抱っこと愛着

「愛着障害」という本の中で岡田氏は、イスラエルの集団農場キブツで行われた、実験的とも言える試みの教訓を書いています。「かつて、進歩的で合理的な考えの人達が、子育てをもっと効率よく行う方法は無いか?と考えました。その結果、『1人の母親が1人の子どもの面倒を見るのは無駄が多い』 という結論に達しました。それよりも、『複数の親が時間を分担して、各々の子どもに公平に関われば、もっと効率が良いうえに、親に依存しない、自立した、もっと素晴らしい子どもが育つに違いない。』 ということになり、実行されました。ところが、何十年も経ってから、そうやって育った子供たちには重大な欠陥が生じやすいことがわかりました。その子たちは、親密な関係を持つことに消極的になったり、対人関係が不安定になりやすかったのです。更に、その子どもの世代になると、周囲に無関心で、何事にも無気力な傾向が目立つことに多くの人が気付き始めました。効率本位の子育ては、『愛着』という重要な課題をすっかり見落としていたのです。こうした弊害は、幼い子どもだけでなく、大人になってからも『不安定な愛着スタイル』として認められました。」

 岡田氏は、この例をあげ、「いくら多くの人が、その子を可愛がり、十分なスキンシップを与えても、安定した愛着が育って行くことにはならない。特定の人との安定した関係が重要なのであり、多くの人が関わりすぎることは、逆に愛着の問題を助長してしまう。」と言っています。

 私が以前、勤めていた園に、子どもが5人いるこんな母親がいました。そのお母さんは、とてもいい人で、いつも赤ちゃんを抱っこしていました。そして、2歳まではお母さんが家でみていて、3歳から園に入園させます。そのうち、子どもが大きくなって小学校に行くころになると、あまり子どもに構わなくなります。道で会ったそのお母さんは、私にこう言ったのです。「私は、赤ちゃんの“におい”と“肌触り”がたまらなく好きで、いつも抱っこかおんぶして、肌に触ったり、臭いをかいでいます。しかし、子どもが大きくなると途端に興味を失って、つい、次の子を産みたくなるので、結果5人になってしまいました。」その母親は、子どもたちが全員大きくなったら、父親と違う男の人と子どもを置いて駆け落ちしていなくなってしまいました。数年たって、その中の子の名前をネットで見つけました。それは、犯罪を起こしてしまい、逮捕されたというものでした。

 もし、青年になってから問題行動を起こす子たちの事情を聞くと、乳児のころに母親に抱っこされた経験が少ない子が多いかもしれませんが、逆に、保育園で、0歳児から見ていると、とてもいい母親で、いつも母親に抱かれている子でも、大きくなって、他人とのかかわりにおいて問題であったり、問題行動を起こす子がいることがあります。どうも、愛着障害は、乳児期における母親との抱っこに関係があるのではない気がします。

 岡田氏の次のような見解から、母親という言葉を「周りの大人たち」と書きかえるのであれば、私が常々思っていることに近くなります。「愛着がスムーズに形成されるために大事なことは、十分なスキンシップとともに、母親(周りの大人たち)が子どもの欲求を感じとる感受性をもち、それに速やかに応じる応答性を備えていることである。子どもは、いつもそばで見守ってくれ、必要な助けを与えてくれる存在に対して、特別な結びつきを持つようになるのだ。求めたら応えてくれるという関係が、愛着を育むうえでの基本なのである。」

 いつも抱っこしてくれる関係ではなく、求めたらいつでも応じてくれる関係が大切な気がします。