愛着と共感

 昨日のブログで取り上げた「部分対象関係」と「全体対象関係」を隔てるものが何かといえば、それは、「相手の気持ちがわかるかわからないか」ということであり、言い換えれば「共感性が芽生えているかどうか」ということであり、部分にとらわれやすいという状態は、共感性に欠けている状態でもあるということになると岡田氏は言っています。幼児を見ていると、共感は、相手の立場に立ち、相手の痛みを自分の痛みと感じられてこそ、相手の一言からだけでなく、その言葉の後ろにある気持ちを感じることができるのです。

 しかし、次の岡田氏の言葉には、もう少し説明がいると思っています。「愛着障害の人は、相手の気持ちに対する共感性が未発達な傾向を示す。相手の立場に立って、相手のことを思いやるということが苦手になりやすいのである。それは、幼いころに、共感を持って接してもらうことが不足していたことと関係しているだろう。」私は、この言葉の逆は成り立たないと思っています。「相手の気持ちに対する共感性が未発達な傾向を示す人は、愛着障害の人である」とは言えないのです。それは、この共感性は、「共感脳」の働きであり、ずっとブログで説明してきた「社会脳」の働きだからです。この「社会脳」は、愛着によってのみ育つのではなく、子ども同士、多様な大人との関係の中で育っていくものだからです。

 また、確かに幼いころに共感を持って接してもらう必要は、大いにあります。しかし、例えば、乳児においても遊んでいるときに共感しあっている場面を見ることができます。共感することで、模倣が始まります。その子ども同士の関係を「愛着」と呼ぶかどうかです。また、赤ちゃんが、他者の視線の行方を感じ、そのものを一緒に見るという共同注視という行為は、その見ていた人と愛着関係になくても行うことがあります。そして、見ている先のものを社会的参照という、一種の共感が生まれることがあります。

 そのほかにも、人との関係において様々な問題行動があり、それらの原因を岡田氏は愛着障害の特徴としていますが、愛着を、乳幼児のころの母子における関わりの問題に限定せず、他者との信頼関係や、自分を見守ってくれる存在が確認できずに、他者への疑惑だけを持つ中で、他者との関係を上手に結べないことを「愛着障害」というのであれば、これらの行動の特徴は、納得がいくことが多いように思います。

例えば、「愛着障害の人の重要な特徴の一つは、過度に意地を張ってしまうことである。自分流儀に固執したり、否定されればされるほど同じことをしようとしたりする。安定した愛着スタイルの人は、相手とやり取りするなかで、相手の気持ちも考えて、譲歩したり、気持ちを切り替えたりするということを学んでいる。そんな柔軟性は、安心できる愛着という柔らかな環境があって初めて発達する能力なのである。」

この部分は、私はとても面白く読みました。というのは、私の園の職員は、とても柔軟性があります。「みんなで統一された理念のもと保育していくためには、どのような力が必要だと思いますか?」という質問に、私の園の職員に一番多かった回答は「柔軟性」でした。私は、どうして職員が柔軟性を持っているかというと、彼女らが乳幼児のころ煮干し愛着が形成されているというよりも、今の職場が信頼関係で結ばれているということが大きいような気がします。そして、私は、管理職として職員を信じ、信頼して見守っているからのような気がします。柔軟性は、現在おかれている環境の中で、身近な他者との愛着関係が結べているかによる気がしているのです。

愛着と共感” への5件のコメント

  1. 共感する力をつけていくためにも愛着は必要で、その愛着とは母子との関係によるものだけでなく、他者との信頼関係や見守ってくれている人の存在を感じられるかどうかで決まってくる、という理解でいいのでしょうか。ずいぶんと愛着という言葉に対しては違った捉え方をしていたようなので、この考え方が自然とできるようになるには時間がかかりそうです。でもこのことを聞くと、母親たちは安心するでしょうね。愛着という言葉でどれだけしんどい思いをしてきた人が多いか、容易に想像できます。無用な悩みを抱える必要がないように、そして子どもたちが進んで環境に働きかけ、他者との関係を築いていくことで成長していけるように、そんな環境を作っていくことも自分の役割でもあるんだと、勝手に大きな役目を背負ってしまっています。でもやはり何とかしていきたいものです。

