臨床保育学5

私は、「発達とは、人生における変化」としてとらえるべきであるということを思っています。それは、右肩上がりでもなく、階段状でもなく、その時期時期に大切な変化なのです。その変化は、年齢を増すごとに成熟していくものもあれば、衰えていくもの、形が変わっていくものがあります。これは、「ホリスティック」の意味の中にある「変容 (transformation)」という考え方があります。これは、「深いところから起こる人間の変化」を意味しているのですが、そのとらえ方は、私のいう「変化」とはだいぶ違うかもしれません。しかし、私は、ホリスティックというのは、関係性からものを見るために、あるものだけを部分的に見るのではなく、どちらも主体であるような見方をすることが大切なため、社会が変わるためには、より小さな単位である集団が変わる必要があり、集団が変わるためには個人が変わる必要があり、一人ひとりの意識が変わる必要があると考えていくと、人類の進化から個人の成長までの変容から考える必要があると思っているのです。

立命館大学教授中川吉晴氏は、ミラー教授が提唱している「教育の3つの形式」を紹介しています。それは、「伝達モデル」「交流モデル」「変容モデル」です。たとえば、知識や情報や技術を持っている側が、持っていない側に、それらを伝えていくのが伝達モデルです。多くの日本における「学校教育」のイメージはそれに近いものがあります。持っているものが教師、持っていないものが児童というとらえ方、持っているのが大人、持っていないのが乳幼児という考え方をする乳幼児教育も同様です。もちろんこのモデルがいけないというのではなく、そのようなモデルが有効に機能する領域もあり、また、それが必要な時期もありますが、それが教育のすべてを覆ってしまうのは明らかに不自然だと言っているのです。

交流モデルは、教師と生徒のあいだの、また生徒間のやりとりを重視したもので、みんなで課題に取り組んでゆく手法です。最近注目されている問題解決型のアプローチがこれにあたります。このようなモデルは、外国では多くの教育機関が行っているのですが、日本の学校教育は、伝達モデルから交流モデルへと変化しつつあるのですが、なかなかうまくいきません。しかし、このモデルは、臨床教育学の実践としては重要なものなのですが、そこには変容モデルをふくむものでなくてはならないと中川氏は言います。なぜなら、「交流モデルでは思考面のはたらき(考える力)が重視されていて、まだ人間の全体をふくむものになっていないからです。変容とは、人間が深いところから変わる体験、深い癒しや気づきの体験を意味しています。臨床教育学は、人間形成におけるそうした体験の重要性をとらえたうえで、それに実践的にどうかかわれるのかを問うていくものです。」と言っています。

教育改革の中で、「総合的な学習の時間」や「ゆとり教育」が導入され、「伝達モデル」から「交流モデル」への変化によって生徒の問題解決力や学ぶ力を高めていこうとしました。しかし、どうもうまくいきませんでした。それは、その後の「変容モデル」として「人間が深いところから変わる体験」「深い癒しや気づきの体験」が、子どもたちにされなかったためと思われます。交流によって伝達しようとしたからでしょう。すると、伝達事項が少なくなり、かえって学力低下を起こしてしまったような気がします。知識は、量ではなく、質の問題であり、深さの問題であることへの変化がまだ日本では無理なのかもしれません。

これは、臨床教育学の視点からの改革ではなく、まだまだ机上の提案だからかもしれません。