子どもからの見守り

 愛着について考えるうえで、誤解を生じるといけないのですが、私は、決して母親との関係を軽視するものではありませんし。母親の抱っこを否定するつもりもありません。子どもにとって、母親の存在は何よりも大切だと思っています。また、愛着の絆の結びつきにおいて、抱っこの効果は十分あると思います。しかし、最近、産休中、育休中の母親を見ていてわかったことがあります。よく、「母性本能」とかつて言われていたけれど、最近は「母性」は本能ではないと言われます。私は、人間においては、そう思います。母性は、赤ちゃんから育てられていくことのような気がします。もちろん、出産のときの感動はあります。それは、わが子の誕生というよりも、生命の誕生という営みに対しての感動です。まず、その子をじっと見つめていると、なんだかいとおしく感じてきます。初めて自分の手の中に抱かれて、自分にその存在をすべてゆだねている姿を見ると、かわいく思えます。

 今年の初め、私の息子に子どもが生まれ、病院に駆けつけました。まだ、新生児室でガラス越しの対面でしたが、隣で一緒に見ていた息子が、泣き出したわが子を見て、「あっ!かわいそう、かわいそう!」というので、私は「赤ちゃんって、泣くに決まっているじゃない。泣いて深呼吸したりしているだよ。」と慰めると、「そんなこと知っているよ!だけどかわいそうなんだよ。」と答えました。理屈では分かっていても、そこにいる赤ちゃんが泣くと、なんだかかわいそうに思え、思わず抱きたくなるようです。放っておけないのです。最初は、それはわが子だからではないでしょうが、わが子とは、こんなことを毎日繰り返していきます。それは、母親ではもっとでしょう。そうした日々の中で、次第にわが子への母性、父性が育っていくようです。

 ところが、最近、わが子が泣いていてもかわいそうと思えない母親、父親が増えているような気がします。うるさいとしかりつける親、知らん顔をしている親、自分ことを優先してしまう親、そんなには多くありませんが、少しずつそんな親の姿を目にします。それは、子どもへの愛情がないのでしょうか?子どもへの接し方がわからないのでしょうか?私は、どうも、それは、その親に、他人に対する共感する能力、脳の神経細胞であるミラーニューロンが委縮しているか、育っていない気がするのです。それでも、子どもを抱いたり、ミルクをあげたりしているうちに、共感する能力は育てられていく気がするのです。

 親が赤ちゃんを抱っこすることで、赤ちゃんにとっての愛着の絆が結ばれていくと言われていますが、私は、それ以上に、親のほうに、愛着が育っていくような気がします。愛着とは、生きていくうえで、痛かったり、不安になったり、恐れたりという負の状況に陥った時に、それを支え、そこから立ち直らせてくる存在としたら、赤ちゃんにとっての親というよりは、親にとっての赤ちゃん、わが子の存在が、育てていくうちに次第に愛着関係であるようになってくるような気がします。どんなにつらくても、恐れが襲ってきても、わが子の存在が支えてくれるような気がします。わが子さえいれば、この子のためならばと強くなれるのも、わが子の存在です。

 こうして考えると、子どもから親としての在り方を育てられ、わが子の存在は、親にとっての安心基地かもしれないのです。かつて、戦場に送られ、過酷な日々を送っていても家で待っているわが子のために頑張ることができましたし、現在も、子どもから離れて仕事をしていても、わが子のことを頭に浮かべると頑張れるのは、もしかしたら、親は子どもから見守られているのかもしれません。

子どもからの見守り” への6件のコメント

  1. 最後に書かれている「親が子どもに見守られているのかもしれない」という言葉、ほんとにいい言葉ですね。思わずうんうんと頷いてしまいました。読んでいて思い出したのですが、精神科医の名越康文氏が「良い母親とか良い父親というのは、子どもが生まれたら自動的になるわけでも、ましてやもともと備わっているものでもなく、子育ての型を体験していくことで身についていくものだ」と話されていました。生まれた子どもを見て感じることや、抱っこしてあやしたり、ミルクをあげたり、おむつを替えたり、そのような行為というか型を通して身についていく感情が、藤森先生が言われているように共感能力が育つことで親としても育っていくということなのかもしれません。子どもの存在が親にとって安心できる基地になってるのかもしれないですねと、関わりのある親に話してみたくなりました。みんながうんうんと頷いてくれる気がします。

