ブラヘイジ丸の内1

10月1日の公開を前に、テレビではさまざまな特集が組まれている東京駅ですが、昨日の「ブラヘイジ」では、その東京駅を途中で見ることができました。昨日のコースは、「ビジネスの町 丸の内を楽しもう!」というスタンプラリーに参加しました。スタートは、地下鉄半蔵門線の大手町駅です。江戸城には、周囲にはいろいろな門があります。中学生でも知っている門といえば「桜田門」かもしれません。そのほかにもいろいろあるのですが、徳川家康の家臣であった服部半蔵正成の屋敷の側にあったことからついた名前の門が「半蔵門」です。開業はとても新しく、平成15年3月19日に水天宮から押上間が開業しました。

大手町駅を出発して最初にスタンプを押す場所は、「ていぱーく」です。この「ていぱーく」の前身は、明治35(1902)年の万国郵便連合(UPU)加盟25周年記念祝典行事の一環として誕生した「郵便博物館」です。現在の場所に開館したのは、昭和39(1964)です。ここは、「公益財団法人通信文化協会」と「NTT東日本」の2機関で共同運営をしていますので、展示は、郵便に関するものと、電話に関するものとが階に分かれてされています。そんなことから「ていぱーく」の「てい」は、逓信総合博物館の「逓」を意味し、また、「〒」マークの「てい」とテレコミュニケーションの頭文字の「T」にもかけています。また、博物館の「博(はく)」と「パーク(公園)」をかけて、気を養う身近な場所として受け止めてもらいたいということから命名されています。また、よく「逓信」という言葉を使いますが、この言葉は、実は、逓信省創設時に新しく作られたことばで、順次送り伝えていく意味があり、郵便・電信・電話・電気などの通信全般を意味するそうです。

次のポイントに行く途中に「JR東京駅」を通ったのですが、ここは重要文化財に指定されています。他に、丸の内には登録文化財として「日本工業倶楽部会館」、重要文化財として「明治生命館」があります。つぎのポイントは、この1934年に建てられた「明治生命館」と、2004年に完成した明治安田生命ビルからなる「丸の内MY PLAZA」です。今回復元された東京駅を含め、丸の内界隈にはとても貴重な建物がたくさんあります。最近、それを上手に残しています。「伝統」と「最新」が調和されています。ドイツに行くと、町並みが大切に保存されています。それは、上手に保存しているのですが、昨年、全面建て替えをしている建物の工事中を見たのですが、なんと、通りに面している壁面をそっくりそのまま残して、その後ろをすべて建て替えているのです。ですから、町並みは変わらないのです。

神社仏閣や美術品などの修復を手掛ける老舗の株式会社小西美術工藝社会長であるデービッド・アトキンソンさんは、こんなことを言っています。「私の出身はイギリスですが、イギリスのみならずヨーロッパの人間にとって、散歩は基本的な生活スタイルのひとつです。街の景観や建物、公園などを楽しみながらぶらぶらと歩きます。それらが実にきれいなので、散歩が楽しいわけです。残念ながら、東京では街を歩いていて、楽しめるところが少ない。あまり街がきれいではないからです。」それは、東京は建築物に対する規制が多い割には、街をきれいにする、古い街並みを美しく保存する、ということに対する規制や基準が欠けているようだと言います。そんななかでは、「丸ビルや新丸ビル、明治生命や東京銀行協会のビルなどは、往時の建物の面影を1階や2階にうまく残して、街並みに美しさを与えていますね。」と言っています。

今回の「ブラヘイジ」は、下町巡りというよりは、シティー派といきました。

ブラヘイジ丸の内1” への5件のコメント

  1. オフィス街丸の内は、かつては丸の内大名小路と呼ばれ、明治維新後、陸軍兵舎や練兵場がありました。宮城の守りを固める目的だったようです。明治20年代になって、軍用地を移転することになって、その費用を捻出するために、陸軍は三菱財閥の岩崎弥之助に“二束三文”で売却します。十万七千坪もの広大な土地が、たったの百二十八万円、坪単価で十二円弱(今の貨幣価値で約二十四万円)。当時の丸の内は、廃墟のような寂しい土地で叩き売りでもしないと売れなかったようです。

