原因

 最近、幼児でどうも気になる子どもたちが増えたという話を聞きます。どのように、どの箇所が気になるかというと、それは様々ですが、その原因は母親との関係にあるのではないかという話は最近増えているように思います。そして、幼児とかかわる仕事をしている人たちは、専門用語として「それは愛着障害」ではないかという話を聞きます。それは、気になる子の気になる部分が、「人との関係」においてのことが多いからです。人は、社会の中で人とかかわって生きています。しかし、そのかかわり方は、必ずしも仲がいいとか、一緒に仕事をするとか、集団で行動するとかだけではありません。集団の中で自己を発揮できるとか、自分に自信を持つとか、他人との関係の中で自己を確立することもあります。

 では、その基礎はどこにあるのでしょうか。その土台が乳児期の母子関係にあるというのが「母子愛着」という言葉で説明されます。確かに、子どもにとって、母親の存在はとても大きな役割を持ち、とても重要です。何よりも、多くの子どもたちは母親が大好きです。もちろん、父親のことも大好きです。そして、父親の存在ものちの人生に大きな影響を与えます。では、母親、父親がいないとだめなのか。ほかの人がとってかわることはできないのか。自分の子どもが好きでない母親、父親は絶対にいないのか。というと、そう簡単な話ではありません。

 最近、いじめが多く名問題になっていますが、虐待も大きな問題です。その件数が、平成19年度には、初めて4万人を超えました。その中で一番多い虐待者は、実母が2万5千件で、次いでジップ9千人、続いて実父以外の父、実母以外の母と続きます。社会としてケアをしなければならない人たちにはそういう人が多いこともあり、親が一番と言い切ることは解決にはなりません。もっと、きちんとした理解をするべきでしょう。

 「本当の問題は『発達』よりも『愛着』にあった」と「はじめに」に書かれてある「愛着障害」を書いたのは、岡田尊司氏です。彼はとてもユニークな経歴を持ち、現在京都医療少年院に勤務している医師です。ですから、かなりの実例と、問題を抱えた少年とかかわりを持っています。ですから、その本の内容には説得力があり、かなり参考になる部分が多いと思います。しかし、イギリスの神経科医であるジョン・ボウルビィが「愛着理論」を打ち出したのは、1950年代、第二次世界大戦後のイタリアで孤児院、乳児院などに収容された戦災孤児についての研究から始まったものですので、何となく、現在、子どもの置かれている環境、時代、社会の在り方などが変わってきている部分では、違和感を感じる部分もあります。

 私は、今、愛着という概念を一言でいうと「誰かに見守られているという確信」だと思っています。それは、「自分という存在を丸ごと受け入れ、信じてもらえているという」ということを「愛着」という専門用語ではなく、日本では、だれでもわかりやすい言葉「見守ってもらっている」と説明したものだと思っています。ですから、この確信をいつ、どのような時に持つことができるのか、そして、その確信がどのような行動を促すのか、ということが課題になります。決して、どこまで手を出し、出さないかということではないのです。

 少し、「愛着障害」という本の中で考えてみたいと思います。

原因” への5件のコメント

  1. 臥龍塾で取り上げられる本はできるだけ読むようにしていますが、『愛着障害』も今日紀伊国屋で購入できました。ただ読み始めたものの、少子化時代の母子密着型の子育てに疑問を感じているので、「愛着障害」という言葉に少し戸惑っています。確かに母親のスキンシップも細かい配慮も大切だとは思いますが・・・???要は、母親は子どもとの間に程よい距離感を保って子育てをすることが重要なんだと思います。よくある漢字ネタですが、「親」という字は、立木の向こうから子どもを静かに見つめている親の姿を表すそうです。余計な口出しをせず、愛と信頼の気持ちで見守るのが親だと思います。

    漫画家のやなせたかしさんは、生まれてすぐに父親を病気で亡くしました。やなせさんと弟の二人は伯父さんの家に引き取られ、ほどなくして母親は別の男性と再婚してしまいました。両親の愛情を知らないで育ったやなせさんですが、親以上の愛情で育ててくれた伯父さんには今でも感謝しているそうです。医療技術の発達していなかったかつての日本では、実の親を早くなくしても親族や地域の人たちが子どもを育てるセーフティネットがあったようです。「親はなくても子は育つ」も一面の真理をついていると思います。

  2. まだなんとなくの理解にすぎませんが、根本の部分から整理し直さないといけないことがあるような気がしてきました。見守るということと、見守ってもらっている確信を持つことの理解が少し浅かったように思います。どの程度手を出すかという視点で考えていることが多かったのに比べて、見守られている確信については捉え方が甘かったようです。似ているようで違うこの二つのことを、現場を見ながら考え直さなければいけません。日に日に整理されていく見守るという保育の考え方についていけてなかったのかなあと、今回の内容を読みながら反省しています。あのこともこのことも修正しなければとちょっと焦っています。

  3.  気になる子=愛着障害というのは、普通に考えてもおかしな発想だと思います。しかし、母親や父親というのは子どもの人生の中でとても大きく影響を与えます。そういう意味では、変な親に育てられると、子どもも影響を受けてしまう可能性もあります。そうなると、気になる子は母子愛着が足りていないと言われるのは、しょうがないかもしれません。しかし藤森先生が言われるように愛着というのは「誰かに見守られているという確信」これはもちろん、母親かもしれませんが、保育園の先生、小学校の先生、あるいは職場の上司ということもあります。しかし「愛着」という言葉を使うだけで、全てが収まるような印象があるのは私だけでしょうか・・・。

  4. 「気になる子」というのは多くなってきているというのは事実なんでしょうか。ただ、どうしても今の社会状況、少子化や地域環境を通して、こどもが子ども集団で遊ぶ機会が減ってきたり、親の過保護や逆に虐待などが増えてきたというのも一つの要因なんだろうと思います。しかし、だからといって、その子が「愛着障害」だからといってレッテルをはられ、保育園でも問題と見て、チェックされ、注意されるのも違うように思います。子どもの見方を変え、その子を信じて「見守る」ことは親だけでなく、保育者にも必要なことだと思います。それが、子どもたちにとって自己実現や自信につながることでより、子どもたちはよりよく発達できるように思います。注意し、怒って聞かせるのではなく、信じて見守り、受け入れることが一番の近道なのかもしれません。こういう意識は保育者は持っていないといけないと思います。

  5. 自分の生い立ちからしても「母子愛着」という概念にずっと違和感を感じていました。母親のことは好きですが、自分が育つ過程でいつも母親かと言えばそうではない経験をしてきたからです。ですから、「母子愛着」を強調されても俄かに首肯できない自分が常にいました。保育界に関わり、保母は母親の代わり、と聞かされた時も、何だか変な感じがしました。もっと言えば、家庭的保育園、という言い方にも。虐待をする人のトップが「実母」というのは今も変わらないようですが、やはりショックですね。子育ては母親、と言われすぎているのではないか、と思うのです。それから「人生のスタートダッシュ」とか。母子愛着だけではなく、様々な人からの「見守り」が本当は子どもたちの幸せかつ健やかな成長を保障するのだろうと考えます。1950年代に出されたイギリスのジョン・ボウルビィの「愛着理論」が「担当制」の理論的裏づけとして今なお生きているのは現場に影響を及ぼしていることにはこれまた驚かされます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です