子どもが嫌い

 最近の母親の中には、子どもが何をしても関心を持たず、放っておくことが多くなったと聞きますが、現在、私の園では基本的にはそのような母親はいないような気がします。親子の関係が必ずしも理想的かというと、それは別ですが、多くの母親はわが子のために一生懸命ですし、とてもかわいがります。もしかしたら、自分が働いているために、子どもとの距離感がいいのかもしれませんし、その分の委縮するのかもしれません。その時の実感としては、母親と子どもとの関係は、距離や時間の長さではないつながりを感じますし、他の養育者ではとってかわることができないほどの、あるテレパシーのようなものを感じます。その能力は、特に母親のほうに感じるというよりも、子どものほうに感じます。ですから、母親の顔色一つでも、行動のほんの一場面でも傷つくことがあるのです。

 しかし、随分昔のことですが、どうしてもわが子を愛せない母親と出会ったことがありました。その時、職員とこんな会話をしました。「子どもが嫌いな人もいるのね!」「食べ物で好き嫌いがあるのと同じかもしれないよ!」「自分の子なのにね!」「自分で料理をしたら、その嫌いなものを食べることができるようになるの?」「だったら、産まなきゃ、いいのに!」「生まれたら、変わるという期待を持つもんだよ。あまり子どもが好きでなくても、自分に子どもができると、かわいく思えるようになると人はできているのかもしれないね。しかし、中には、変わらない人がいるかもしれないね。」「では、子どもがかわいそうじゃない!」「そんな親でも受け止めてあげて、私たちがかわいがっている姿を見せていくことが必要じゃない?」という会話でした。「そんな親はひどい!」「もっと、子どもをかわいがってください!」という言葉は、余計にその親をかたくなにしてしまいます。「中には、そんな親もいますよ!でも、子どもってかわいいですよ。少しずつそんなことに気づいていきましょうよ。」という共感も必要です。

 よく、育児は伝承されていくと言われ、子どものころに、愛着が欠如すると、親になっても子どもとよい関係が結べないと言います。しかし、その親の親はどのように育ったのでしょうか、先祖はどのような子育てをしたのでしょうか。私は、ボウルビィが愛着理論を打ち出した時は、二次大戦のとき母親を亡くした子どもの研究からされたように、時代、環境、周りの大人との関係からそのような関係が生まれてしまうのだと思っています。

 「愛着障害」の本の中で、岡田氏は、根っから子どもが嫌いだったり、関心がないというケースを、スティーブ・ジョブスを例に挙げています。「アップル創業のころ、組み立ての仕事をしていたクリス・アンという女性と親密な関係になった。しかし、アンが妊娠したとわかると、激しい勢いで中絶を迫り、彼女がそれを拒むと、かかわりを一切絶ってしまった。彼女の生んだ娘が親子鑑定の結果、自分の子どもだとわかっても、それを受け入れようとせず、自分の娘に会うことも、父親らしいことをすることもかたくなに拒み続け、受け入れるまでに、長い時間を要したのである。」

 このような特性をどうして持つにいたったかは本の中では説明していませんが、他にも、夏目漱石、谷崎純一郎、川端康成、太宰治といった日本を代表する人々は、みな子どもに対して関心が乏しく、上手に子どもを愛せなかった人として紹介しています。それは、日本に限らず、例えば、ヘミングウェイも、こどもができたときに、子どもを持つことに強い戸惑いや不安、気おくれを感じ、時には苦々しい思いを周囲に漏らしていると言います。ヘミングウェイが、自由な暮らしを維持しようとするには、もっとも両立しないのは子育てであったようです。

 育児の伝承と同時に、ひどい育児の伝承を断ち切ることも必要です。