  2. けさ読んだ新聞のコラムにこんな話がありました。

    ≪ある小学4年生の子が学校である日突然、意地悪をされた。母親は「あなたは悪くないのよ」と抱きしめてくれた。それから毎朝、こう言って学校へ送り出してくれた。「その子の良いところを、三つだけ探し出してきて、教えてちょうだい」意地悪する子に、良いところなんてあるものか―最初は母親の言葉が理解できなかったが、探しているうちに一つだけ見つかった。良い部分が見えると、こちらから声をかけようと思えた。友人と親しくなれたのは間もなくのこと。「友達を大事にする心が彼にも伝わったのよ」と母。「あなたにも、同じように良いところが沢山あるわ」とも≫

    「部分対象関係」とは、相手の欠点にしか目がいかないことで「他責」に走りがちになります。いじめっ子の長所を見つけようとすることで、「全体対象関係」になることができます。わが子の「共感性」を信じて、いじめの芽を摘み取った母親の知恵と愛情に感動しました。こんな親と子供の距離感が理想の「愛着」なんでしょうね。子ども同士の関係性を見守る親の姿勢の大切さを改めて考えさせられました。

  3.  新宿せいが保育園の職員同士が愛着関係で結ばれていることにより、お互いが信頼関係で成り立つことで、質の高い保育ができる。この言葉にとても感動しました。そして自分の今の職場も少なくとも私自身も職員間、として園長と職員の関係も同じように感じています。久しぶりに「柔軟性」という言葉を聞きました。新宿せいがの職員の質は「柔軟性」というのは、聞いていましたが、その裏には、職員間で愛着を結べているからこそ発揮できるのですね・・・とても納得しました。そう思うと社会人になる上で愛着障害というのは大きなハンデになりますね。いかに乳幼児期の愛着関係というのは、その時期だけの事ではなく、将来まで影響する事なんですね。愛着障害の人の特徴として、自分を変えない、意地を張る、もしかしたら保育を変えようとしない園長や保育士は、もしかしたら・・・。

  4. 新宿せいが保育園の職員同士が信頼し合う関係ができているのはとても素晴らしいことですね。だからこそ、保育の現場で柔軟な対応ができるといえるのだと思います。考えさせられるものがありますね。よく新宿せいが保育園の先生方は「私たちは子どもたちを見守っていますが、私たちも園長先生から見守られている」と言っていたのを覚えています。深い信頼関係がなせる環境なんですね。自分自身もその環境にあるからこそ、人にもそれができるようになる。ある意味、それは模倣と似ているのかもしれません。そして、その土台にあるのが共感する、されるといった人間関係。そして、さらにその根底には過去の愛着関係が作用しているというのはとても複雑なもののように思います。しかし、愛着というものが母子だけで培われているものではく、その中には多くの人との関係が含まれているというのは今後保育をしていく中でしっかりと捉えておかなければいけないことですね。

  5. 見守り、見守られているという関係がちょうどいいですね。「愛着」「愛着」と言われると音的にも何だか嫌なのですが、漢字であらわされるとさらに何とも暑苦しいものがあります。「愛着」という代わりに、「見守る」という方が音的にも漢字的にもすっきりしていいですね。「柔軟性」については、やはりこれはつかずはなれず、物事に固執したり、物事を全く無視したりしない、適度でいい加減で、しかし適切な人間関係の中に存在しているはずのもなのでしょう。物事を固定的にとらえ始めると互いに心地良い仕事環境はできにくくなります。柔軟性という液体状態が頑固という固体状態化してしまうと、子どもに寄り添うのではなく、ある型に嵌めようとする教師主導、一斉主義、に陥ってしまうような気がします。柔軟性はイコールこだわらないことでしょうが、柔軟性や見守ることにはこだわりたいものです。

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