ミラーニューロンの発見9

 よく、私は講演の後で「長い時間の講演で大変だったでしょう。」といわれると、「長い間人の話を聞くのは大変だったでしょう。」と答えたくなります。話すのと、聞くのとどちらが疲れるかというと、私は、話しているほうが楽な時が多いような気がします。それは、人の話を聞く場合と自分が話す場合は、どちらも自分の全神経を集中させて、相手の話に合わせて脳を回転させて理解しよう、理解してもらおうと思う気持ちはどちらも同じです。しかし、面白い話を聞く場合は、人の話を聞くほうが楽しいのですが、あまり面白くない話を聞いているのは、はっきり言って早く終わらないかなと思ってしまいます。その時には、一緒に会話をしたくなります。つまらない話を一方的に、何も意見を言えずに切っているだけというのは結構つらいものがあります。

 多くの人が楽しいと感じるのは、自分一人で話をしたり、人の話を一方的に聞いたりするよりか、会話をしているときだと言われてきました。しかし、「ミラーニューロンの発見」という本の中でイアコボーニは、「会話や社交はどうも苦手だと思っている人でさえ、一人語りは会話よりもなお大変だと思うだろう。なぜそうなるのか?一人語りと会話それぞれに要する負担を認知の観点から見れば、複雑に入り組んだギブ・アンド・テイクからなる会話のほうが一人語りをするよりも楽だなどということはありえない。むしろ全く逆のはずである。」というように、理論的には、会話よりも一人語りのほうが、気が楽であり、容易であるというのです。

しかし、多くの人が会話のほうが気が楽であり、優しいと感じるのは「ミラーニューロン」と「模倣」にあるといいます。この時代のこれらの分析はとても面白いものです。なぜならば、最近の若者は、たぶん会話よりも一人語りのほうが気が楽だと感じる人が増えてきたような気がします。ということは、最近の若者は模倣せず、ミラーニューロンが育っていないということになる気がするからです。そのような意味で、会話のほうが気楽に感じるかという分析を読むと、最近の若者に何が欠けているかということがわかってきます。

 理論的に、どうして一人語りのほうが容易かというと、自分の話なら最初から最後まで計画が立てられるが、会話の計画は立てられない。他人が何を言い出すかわからない。また、話のタイミングも、一人語りだと話のペースを完全にコントロールできますし、スピードも自由自在、間も自分で入れることもできます。そのほかにも、一人語りは、構造が整った完全な文章になるのに引き換え、会話の発言はほぼ例外なく断片的で、足りない情報を聞き手が推測して補わなければなりません。もう一つは、会話においては、話し手と聞き手の役割交換が矢継ぎ早に行われるために、はるかに負担の大きい認知作業が行われるのです。これらの理由で一人語りのほうが会話よりも容易であるはずです。

 しかし、実際は会話のほうが容易なのは、会話の最中、私たちは互いの表情を模倣しあい、ことによると文章構造まで模倣しあいます。さらに、特定の言葉の意味を相互作用によって自動的に了解しあうのです。しかも、その時の言葉の意味は、辞書に載っているような意味よりも、特定の会話の文脈に見合った非常に緻密な意味を帯びているのです。私は、話し相手の声だけを抽出して周りの声をカットして相手の言葉を聞く能力とか、言葉の意味を相手の会話の文脈に合わせて理解する能力などは、協力を基本とするホモ・サピエンスの特殊な能力の一つであると思っています。

 もう一つ重要なことに、会話の中の言葉と行動の関係があるのです。