どう変えるか?

 幼児教育でも初等教育でも当たり前のように過去からやっていることについて、どうしてこれをするのだろうか、それによって、どんな力を子どもたちにつけようとしているのか、その力は、子どもたちが世の中に出たときに役に立つ力なのか、ということを私は常に考えてしまいます。どうも、これは、「質問力」という力のようで、どうして質問なのかというと、「物事の探求に情熱を燃やし、現状に異議を唱えるような質問を行う」ということのようです。

 また、取り組んでいる内容は、他のものに優先するものであるのかということも私はよく考えます。例えば、少し前のブログでも書いたのですが、「幼児教育から小学校への円滑な接続を図る観点」として、保幼小の話し合いが行われていますが、そのために「低学年の児童が幼児と一緒に学習活動を行う」ということがあります。もっと、小学校低学年が、保育園などに遊びに来て、乳児などと接することで、刺激を受け、手本となることなどから小学生としての自覚を持つことができると思います。しかし、そのような提案に対して、そんな時間的余裕はないとか、今、ゆとりがなくなり、目いっぱいであるということを聞くことがあるのですが、私から見ると、最近、どの地域でも、小学校で行われている運動会の練習をしている姿を見ると、そんなに毎日毎日そろえるために練習する必要があるのだろうか。もう少し、その練習を減らして、1時間でも保育園に来ればいいのにと思ってしまうのです。しかし、毎年の運動会の素晴らしさを変えないために、保護者から素晴らしいと言われるために必死なのでしょうね。
現状を変えるために、「そもそも、それは何のためにしているか?」という原点に戻る必要があります。というのも、「なんのため」と

 いうことは、変えてはいけないものが多いからです。というのも、変えることが重要なのではなく、どうして変えなければいけないのかを考えることです。そのためには、「観察力」が必要なのかもしれません。その力は、「周りの世界に目を光らせ、新しいやり方の元になる洞察やアイデアを得る」としています。子どもたちは、将来社会に出ていきます。社会の中で、自己を発揮していかなければなりません。その子たちは教育する教師は、より広い視野が必要になります。また、新しいやり方は、社会の中から見つけていかなければなりません。ということは、社会は常に変化しているものですので、変えていこうとしない人は、社会を見つめ、社会から学んでいない人ということになります。その危機感は、社会を反映しやすい企業よりは、教育の世界は感じにくいかもしれません。

 そんな社会だからこそ「ネットワーク力」が必要になるのかもしれません。時代は、より専門化し、細分化しています。その中で、個人の考えること、やれることには限界があります。そこで、多様な人たちとのネットワークが必要になるのです。「ネットワーク力」の説明として、「多様な背景や考え方を持つ人たちとの幅広いネットワークを通じて、アイデアを見つけたり試したりする」とあります。ここに、私の提案する「チーム保育」の意図の一つがあります。チーム保育とは、子どもたちをネットワークの中で育てるということなのです。そのネットワークは、園内にとどまることなく、保護者とも、地域ともネットワークをとる必要があるのです。特に、今後、保育、教育に求められてくるのは、地域の人々とのネットワークです。

 必要なのは、子どもたちは、特定の人に育てられる時代から、人々のネットワークの中で育てられる保育への変化です。それが、「ソーシャルネットワーク論」なのです。

どう変えるか?” への5件のコメント

  1. とてもとても大事なことが書かれていると思います。この内容はいつもお話の中で聞いているので初めて聞いたわけではないのですが、読み終わって身が引き締まりました。自分たちはどんな姿勢で保育を行えばいいのか。どんなことに意識を向けながら保育を行えばいいのか。そんなことが全部詰まっているように思います。このことを周りの保育園の方々だけでなく、小学校なんかも含めた多くの人と考える場があれば、ずいぶん状況は変わっていくんだろうなあと思ってしまいます。「質問力」「観察力」「ネットワーク力」「実験力」の4つのスキルの考え方について、10月の研修会でのリーダー論の話の中にもそのエキスが入ってくるんだろうなあと考えると、楽しみになってきました。

