自立の概念

私は、園の1歳児とのかかわりでこんなことを経験しました。ある1歳児の子が、食事が終わって、自分が使ったお手拭タオルを、自分のビニール袋に入れようとフックにかけられた自分のビニール袋を探しました。やっと見つけて入れようとしたら、手提げのところがねじれて入れることができません。その子は、周りを見回しました。たぶん、誰か暇そうな人を探したのでしょう。ちょうど私が、近くに暇そうに立っていました。その子は、手提げを持って、私のところに持ってきて差し出しました。いかにも、「ねじれを直して!」と言わんばかりの顔です。私は、事情が分かっていたので、手提げのところのねじれを直してあげて、中にタオルを入れてあげようとしました。すると、その子は、「いい!タオルは自分で入れるから!」と言わんばかりにそのビニール袋を私からひったくって、フックのところに持っていき、そこにかけて中に自分でタオルを入れました。

この場面を体験して、私の「自立」についての考え方が大きく変わりました。今まででしたら、自分で袋にタオルを入れることができるようになった子を「自立した」と思ったでしょう。しかし、その時の体験から、自立とは、「自分でやれることと、人に頼むことがわかったこと」であると気が付いたのです。ヒトは、社会で生きる生き物です。社会で生きるということは、他者と自分の脳の交流ができるようになることであり、この交流を上手に行う脳の反応経路、社会脳を持っている人は生き方が上手な人であり、それができるようになることが「自立」していくというのでしょう。

先日、毎年恒例の日本テレビ系のチャリティー番組「24時間テレビ35〈愛は地球を救う〉」のなかで「車イスで僕は空を飛ぶ」というドラマが放送されました。荒廃した家庭で育ち、次第に心を閉ざし、様々な問題行動を起こす不良青年が、下半身不随になって、車いすでの生活を余儀なくされます。初めはリハビリのも消極的、生きる意欲もなく、自分を痛めつける日簿が続きますが、こんな一言で立ち直ります。それは、「助けて———助けてください」と人に言えたことです。

どうしても、人は、「助けて!」と言わないことが立派だ、自立していると思いがちですが、そうではなく、「助けて!」と言えるということは、自分でできること、自分しかできないことの確信を持てたこと、自分でしかできないことが見つかったこと、自尊感情が育ったことが、逆に自分ではできないことがはっきりし、他人に頼めるということなのですし、自分を必要とされたら、貢献することができるのです。それが、社会の一員としての意識が育ったということで、自立したと言えるのではないでしょうか。

岡田氏は、「愛着障害を克服するということは、一人の人間として自立するということである。」と言っています。そして、「ここでいう自立とは、独立独歩で人に頼らないという意味ではない。必要な時には人に頼ることができ、だからといって、相手に従属するのではなく、対等な人間関係を持つことができるということである。」といことは、まさに私が思う自立と同じ考え方のような気がします。岡田氏は、こう続けます。「自立のためには、周囲から自分の存在価値を認めてもらうということが必要になるし、それを得ることによって、自己有用感と自信を持ち、人とのつながりの中で自分の力を発揮することができる。」

どうも、ここまで本を読み進めていくと、「愛着」という言葉は、もっと広く、深く考える必要がありそうですね。