遊び

こうして遊びをざっと眺めてみると、私たちが「遊び」という言葉を使うときに、子どもが食べるとか、寝るとか、なにか具体的な行為をするとき以外の行動を、「遊び」と言って片づけることがあるようです。もう少し、整理が必要に思います。また、おもちゃも同じようなことが言えます。そのいわれのように、子どもが手にしたもので、道具以外のものをすべて「おもちゃ」といっても理論的には説明が通ってしまいます。しかし、私の子の「遊び」について考え始めたきっかけとして、さまざまな「遊び」「おもちゃ」について書かれてある考察は、必ずしも、子どもの「遊び」に当てはまるのか、特に、乳児における「遊び」と言われる行動が、「遊び」に分類されるものなのか、という疑問から始まったのです。

1980年に発行され、1991年には第4刷が発行されている本に『おもちゃの文化史』(和久洋三 監訳/玉川大学出版部)があります。その著者は、アントニア・フレイザーというイギリス・ロングフォード伯爵家の8人兄妹の長女で、本人も5人の子どもの母親です。彼女は、この本のような子どもに関する本の執筆活動を続けていますが、雑誌「ボーグ」[ママ]の編集者としても有名です。この本の中で、「おもちゃ」について書かれてあります。

「おもちゃは、楽しみと空想性と模倣性を組み合わせたもの。そして、おもちゃの歴史を作ってきたものは、「子どもの要求」「歴史家の興味」「おもちゃの収集家の存在」そして、「すっかり成長したおとなでも、きっぱり断ち切ってしまうことのできない子ども時代をなつかしむ気持ち」であり、どれも同じ重みを持っているといえる。」
この内容はイギリスにおいての話かもしれませんが、日本でも言えそうです。確かに「楽しみ」と「空想性」と「模倣性」が組み合わさったものが「おもちゃ」であるということは、遊びにも言えることのような気がします。そして、この三つの能力を持った存在として子どもをみることもできます。

しかし、このようなことは、乳児においても言えるでしょうか。私は、最初に疑問を持ったように、乳児においての「遊び」は、大人の価値観からそう位置づけたもので、赤ちゃんにとっては、生きていくうえで必要な発達を、より確実に、より創造的に繰り返す行動であり、それは、「息をする」とか「食べる」と同じような行為のような気がするのです。したがって、乳児のころのこのような行動は、赤ちゃんにとって「生活」をしているということになるような気がしています。

そして、乳児期から幼児期に向かっていくにつれ、子どもの生活の中で、遊びの占める割合は、次第に大きくなってきます。生活だけであった毎日から、次第に遊びが生活の中心部分をなし、生活そのものが遊びに転化されていくのです。そのきっかけは、生活の中から偶然とその自分の行動から、楽しさや不思議さ、変化することを見つけ、それが遊びになっていきます。ですから、「遊び」には、その成長を育むための社会的な行為ともいわれるのです。そして、大人社会や大人の行動を模倣する行為からきているものが多いのです。

このようなことから考えても、こどもの「遊び」は、大人の「遊び」とは同類ではなく、それどころか、とても高貴な、真剣で、真摯な行いなのです。