  2. 日本の歴史上、子どもがある「特定の人」に育てられることを推奨された時代というのは、たかだかここ100年前ぐらいからです。もともと日本の子どもは、寺子屋が生まれる以前から、家族だけでなく仮親に代表される地域の養育システムや若者組などの子ども集団の教育力に支えられて、人間の自然な営みとして、子どもから一人前のおとなへの階段を登っていくことができたのです。

    それが封建国家から西欧並みの近代国家に生まれ変わる過程で、日本固有のソーシャルネットワークによる子育ては、過去の遺物として否定され、それに取って代わるように、学校と家庭が中心的な役割を担うようになりました。しかし、いまやその学校も、いじめや不登校、校内暴力、学級崩壊と、時代の変化に対応出来ずに完全に機能不全に陥っています。本来の意味での共食の家庭もなくなりました。今、子どもたちは学校でのいじめ自殺、家庭での虐待と、ある意味、生命の危険と隣り合わせの状態にあります。

    これからの保育所はその子育て機能を充実させながら、そこから保護者や近隣の人々、もっと広く社会全般にネットワークを広げながら、子どもたちの育ちと生命を守るソーシャルネットワークを構築して、その要の存在として進化をしていかなければならないと思います。「変化」ではなく「進化」です。変化は他律的であり、やっぱり進化の方が子どもの自立を求める保育には似つかわしいと思います。

  3.  子どもの質問力というのは、ただ生活しているだけでは身に付きません。やはり様々な経験から疑問点が思い浮かび、保育士や親に質問します。子どもに様々な能力を身につけようと思う時は、実はとてもシンプルか考え方でよいのかもしれません。ブログにも書いてある小学校との連携でも、純粋に小学生を招いたり、見学しに行って遊ぶだけでも立派な連携です。それを日々の授業に追われ、そして優先する物が見えてこないと、言葉だけで正論を話しても、行動に移さないと意味を成しません。何度も同じ事を言うようですが、今の子ども達、時代に合った保育を考え、実践する必要があります。

  4. 噛むという行為にたくさんの意図や理由があるのだと思います。野球選手が集中するためにガムをかむ動作がストレスを軽減するためというもう一つの理由があったんですね。保育園の子どもたち特に乳児といわれる子どもたちは確かに噛みつくことが多いです。その理由はほとんどが物の取り合いから来るものが多いですが、小さくなればなるほどその理由がわからない噛みつきもたまにあります。それはこういったストレスから逃れるための手段なのかもしれませんね。ただ、やはり今まではなかったことがここで出てきたということは時代の流れや環境の違いが大きいのだと思います。子ども集団をもつ保育機関だからこそ、考えを深める必要があると思います。

  5. 前回のブログで紹介された「4つのスキル」を私たちの保育現場での実践に照らして解説して頂いたのでより理解ができるようになりました。「どうして、これをするのだろうか?」「そもそも、それは何のためにしているのか?」ということを問わずに、あるいは質問したとしても考え出す力もないので、結局は何もしないで現状継続のまま、ということがよくあります。「社会は常に変化しているものですので、変えていこうとしない人は、社会を見つめ、社会から学んでいない人ということになります・・・その危機感は、教育の世界は感じにくいかもしれません。」とのご指摘通り、社会がこれほど変化しているのに、言うことを聞かせやすい子どもたちを相手にしているからでしょうか、「教育の世界は感じにくい」ということになるのでしょう。そして「ネットワーク力」は「チーム保育」で。子どもたちは確かに「ネットワーク」の中で育てることが重要です。少子社会で子どもの数も少なくなり、地域の関わり力も希薄になっているからこそ、私たちの施設のような子ども集団がある場では、あえて意識的に、子どもたちのネットワークづくりをしていく必要があると思います。「特定の人に育てられる保育から、人々のネットワークの中で育てられる保育へ。」これが私たち日本の保育の基本だと思いました。

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