どうしたら?

 人は、人生において様々な人と出会います。また、その出会いかたも場面によって、年齢によって様々です。携帯電話のアドレス帳も、家族、職場、教育関係、プライベート、地域、会社などのフォルダーに分けられていますが、それぞれにおいての関わり方は違ってきます。このような様々な人とかかわることが、そして、それぞれの関わり方を変えてくことが社会で生きるということであれば、確かにヒトは大きな脳が必要になってきますね。

 しかも、そのかかわり方の違いは、その立場、職種によって変わるだけでなく、相手の年齢、性別、個性によっても変わってきます。また、その日の、その瞬間の相手の気持ちも反映します。それは、表情、声の調子、態度など非言語的ヒントから判断しなければなりません。この能力は、人と人とがうまく同調するために必要なものです。同調するためには、お互いが考えるのではなく、非言語的ヒントを即座に読みとって円滑に反応する必要があります。

 このような能力は、乳幼児のころに育てるべき教育であるとされています。この時に使われる「教育」とは、教え込むことではなく、生まれながら持っている能力を引き出し、それをより洗練し、確実なものにしていくということです。この確実なもの、安定したものにするために、周囲の誰かとの「愛着」が必要になってくるということです。そして、それを育てるのが、乳幼児期の課題であれば、当然愛着の対象は母親であることが多いであろうし、母親はその時の子どもの思いを受け止めることが必要なのです。

 しかし、その後もヒトは人生の中で様々な人とかかわっていきます。その時には、いくら中学生になっても、大人になっても、傷つけられること、不安になること、理解してもらえないことなど負の状況になることはたくさんおきます。その時にも、心の安定をもたらすためには愛着の存在が必要になります。その時には、私は、乳児のころの母親との愛着が半永久的に作用するとは思っていません。乳児のころの愛着の思い出のまま母親と別れているのであればありえますが、いつもそばにいる母親が小学生になったから、中学生になったからといって、子どもの心に寄り添ってあげなければ、乳児期の愛着の絆は切れてしまいます。しかし、それを、周りの誰かが補うことはできると思います。

 では、どうすれば、愛着形成が築けるのでしょうか?母親に、「目の前で寝ている赤ちゃんと愛着形成をしなさい!」と言われたとき、その赤ちゃんを抱っこすればいいのでしょうか?赤ちゃんに笑いかければいいのでしょうか?また、その赤ちゃんを母親でない人が抱っこすれば、母親との愛着は不安定になるのでしょうか?「愛着障害」の本の中で著者の岡田氏は、「よい安心基地となるために何が大事であるか」という条件を5つ上げています。

一つ目は、「安心感を保証する」ということで、これが最も重要であるとしています。二つ目は、「感受性」であるとしています。それは、共感性ともいえることです。三つ目は、「応答性」であるとしています。相手が求めているときに、応じてあげることです。逆に言えば、相手が求めていないときには、余計なことをするのは応答性から外れていることになると言います。ここで、感受性も、応答性も受け身であるということが大切であるとしています。ということで、主役は本人であり支える側でないのに、自分が主人公になりたがる人は安心基地にはならないと警告しています。四つ目は、「安定感」であるとしています。その日の気分や都合で応じてはいけないのです。そして最後は、「何でも話せること」であるとします。そして、これは、前の四つがすべてクリアされることによって達成されるとしています。