対応は、環境を用意するということになります。

もう一つ、共感、同調要求があります。面白いものを見つけたとき、面白いことをしたときに、逆に痛いとき、不安な時、そんな気持ちに共感してほしい、同調してほしいという要求です。その時に、大人は、赤ちゃんと見つめあうのではなく、同じものを見ていないといけないのです。赤ちゃんと同じ行動をすることで、同じ気持ちになるということを伝えるということです。

これらの要求に対応することで、赤ちゃんの心の発達を支えることになっているのです。