依存

私が参加している「情動の科学的解明と教育等への応用に関する調査研究協力者会議」での中間報告案に、心理学研究からの観点として「極めて困難な状況を克服し、大きな成長を遂げる子どもや若者達がいる。この能力はレジリエンスと呼ばれ、情動の安定化とレジリエンスの養成を目標とした教育手法の開発へと応用が進んでいる。」があります。この「レジリエンス」については、以前、ブログでも取り上げたのですが、船が横倒しになった時に、くるっと元に戻ることから「立ち直る力」というような意味につかわれ、今回の震災を機に、その力が求められるようになりました。

以前、東京大学で「愛着」を研究されている遠藤氏をお呼びして講演をしてもらったことがあったのですが、講演の中でこんな話をしました。子どもたちは、安全基地である愛着を持った存在から飛び出して、好奇心、探究心を持って行動します。しかし、その先で、不安や痛みなど負の状況に陥った時、愛着を持ったところに戻り、そこで力を得て、再び出ていくという「安全感の環」ということを説明しました。その環が、成長するにしたがって、次第に大きく広がっていき、愛着の存在から遠く離れても大丈夫になっていくということも話されました。

私は、成長を、環の広がりとだけ見ずに、愛着の存在に戻ってそこで立ち直って戻っていかずに、成長するにしたがって、近道を作っていくという考え方はどうでしょうかと話しました。例えば、最初のうちは、この安全基地は母親であることが多いのですが、成長するにつれて、例えば、友達にその関係を持ったら、いちいち親のところに戻らずに立ち直ることができるのではないか。もっと成長すると、もっと近道を作るということで、負の状態に陥った時に、自分自身の中で立ち直る力を持つということもあるのではないかと思っています。この力が、まさに、「レジリエンス」だと思うのです。以前のブログで、「レジリエンス」が強い子は、「愛されている」「ポジティブ」「自分が好き」な子の傾向があると書きました。それを、「安定型愛着」であると言い換えても当てはまります。

この観点からの考察を、岡田氏は興味ある問題の整理をしています。「愛着障害の人は、傷つきやすくストレスに弱い。しかも、安心できる安全基地というものを持ちにくい。」しかし、人は、必ずしも自分だけで生きていくことはできません。ですから、自分自身を支えていくために、何らかの対象に依存するしかありません。この時に依存する関係と、愛着という自分のよりどころを持つということとどう違うのでしょうか。岡田氏は、「真に信頼できる愛着対象との自律的な関係」と「麻薬的な悪い依存」と言い、後者は「一時しのぎの慰めや逃避にはなるが、真の回復や勇気を与えてくれるものではない。」と分けています。そして、依存する対象として、食べることや買い物、恋愛、セックスなどの快楽行為、そして、薬物乱用のリスクが高くなるようです。また、物への異常な執着という形で現れるといます。

それは、愛情飢餓のため、物やお金は、愛情の代用品となるのだと言います。このようなことから、万引きや異常なほどの溜め込み行動をすることが多いと言います。問題行動を起こす人には、様々な理由があると思いますが、有名人でも、つい万引きをしてしまうという理由には、安定的な愛着を得ることができずに、いつも不安でいることが原因と考えることもできるかもしれません。