愛着の時代性

 育児を理屈で考えるととても難しいものです。他人に教えるのも難しいものです。それは、方法というよりも心という説明のつかない問題ということもありますが、なによりも個人によって違うことが多く、また、結果がすぐにはあらわれないからです。しかし、人類が誕生してから、ずっと子育てをし、遺伝子をつないできました。人間においての子育ては、本能なのか、または、学習していくものなのでしょうか。たぶん、どちらかという問題ではなく、両方が混ざり合っているのでしょうが、それでも、どんな説があろうが、延々と育児されてきているのです。

 私は、そんな育児を最近は情報によって理屈つけていることの弊害を感じることがあります。「こうしなければいけない」「こうしてはいけない」とどこから変えた情報で子育てをしようとします。しかし、自分の行動をそれによって見直すのであればまだいいのですが、子どもを「こうしなさい」「これはしてはいけない」「これだけしなさい」と抑制してしまうと、その弊害は、大きくなってから出るようです。

 こうして見ると、いくら愛着といっても、子どものためといっても、子どもと関わればいいということではなく、子どもにとってはよくないかかわりがあるようです。岡田氏は、本の中で、母子間の愛着の質を観察して評価する実験法としてM.S.エインズワースが開発したストレンジ・シチュエーション法を紹介しています。この時の愛着の質というのは、安全基地としてうまく機能しているかです。どんな関わりをしたかというよりも、どのような機能を持ったかというところは重要です。最近、園への相談や新聞の身の上相談で、実母がストレスになるというものが多いのですが、どうも実母が安心基地というよりもストレスの対象となっている人が増えているようです。それは、親の自己満足であったり、周りへの見栄とか体面のためで、本当に子どもからの真の欲求を満たすような関わりをしている場合が少ないように思えます。

もうひとつ、最近の傾向として、少子化であるために親子の距離感が近すぎることがあるような気がします。いつもその行動が見え、そこに手を出す時間があるために、先回りをして子どもを抑制してしまう過干渉な親が増えてきたこともあるような気がします。また、少子化は、子ども同士の関わりが減り、その分、親との関わりが増してくることも問題です。もうひとつは、地域の連帯、地域の教育力の低下があり、育児、子どもへの教育が母親の方だけにかかってしまっているということもあります。

しかし、エインズワースがストレンジ・シチュエーション法を開発したのは、1978年であり、その時に調査した母親はその2?30年前に子育てをした人たちです。しかし、日本では、1992年版の「国民生活白書」の中で、「少子社会の到来、その影響と対応」という副題のもとで、少子社会の現状や課題について、解説していますので、やっとその時期から問題が表われています。また、ジョン・ボウルビィが、子どもと母親の結びつきの本質についての考察の成果を初めて出した『母子関係の理論』は、1958年にまとめられています。

確かに、愛着の問題は子どもの問題と大いに関係しています。愛着について、もっと考えないといけないとは思いますが、その時にボウルビィやエインズワースなど当時の研究を、今にそのまま当てはめるとか、そのころに戻ろうとする考え方は、今の子どもたちにおきている問題を解決することにならない気がしています。

愛着の時代性” への5件のコメント

  1. 育児をしている子どものことで悩むことは本当にたくさんありますが、そんな時に安易に情報に飛びつくことは危険なことかもしれません。既にある実験データなどは、今すぐにでも参考にすることができるので便利ではあるのですが、それよりも先に現状をよく見ること、目の前の子どもをよく見ることが、何においても重要だと思います。効率という言葉は子育てには最も馴染まないと思っているのですが、世の中は手間は最小限で、それでいながら得られるものは最大限に得たいというのが考え方の主流になっています。更には結果はすぐに出て欲しいとなると、今起きている問題は必然のように思います。決して問題はそれだけではないのですが、そんなことも今の子育ての問題には関係しているような気がしています。

  2. 多くが大家族で暮らしていた昔の日本では、子育ての知恵は家庭内で伝承されていました。理屈ではなく、文化としての子育ての継承があったと思われます。それが、明治時代の良妻賢母主義によって、父親は仕事、母親は子育てという社会通念が一般的になります。さらに戦後、高度成長によって始まった核家族化によって子育ての伝承の仕組みが壊されたことで、お母さんたちは、子育てを一気に情報誌や育児書に頼るようになります。そこで得た”情報”を駆使して、よかれと思ってわが子かわいさに先回り育児をする、それが子どもとの愛着だと信じて疑わないのです。

    このように、古くは多くの大人が子どもと愛着関係を結んでいたのが日本の子育てでしたが、時代の変遷と共に、子育てが母親専任となり、「愛着」という言葉の語感もあって、愛着とは母親が子どもと密着することと誤解されるようになりました。愛着とは、言葉を変えれば、「周囲の人々との関係性」のことだと思われます。岡田氏の言う『愛着障害』も『関係性不全症候群』あたりが適当ではないでしょうか。遺伝的な要因よりも少子化や両親の夫婦としての関係などの環境因子に影響されて現れるようです。いじめも不登校も子どもには何の罪はないのです。

  3.  保育園に勤めていると、様々な赤ちゃんを見ることができます。子どもによって発達の進み具合が違う事、ミルクを飲む量が違う事、一人ひとりが誰一人全く同じような赤ちゃんはいません。初めて赤ちゃんを産んだお母さんにとっては、赤ちゃんをどのように育てら良いのか漠然とし、まずは育児雑誌などを読んで、ミルクのあげかた、離乳食の進め方、そして赤ちゃんの発達などを学ぶと思います。そして雑誌に書かれていることを鵜呑みにしてしまう可能性はあるでしょうね。とくに、愛着の関しても雑誌にはどう書かれているか分かりませんが、私の勝手な推測は藤森先生が言われている愛着の理論とは逆のことが書かれているような気がします。そうなると、ブログの最後に書かれているように、今の子ども達の間に起きている問題は解決にならないでしょうね。

  4. 最近、親も保育士もいろんな講習や育児書、保育書を読んで勉強しますが、その「?してはいけない」「もっと?したほうがいい」といった形にとらわれることが多いように思います。私も人のことは言えないのですが(笑)どうしても、How toになってしまい、本来、子どもとかかわる「楽しさ」を感じないことが多いように思います。ブログに書かれるように育児は「心」の部分が中心だと思います。本を見て先に起こり得る問題を推測し解決するのではなく、「なぜ、こういう行動をするのか」と考えるのが大切であると思います。すべてのことは本に書かれているのではなく、目の前の子どもたちにあるということを前提に考えていかなければいけないですね。

  5. 「こうしなければいけない」「こうしてはいけない」情報は乳幼児期に始まって思春期に至る子どもたちに対しても連綿と影響しているようです、もちろん親を通して。「親の自己満足であったり、周りへの見栄とか体面のため」的要素は確かに感じられますね。あとは思い込み。「子どもがやっているままにさせたら子どもはダメになる」ということを耳にすることがありますが、そうでしょうか?私は自分の好きなようにこれまでやってこれました。これはとても幸せなことだと思います。従って、わが子にも同様のことを保障しようと考えています。そして、私の両親がそうであったように、わが子にとっては私たち夫婦は「安心基地」でありたいと思っております。わが子の子育てを通して実母がストレスをためてしまって、最悪虐待に至る。虐待の因果関係をその母子に限定するのではなく、地域社会の問題として本当はとらえてほしいのですが、虐待=児童相談所対応、となっている昨今、虐待問題から地域は離れていってしまっています。

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