五感を刺激

赤ちゃんは、自分の五感を研ぎ澄ますためにいろいろと身の回りのものに興味を持ち、そ尾に働きかけていきます。その時に、身の回りの物として、自分の手や足に興味を持ち、その動きを眺め、自分で自分の手や足を触るようになります。その研究は多いのですが、同様に、そのころになると、隣で寝ている子、目の前でハイハイしている子、伝い歩きをしている子、やっと歩き始めた子をじっと眺めている姿はあまり研究されていない気がします。そのころの五感を養うために行う行為を「遊び」と規定をするならば、隣にいる子は「立派なおもちゃ」になります。なぜなら、隣の子は五感を使ってその存在を確かめないといけないからです。その行動を見る、泣き声を聞く、臭いを嗅ぐ、触ってみる、なめてみるということをすべて体験できるのです。

しかし、この五感を使うような行動は、このころは赤ちゃんの生活であるはずです。隣に寝ている子の存在は、遊び相手として置かれているのではなく、一緒に生活をしている仲間として寝ているのです。このように、隣で寝ている他の子がいる環境は、私たちホモサピエンスでは普通であり、その環境から、社会脳を育てていったと考えられます。もちろん、そこには、隣の赤ちゃんだけでなく、多くの大人たちにも囲まれていたでしょう。その大人たちは、五感を使うような「あやす」ことを赤ちゃんにします。そして、隣で寝ている赤ちゃんに似たような動きをするものを自然物の中から選んで赤ちゃんをあやしたり、与えたりします。それが、そのころの赤ちゃんのおもちゃとなるのです。

このように赤ちゃんにおける、かつて「遊び」と言われてきた行為は、特に目的があるわけでもなく、しかし、人生においては、これから生きていくうえで必要な能力を学習していることになるのです。幼児期において大切なことは、五感と呼ばれる感覚を中心に、貪欲に刺激を求め成長するこの時期の赤ちゃんの脳に対し、その成長に十分なだけの刺激を与えるということです。それは遊びという形でなくても、なんら問題はありません。

その後、自分の足で歩けるようになると、ぐるぐると走り回る、目につくものに興味を持ち、じっと見つめ、触ってみたり、壊してしまいます。しかし、なにが壊してもよくて、触ってもいいかわかりません。そこで、安心して触ったり、いじったりできるものを与えます。それが、大人からすると「おもちゃ」なのでしょう。しかし、赤ちゃんは、おもちゃで遊んでいるというよりも、内からわき出てくる欲求にこたえるのうなものを大人が与えているということで、もし与えられなければ、赤ちゃんは身の回りからその欲求を満たすものを探すはずです。

このような行動を赤ちゃんがとるときに、私は、赤ちゃんにはきちんと目的があると思っています。よく、遊びには目的がないと言われますが、これらの行動が生活だとすれば、目的はあるような気がします。それは、以前のブログで紹介した、「目的説」と言われる他人の行為を模倣する時に、その行為自体をまねているのではなく、赤ちゃんは相手の目的を見て、その目的に向かって合理的に自分の行為をするという研究からわかるような気がしています。これは、私は、赤ちゃんがやることには、本人が意識していない場合が多いのですが、きっと何かしらの意味があると思っているからです。

それぞれの種は、自分たちの種を子孫に残していくための生存戦略を学習していかなければなりません。そのために、赤ちゃんの行動を十分に保障できるような環境を用意してあげる必要があるのです。