    ≪その時分の丸の内はただ暗く静かに、またさびしく物騒な天地であった。夜分などはこの明治生命の前を通ると、向うは真っ暗な原っぱで、ただ大空に星が輝いているばかりであった。今の東京駅あたりも闇の続きで、その向こうに京橋辺の灯が見えた。≫(『大東京繁盛記』)

    三菱ヶ原と呼ばれた荒地に、明治7年にコンドルの設計で地下付き3階建ての赤煉瓦の洋館「三菱1号館」が完成します。その後次々と洋風のビルが建てられ、13号館までできあがります。同じような外観のビルが、ロンドンの街のように広い道路の両側に整然と建てられたので、「一丁倫敦」と呼ばれて親しまれました。当時の写真を見ると、まるでテーマパークのようです。明治期の赤煉瓦ビル、大正期の東京駅、昭和初期の明治生命館や東京中央郵便局などの洋館が立ち並んだ丸の内は、「建築博物館」とよばれたそうです。

  2. 今年になって東京駅周辺を移動することが多くなったのですが、そこを歩いていて古い建物が上手に残されていることを感じていました。東京といえば次々に建つ新しいビルの街というイメージでしたが、東京駅周辺は少し違っているんですよね。歩いて楽しい場所というのも分かる気がします。それにしてもドイツの改修工事の話はすごいです。町並みを変えずに支障のある箇所を変更し続けるという方法は、街としてその考えに納得していないとできないことだと思います。もしも日本でそのような改修がずっと行われてきたとしたら、今東京はどんな町並みになっていただろうと想像してみました。結局は行き方の問題にもつながってくることだと思うので簡単ではないかもしれませんが、町並みに対する意識も大事にしていかないといけないですね。

  3. 久しぶりのブラヘイジの内容でと思います。今回は先日のブログで話題になった東京駅を見てこられたんですね。ただメインはその周辺のスタンプラリーですが、東京のように地下鉄がはりめぐされていると、歩いて隣の駅にも行けるし、様々な企画できますね。本当に東京は面白いですね。と言うよりも東京にある環境を十分に活用しているように思います。もちろん街並みもそうですね。地方には東京にない壮大な山や海などの自然物がありますが、東京は高層ビル街があります。しかし、ビルばかりでも壁面を改装するなど、街並みを美しくする事で、人も集まります。東京の中でも色々な企画を行っているようですが、とても参考になります。

  4. 大手町の周りは一度歩いたことがあります。昔の建物がそのまま残っている町並みは歩いていても気持ちよく、日本の中の文化を感じている気がしました。こういった街並みを楽しむ企画があるのはとてもいいですね。文中に出てきたデービッド・アトキンソンさんの話ではないですが、確かに日本の街並みは海外の街並みを歩くのとはちがい、どこか無機質な印象を受けます。ビルや建物を改築や建て替えしても、街並みのことまでは考えられていないことがあります。そのためこういった印象もでるのかもしれません。街並みを考えながら建物を建てることを意識するのも大切かもしれないですね。

  5. 私はほぼ1年遅れでコメントを入れていますが、本当に驚かされます。まぁ、藤森先生、8年丸々1日も欠かさずブログをアップデートしているので、もう「ブログのプロ」です。だから、と私は了解しているのですが、2013年9月29日のブログ掲載の写真は「東京駅」と「KITTE」、そして今コメントを入れている2012年9月30日のブログ掲載写真がなんと「東京駅」と「逓信博物館」。共にコンセプトは鉄道と切手に関わります。これこそはまさにプロ技。嫌々驚きました。驚いたことをコメントしておよそ250文字。本題へのコメントを。「東京では街を歩いていて、楽しめるところが少ない。あまりが街がきれいではないからです」とイギリス人の方が仰っています。ヨーロッパの街並みを経験していると頷けます。歴史的建造物と建物が普通のアパートマンションだったりします。初めてミュンヘンを訪れた時、それは同時に初めてのヨーロッパでしたが、タクシーの運転手に「あれはどんな建物ですか?」と興味津々に尋ねると「アパートです」とあっさり答えられて何だか凄くがっかりしたことを思い出しました。一種のカルチャーショック。最近は「古い街並みを保存する」という方針を打ち出している自治体が多くなってきているような気がします。美しい街並みは文化レベルの高さを表していると思います。

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