社会的環境

 さまざまな生き物は、子孫に自分たちの遺伝子を残すために生存しようとします。そのために、それぞれの環境の中で戦略をとります。その戦略は、どの戦略が優れているか、劣っているかという問題ではなく、その種にとって、最善の方法をとります。もし、その戦略がその時代での環境に対して対応ができないとき、その種は滅びてしまうことになります。ですから、戦略を時代によって変えていきます。

 その戦略は、自分だけで行うのであれば、自分が強くなればいいのですが、何かに依存していく戦略をとるときには、細かい作戦が必要になります。その場合は、依存する相手にすべてを任せるのではなく、受け身として待っているだけでなく、自分の方から仕掛けていきます。その仕掛けは、とても巧妙です。ですから、自分だけで生きていくよりも、よほど能動的なのです。そういう意味では、自分では出来ることは少なく、多くを人に依存している乳児ほど能動的なのです。そのことを「社会脳の発達」を書いた千住さんは、こう言っています。

 「ヒトの脳は、養育者に守られて育ち、将来的に社会に出て文化を身につける上で必要なさまざまなことを学習できるように、準備された状態で生まれてくるように見えます。定型発達の過程で、乳児はただ受動的に社会的な環境を学習するのではなく、他者の視線や動きなど関連のある情報に素早く注意を向け、視線を向けたり手を伸ばしたりします。たとえば、相手の顔の目の位置に視線を向け、しかも自分に向けられた視線を好むという行動は、養育者との間にアイ・コンタクトを成立させ、そこから始まる顕示―参照行動に基づいたコミュニケーション・システム、自然な教授法を成立させる基盤となります。」

 私たちホモサピエンスというヒト属は、社会を構成して、皆で協力するという生存戦略をとり生き延びてきました。その能力をヒトは生まれながら学習していきます。というより、学習していくはずです。そして、その学習は自分からは何もできない乳児においては、ヒトにやってもらうために能動的に行動をしていくはずなのです。それを、長い間、なにもできない、なにも知らない乳児には、大人からの支援、世話がなければならない、それが育児であると思っていました。そうではないことが、乳児においては脳の中を見ることもできず、意志表示もすることのできないために、よくわからなかったのですが、最近はその視線の動きから少しずつわかってきました。千住さんは、続けてこう言います。

 「心の理論に関しても、乳児はそれをただ学習し理解するだけではなく、その情報を使って新しい言葉を学習したり、相手を助けに行ったりもします。このように、他者に関する情報を自発的に素早く読み取り、その情報を使って他者に関わっていく行動は、社会的な場面で相手からの反応を引き出したり、共同作業を行ったりすることによる社会的学習の頻度を高め、社会的認知のさらなる発達につながっていきます。このような自発的な社会的行動を発達初期から見せることは、ヒトが社会や文化という複雑な環境を効率よく学習し、適応的にふるまうために不可欠なものであると言えるでしょう。」

 ヒトは生まれながらに学習し始めるものとして「音楽」「数」とともに「言葉」があると言われています。この言葉の獲得には、心の理論と呼ばれる力が必要なようです。それは、言葉は、発声ではなく、コミュニケーションの手段だからです。相手との情報のやり取りのツールだからです。ということは、ヒトは、乳児のころから情報のやり取りする相手が必要だということです。もちろん、それは非言語コミュニケーションではあるのですが、隣で寝ている赤ちゃん同士が見つめ合っている姿は、情報のやり取りをしているのかもしれません。