  2. 『おっちゃん、おばちゃん、優勝したよ!』
    電話から聞こえてきたのは、いつも何かとお世話している近所のなっちゃんの興奮した声。なっちゃんは高校2年生。保育所の時に見た「手話」に感動して、小学校から手話を習っている。25日に東京であった全国高校生手話スピーチコンテストの決勝に進出して見事第1位を獲った。
    『おめでとう!よかったなあ。』
    『うん。おっちゃん、紀子さまも手話してくれたんで。』
    『そうか、よかったよかった』
    何か、話しているうちに涙が出てきた。自分の子どもでもないのに、夫婦して手を取りあって喜んだ。そういえば、今年の夏は、小学生のゆうとくんが、子ども国会に県代表で参加した。僕たちが普段から見守っている子どもたちが、日々元気に成長していることがうれしくてならない。子どもたちには、いつも元気パワーをもらっている。みんなあ、おっちゃんもおばちゃんも、みんなに負けないようにもっと強くなるからね。

  3.  子どもの存在が親を親たらしめるという感覚はわかる気がします。また子どもがいることで親が精神的に強くなる、あるいは安定するということもあると思います。
     前に読んだ本「まま子 実の子 河童ン家」の中に、「子ども(人)が精神的に落ち着くのは、5歳から6歳ごろと、小学6年生ごろと、それから結婚して子どもが出来たとき」と書かれていたのを思い出しました。この本を読んで感じたことは、親子とは必ずしも血縁関係である必要はないのだなという点です。
     この本の著者、風間茂子さんは、舞台美術家であり作家でもある妹尾河童さんの奥さんです。実は風間茂子さんは、妹尾さんの二人目の奥さんで、前妻の方は娘が2歳半の時に病気で亡くなられています。妹尾さんは、それから半年ほどで、風間さんと再婚するのですが、これは前妻のご両親と、仕事仲間の友人達から再婚を強く勧められたからです。再婚した当初、娘はそれまでおばさんと呼んでいた女性が、突然お母さんになったのでキョトンとしていたそうですが、直ぐに慣れていきます。そして5歳くらいになったら実の母親の写真を見て「このひと誰?」と言ったそうです。
     風間さんはいつか娘に、「自分はあなたを生んだお母さんではない」ということを伝えなくてはならない、けれどそれをいつどんなふうに伝えたらいいか悩みます。そして幼稚園の先生、教育関係の専門家やお医者さんなどに相談します。そしてある先生から言われたのが、最初に書いた「子ども(人)が精神的に安定する時期」についてです。そして説明の仕方の注意も受けます。それは決して「あなたの本当のお母さんは・・・」とは言わないこと。「本当のお母さん」と言うと、その反対は、「嘘のお母さん」になってしまうからです。「生んだお母さん」と「育てたお母さん」。どちらも「本当のお母さん」であることには違いがないからです。結局、5歳か6歳の時に伝えたそうですが、意外とスーッと受け入れたそうです。それから40数年。色々と苦労はあった様ですが、いい親子関係が続いているそうです。
     

  4.  私にはまだ子どもがいないので、出産に対してのイメージが湧きませんが、ただテレビなどで出産のシーンなどを見ると、もちろん感動し、自分も早く同じように感動したいと思います。母性父性というのは赤ちゃんが生まれた瞬間に芽生えるものだと思いますが、そうではなく、子どもを育てていくと同時に母性父性が芽生えていくのは、確かに納得します。保育園の子どもも最初は、ただ可愛いと思う気持ちから、だんだん日々の成長を見ていくうちに、なんだか特別な気持ちが芽生えます。それがもしかしたら愛着なのかもしれません。そして子ども達の為に色々頑張ろうと思うようになります。「親は子どもから見守られている」本当にその通りかもしれません。

  5. 人とのつながりはほんとにお互いの相互作用なのだと思います。どちらにとっても関わることで愛着が生まれるのではないかと私は思いました。最近の親が子どもたちのことを無関心になってきているのは仕事や環境のせいだけだと思っていましたが、ミラーニューロンもその一因なんですね。「子を持つことで女性は母親になる」と言いますが、それもミラーニューロンがなせる業なのだと思います。日々の生活を見ていていも、やはり自分の関わってきた子どもたちには特別な感情があります。Sasukeさんがいうようにこれも愛着なんだと思います。赤ちゃんが受動的と考えるのはますます違うように思います。

  6. 子どもを持って初めて、家内をママ、と呼ぶようになって、家内と夫婦となり、家庭というものを築けたように思いました。そして、私たちにとってはやっと生まれた子なので、私にはもうかわいくてかわいくて仕方がなく、それは来年中学生になる今日この頃もその思いに変わりはありません。「母性は、赤ちゃんから育てられていくことのような気がします」とあります。その通りだと思いますが、同時に「父性」もわが子によって育てられてきているような気がします。息子が生まれて以来、徐々に「父親」らしくなってきていると自分を認識します。「わが子さえいれば、この子のためならばと強くなれる」と私もこれまでさまざまな困難を乗り越えきました。そして実際にかつてに比べて自分はたくましくなったと思います。そして「子どもから見守られている」自分に気づいて何だか恥ずかしさすら感じます。親子に限らず、大人と子どもは相互に見守りあっているのでしょう。

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