夏休みの思い出6

 ものが豊富でない時には、子どもの世界でもものが豊富ではありません。ですから、ものを大切にせざるをえませんでした。鉛筆にしてもそう簡単には買えませんので、最後のほんの小さくなるまで使います。そのころは、鉛筆削りは使っていませんでしたので、短くなっても削ることができるのです。しかし、持つのが大変なので、短い鉛筆を長くするホルダーを使います。これは、今でも売っているようですが、あまり使っているのを見ることはありません。または、短い鉛筆を二本尻同士をつなげて使います。また、昔の鉛筆の芯は折れやすいために、キャップをはめていました。そのキャップを鉛筆の後ろに差して長くして使いました。

 このように鉛筆1本でも大切に使いました。今は、鉛筆は使わずに、何種類ものシャープペンが並んでいたり、床に鉛筆が落ちていても誰も拾わなかったりすると、時代の変わってきたのを感じます。そんな、ものが豊富でない時代でしたから、当然、生活必需品ではない子どものおもちゃは、特別な日である誕生日とか、クリスマスとか以外には買ってもらえません。しかし、子どもは「遊びの天才」です。どんなものでもおもちゃにします。それは、家で使った廃品であったり、家に来る職人が使った残りの物であったりします。

 私の家は、八王子の工場で紐とかゴム紐を糸からつくって、東京の下町の問屋街にある店で小売店に卸す会社でした。ですから、仕事上、いらなくなった糸くずや段ボールがおもちゃになりました。小学校1年生の時に夏休み絵日記には、「8月7日 おとうとが『はこにのせてよ』といったから、ぼくはあせをたらしておしてやりました。そしたらとてもよろこびました。」

 私は、当時からすると少しすくない方ですが、きょうだいは3人でした。すぐ下に妹、その下におとうとがいました。このときに、私の弟は3歳でした。私の住んでいた下町は、基本的には専業主婦はいませんでした。昼間は、母親が子どもとずっといるというような家庭は、どこにもありません。私の家も、商売をしていたために、昼間は、親は遊び相手はしてくれません。しかし、きょうだいが小さかったために、その子守りをしながら遊ばなければなりません。ですから、夏休みの絵日記には、友達と遊んだというよりは、きょうだいで遊んでいます。こんな幼少時代の生活を送ってきたためか、「伝統的な子育て」ということが、「子どもが小さいうちは、母親は働かず、家にいて、子どもと遊ぶように」ということに違和感を感じるのです。また、広い園庭がないと、子どもはかわいそうという言葉にも違和感を感じます。夏の間、私の遊び場は、家の前の道路であったり、家の中であったりしたことが多かったのです。

 8月12日の絵日記には、「ゆうがた、いもうととおとうとと、さんにんでおうちのまえであそびました。いとくずでおばけをつくりました。」どうも、家の仕事から出た糸くずがこの日はおもちゃだったようです。絵から見ると、家の前は道路ですので、道路にござか何かを敷いてそこに3人で座って遊んでいたようです。下町は、庭のある家がないために、道路が遊び場でした。道行く人たちは、それを見ていたでしょうし、隣近所もみんな見ていたでしょう。そんな地域の人たちの見守りの中で子どもたちは遊び、生活をしていたのです。

 東京下町での子どもの暮らしは、日本の中では特殊かもしれません。しかし、それは子どもの遊びの種類であったり、遊び場であったり、遊ぶ道具であり、遊びの本質は変わらないはずです。どの場所においても、子どもは遊びの天才であり、遊びは子どもにとっての大きな学びであることには変わりはないのです。