遊びとおもちゃ

古代では、まだ親の庇護のもとにあるころは別ですが、離乳をすると、子どもは親からは放っておかれていたでしょう。ですから、特に仕事が与えられないころは、子どもたちは自分たちでいろいろなことをして過ごしたことでしょう。毎日は、子どもたちにとっての「遊び」をしていたでしょう。しかし、それは、大人にとって、仕事を邪魔されない限り、なにをしていようが特に興味はなかったのかもしれません。もちろん、そのころの遊び道具は、特別にそのためにつくられたものではなく、身の回りの物、自然の中にあるものを使っていたでしょうし、大人の使っているものを真似して遊んでいたでしょう。

ですから、「遊び」という概念は、最初は大人がするものとして使われていたようです。初めてこの「遊び」という語が出てくるのは、残っている書物としては、『古事記』の中に出てきます。そこでは、二通りの意味に使われていたようです。一つは、神代の弔いの場で行われた歌舞をさす言葉として登場します。そこでは、遊びは神事としての芸能を意味しています。今でも、祭りに行う歌舞を「神遊び」と呼んでいる地域もあるようです。もうひとつは、漁や狩猟にも「遊び」という言葉が使われているようです。それも、儀式めいた時に使われていたようです。

それが、『万葉集』の中では、行楽や宴といった娯楽に使われるようになり、『源氏物語』をはじめとする平安時代の文学の中では、管絃や詩歌・舞などを楽しむことを意味する言葉として使われています。やはり、遊ぶ余裕は、貴族にしかなかったようで、一般庶民の間では、いくら大人であっても「遊ぶ」という概念はなかったかもしれません。しかし、次第に、心楽しく時を過ごすことを全般的に「遊び」と呼ぶようになっていきます。いったものと思われます。

同時に、平安王朝の時代に、遊ぶときに、「手に持って遊ぶ」ということから「もて(ち)あそぶもの」、また略して「あそびもの」と呼びました。室町時代になると、御所などに仕える女房たちの間で「女房詞(ことば)」という、日常生活の言葉に省略や接頭語を用いて特別の表現をすることがはやります。そのひとつとして、この「もて(ち)あそび」を語源とし、「おもちゃ」という言葉が生まれました。この言葉も、子どもが持ち遊ぶものではなく、大人が持ち遊ぶものを指しています。

それが、中世になると、子どもの世界が顕現してきます。こうした中で、子どもたちは子どもの遊び方を確立していきます。西行は、晩年になると、「たはぶれ歌」を作ります。その内容は、子どもの頃の思い出や、現在の老境に至った心境を詠ったものです。そこには、子どものころをいとおしく思い出している姿が見られます。そこには、子どものころに遊んだ遊びが紹介されています。「麦笛、炒粉かけ、あこめの袖の玉襷、竹馬、隠れ遊び、雀弓、ひたひ烏帽子、土遊び、茅巻馬」などです。

「うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の声におどろく夏の昼臥し」の歌からは、幼い子が麦笛を鳴らしていて、昼寝中に、その音ではっと目覚めたとあります。「竹馬を杖にもけふはたのむかな わらはあそびを思ひ出でつつ」という歌の心境も、私の年齢になると、なんとなくわかります。「幼い時の遊び道具の竹馬を、今日は杖として頼む身になってしまった、子どもの頃の遊びが思い出されることだよ。」というのも、年をとるということは、同じものでもその用途が違ってくるということで、昔を懐かしむと同時に、月日の流れを感じます。また、遊びは、必ずしも道具はいらなかったようです。「昔せしかくれあそびになりなばや 片隅もとに寄り臥せりつつ」では、かくれんぼをして遊んだことを、今は臥している自分の姿から思い出したようです。

子どもの頃の思い出は、遊んだことが多いようです。