夏休みの思い出3

 今、都内で迷惑な鳥といえば、カラスとハトです。私が子どもの頃は、それほど都会ではカラスは見かけませんでした。圧倒的にスズメの姿が多かった気がします。そして、ツバメです。ずいぶんと、都会のおける生態系は変わってきています。

 カラスは、なんとなく不気味です。雑食性ということもあり、獰猛なイメージがあります。職員と「ブラヘイジ」で明治神宮に行ったときに、森の中を散歩していると、夕方ねぐらに帰ろうとカラスが多く飛んできました。私の子どもの頃は、そんな姿は「カラスと一緒に帰りましょ」と歌ったように、夕方のほのぼのとした情景でしたが、今は、その鳴き声は気味悪く聞こえます。

 同様に、ハトのイメージも変わりました。ハトといえば「平和の象徴」と言われていたのが、今はベランダでの鳩の糞公害が都会では問題になっています。神社や公園に行くと、半ば野生化したハトが、空を覆い尽くしています。しかし、私の子どもの頃は、基本的に空を飛んでいるハトは各家で飼育されていたものです。私の父は、動物が好きでしたから、いろいろな動物を飼っていました。しかし、庭もない下町の家で飼うことができる動物といえば、限界があります。その中で、各家庭で割と多く飼っていたのがハトでした。私の家でも、屋根の上に大きなハト小屋がありました。

 私の小学1年生の時の夏休み絵日記の7月25日には、ハトに餌をあげている様子が書かれています。そこには、4羽だったのが6羽になったと書かれてありますが、そして、まだ卵を温めていると書かれています。このころは、ハトを増やすことは目的だったのです。なぜかというと、それらのハトは、「伝書鳩」と言われていたある役割も持ったハトだったからです。私の家では、八王子に工場があったので、そこからの手紙をハトが運んできたのです。ですから、ハトの足には紙を入れることができる筒がついていました。しかし、全く当てにしていたわけでもなく、ひとつの趣味でした。

伝書鳩とは、もともとは、遠隔地から通信に利用するために訓練された鳩のことです。それは、鳩は帰巣本能が強く、自分の巣に戻ろうとします。ですから、家で飼っているときでも、ハトを空に放ち、しばらく飛んだら、餌を食べに巣に戻ってきます。そのために、ハト小屋には、外からは自由に中に入れるような入口がついていました。このハトには、今でもよく見られるドバトの改良種が使われ、かつては軍事用や通信用に用いられていました。しかし、私の子どもの頃は、伝書鳩のレースがあり、父親は何度か参加していたようです。

ハトが平和の象徴になったのは、もともと旧約聖書の中で、ノアの箱舟から放たれた鳩がオリーブをくわえて戻り、洪水の終わりを告げたことからで、その当時からハトが通信手段であったことがうかがわれます。記述には、紀元前約5000年のシュメールで使用された可能性があるようですし、紀元前約3000年には、エジプトで漁船の成果を伝えるのに利用されていたようです。また、新聞社では、スクープを届けるのに使ったようです。第二次世界大戦でイギリス軍が50万羽の伝書鳩を配置したために、ドイツが対抗して、鷹による伝書鳩攻撃をしたと言われています。

日本でも、奈良時代から使われていとようで、明治時代には、報道用・趣味として利用されていました。そして、1969年に第一次伝書鳩ブーム到来します。私の家では、やはりそれよりも早い時期に父親が凝ったようです。現在でも鳩レースが行われているようですが、ずいぶんとデジタル化されつつあるようです。

ハトは、私の子どものころには、多くの大人たちの遊び道具だったようです。