夏休みの思い出7

暑い夏、昔も今も子どもの楽しみは水遊びです。私の子どもの頃は、もちろんクーラーなどはありませんから、涼しくするためには、水遊びが最適でした。その中で、小学生になると主流を占めるのが、学校プールです。休みに入る前に、夏休み中のプール予定表が配られ、自分の学年のプールの日を確認します。そして、その表には、指導する先生の名前と、検定日が書かれてあります。夏休みの間に、プールがない日は、お盆あたりの数日間で、あとは夏休み中、プールが開かれていました。

私が教員のころは、プール当番は基本的には教員が均等に受け持つのですが、年配の女性の先生はあまりやりたくないらしく、私が代わってやり、結果的に、ほぼ毎日プール当番をしました。こんなことをいうと不謹慎に聞こえるかもしれませんが、私は、そのころ若かったので、どうせお金を払って市民プールなどに行くのであれば、学校のプールに毎日入れるとなるとありがたかったですし、しかも、夏休み中は給料は丸々もらえるのに、プール当番の日は日当が別にもらえますので、夏休み中やるとかなりのアルバイト代をもらえ、ありがたかった思い出があります。しかし、最近は、社協などへの委託で、教員は一人だけとか、プール監視をPTAの役員、NPO法人等がボランティアで行ったり、指定管理者となった業者、NPO法人等が、監視員を採用して監視を行ったりとさまざまで、夏の間先生と会う楽しみや先生と水遊びをする楽しみがなくなった気がします。。

このようなプールは、昔はありませんでした。多くの子どもたちは、水遊びとして泳ぐのは近くの川や池、または海でした。学校のような、訓練の一環として泳ぎを教えるためのプールは、以前ブログでも書いた、会津藩校の日新館が日本最古の最古のプールで、水練場あるいは水練水馬池として残っています。池の周囲は153mもありかなりの大きさで、この藩校以外で水練場があったのは、長州藩の藩校・明倫館だけと言われています。この
水練場を、日本ではプールと言いますが、このpoolは単に「水溜り」を指しています。関西では、駐車場のことをパーキングと言わずに、モータープールということが多いようですが、水泳用のプールのことはswimming poolと呼ぶのが正式だそうです。

 私が小学生のころに、夏休み中、1度は海に連れて行ってもらいました。その日のことが絵日記に書かれてあります。7月29日の日です。波が怖くて泳げなかったのを、父親に深い所に連れて行ってもらって泳ぎを教わったと書かれてあります。私が子どもの頃は、泳ぎは速く泳ぐというよりも、長く泳ぐことが重視されました。父親が戦争体験で得たことのようで、沖につれて行かれ、そこに長く浮いているのを教わったのです。アメリカで、ベビースイミングがはやったのは、アメリカの各家庭にあったプールに赤ちゃんが落ちたとき、助けが行くまで浮かんでいるためだと言われています。その地域、時代によってなにが大切か変わってきています。

 もうひとつ、川で水遊びをする目的にひとつは、そこで魚釣りや魚を捕まえることにありました。私が育った下町には身の回りには魚はいませんでしたが、工場がある八王子には、家の前の側溝、というより小川にはドジョウがたくさんいました。家からざるを持って出かけ、ドジョウをたくさん捕まえました。そのことが日記に書かれてあります。また、八王子の家の庭には、大きな池がありました。その池に入って、魚とりをすることが許されました。魚といっても、鯉ですが、私たちきょうだいが入るために、水を抜いて、浅くしてくれました。

 この時代、子どもの遊びには大人たちはとても寛容でした。